ころしてない:2

 俺はまた車内を見た。もちろん前方にも注意をする。父親を殺すのも自殺するというのもいいことではない。それは分かっている。だからこそこのまま何もしないわけにはいかない。そうでなければ取り返しのつかないことになる。

 しかし、できることは限られており、どうしたらよいのか分からない。

 このまま放置しておくのは危ない。何かできることはないかと俺は考えた。


 殺すのが無理なのであれば、せめて自由に動き回らないようにできないか。ベッドに拘束してしまうのなんてどうだろうか。そうすれば勝手に家に人をあげることも出来なくなるし、悪徳な訪問販売から高額商品を買わされ借金を作ることもなくなる。

なんなら二、三日仕事で戻らない時に、そのまま老衰で死んでしまったらいい。

 これで働いても働いても借金が増える一方の生活からも抜け出せるのではないか……。


 突然、ピーピーとけたたましいアラーム音が車内に鳴り響いた。

 貴明は驚いて前を見る。

「居眠り検知しました。前方を見てください」

 ナビシステムによるアナウンスが流れる。

 決して眠っていたわけではないが、考え事をしているうちに下を向いてしまったようだ。再び前を見る。前方には建設資材を運んでいるトラックが走っていた。

 

 貴明は思考を再開した。

 いやでも待てよ。これで留守中に親父が高額商品を買うのをやめたとしても、問題がある。

 デイサービスの水岡さんだ。二日に一回、水岡さんが家に来るのだ。親父が拘束されているのを見たら即刻通報されてしまう。

 だめだ。貴明は再び親父を殺す方法を考え始めた。


 しばらく道なりに走り続けていると、前方の車のブレーキランプが点灯した。

 徐々にスピードが落ちていき、やがて通常時の半分以下のスピードになった。

「止まりそうなスピードだな。渋滞か?」

 貴明が尋ねるとナビシステムからアナウンスが流れた。


「この先、事故により一キロ渋滞です」

 俺は交通情報ネットへ詳細を問い合わせ、その結果をモニタに表示させた。

 事故は数十分前に発生したようだ。二台の車がほぼ原型なく大破している画像だ。

 事故直後に現場を通過したほかの車の車載カメラの情報がコントロールセンターに送られる仕組みになっており、事故がどのようなものかを、後続車両に瞬時に伝えることが出来るのだ。

 さらに情報によると、高速道路警察隊が事故現場に向かって走行中のようだった。

 一キロぐらいの渋滞であれば到着時間には影響はないだろう。伊予市に着くのは朝五時過ぎだ。

 俺は急ぐこともなく運転を続けた。


 親父に殺意を覚えるようになったのは最近のことだ。いわゆる介護疲れだと貴明は思っている。

 深刻な高齢化に伴い人手は不足し、介護施設への入所基準も引き上げられ、中高度な認知症でなければケアしてもらえない。

 8050問題だとか、9060問題だとか言われている。五十代、六十代の子が八十代、九十代の親を在宅介護する問題だ。

 この言葉自体は2010年代頃から使われているらしいが、2030年代になってもその状況は全く変わっていない。というよりもひどくなっているらしい。

 在宅介護が増えるのに伴い、介護疲れも比例するように増え、さらに介護疲れからの殺人・自殺もまた比例するように増加しているのだ。

 貴明の親父は軽度な認知症であり、原則、在宅介護をしなくてはならない。しかし、貴明の職業柄、家を開けることが多く、デイサービスの水岡さんに二日に一回来てもらっている。貴明自身も仕事日を減らして介護にあたるが、それにより収入は圧迫され心身ともにストレスが溜まる一方である。人よりも安価な介護ロボットを使ったこともあるのだが、数時間の見守りには適しているが、丸一日家を開けるような生活では、まだまだ介護ロボットでは賄えない部分が多く、サービスを解約して辞めてしまった。

 職業を変えようと考えたこともある。家で、もしくは近所で働ける仕事にした方が介護に専念できるからより良いだろうと。

 しかし、一つの場所でじっと仕事をするようなことは貴明の性に合わず、それが在宅ワークであれば尚のことストレスが溜まってしまうと考えると、そうすることもできなかった。

 遠出の仕事が気晴らしになる。貴明にはそれが必要だった。

 海を見て磯の香りを感じ、山を走り木漏れ日を浴び、その土地の美味いものを食し、狭い車内ながらも朝までひとりで寝られる。

 仕事明け、家に帰りたくないと思ったことも何度あることか。

 それでも帰路は少しでも早く帰ろうと、どこにも寄り道せず高速道路をひたすら走り、自宅に戻る。

 一日家を空けただけなのに、家には貴明の知らない記憶力回復を謳う怪しげな乾燥ワカメ一キロ、肌に浸すだけで身体の細胞が若返る化粧水、それからあらゆる細菌を死滅させることができる天然水二十四本セットが増えていた。


「また買ったのか」貴明はひどく疲れた声で尋ねる。

 親父は寝たきりとまでいかないが、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていて、今も横になりながらぼんやりとテレビを見ている。

「なあ、父さん」

 親父の返事はない。

「なあ、おい」

「ん、あぁ」

 ようやく返事が返ってくるが、要領を掴めない。

「これ、また買ったのか」

「ん、あぁ」

 目が据わっていてテレビを見ているのか見ていないのかわからない。

 これのどこが軽度な認知症なのだろうか。貴明はため息を吐く。

 こんな状態で物を買えるわけがないのだ。業者はそれを分かっていて親父に物を買わせている。当然、クーリングオフ対象なのだが、全ての商品が既に開封されているのだ。

 開封済みの食品は衛生上の理由から返品できないし、化粧水も同じ理由で返品対象外だ。買わせた直後に返品できないように業者が開けさせたのだろう。しかも、どの商品も少しだけ内容量が減っているのだ。これも返品させないために業者がしたのだろう。化粧品など親父が使うわけないのだ。なんとも巧妙な手口である。

 初めのうちは親父に同情した。仕事の合間を見つけては業者に連絡し、返品できるものは返品した。業者も最初は「返品できない」の一点張りだったが、クーリングオフや消費者生活センターの名前を出すと、渋々受け付けてくれた。

 しかし、貴明も暇ではない。タイミングがうまく合わず、クーリングオフ対象期間が過ぎてしまったり、返品を受け付けてもらっても、対象品の発送を期間までに出来ずに、仕方なく受け取らざるを得ないこともあった。

 さらに貴明が仕事から帰るたびに新しい物が増えており、返品対応も疲れ果ててしまった。

 彼らは貴明がいない時間を狙ってやってくる。親父はそのたびに商品を買わされる。

 あまりにもそれが繰り返されるので、警察に相談したところ、調査をしてくれて三ヶ月後には業務停止命令にまで追い込んで、その業者は潰れた。

 だがすぐに別の業者が親父のもとに訪れるようになった。一社のみならず複数の業者がうじゃうじゃ湧いて訪れては商品を置いていく。

 リストが出回っているのだろう。悪徳業者というのはゴキブリのような存在であった。

 商品代金は貴明の口座から引き落とされている。

 親父には貴明の銀行口座と連携された電子決済カードを渡している。

 貴明が留守中の食事や生活用品を買うためのものなのだが、それが怪しげな商品へと姿を変えているのだ。

 現金を渡すのもよいが、今や現金が使える場所も少なく、結局電子決済カードが必要になるのだ。

 使用限度額は設定しているのだが、急に仕事が長引くこともあり、あまり少額にできないのも困っている。

 悪徳業者はその辺りも心得ているのか、決して高額な商品は買わせないのである。高くてもせいぜい八千円程度で、姑息にそれを何度も買わせる。

 殺意の矛先が悪徳業者から親父に変わったのは単純なことだった。

 この悪循環の流れを止めるには親父がいなくなればいい。そう思った。単純なことだ。買い手がいなければ売り手は来ない。それだけだ。それだけで殺人をしようとしているのがおかしいのも分かっている。ただもう疲れた。仕事で疲れて帰ってきては不要な物が溢れ、ただでさえ親父の介護費で生活が圧迫しているのにさらに親父による無駄な出費が増え、悪徳業者への対応も、介護施設への入所申込対応も、父の介護も、家の家事も、仕事も何もかも全部貴明自身でやらなければならない。その生活に疲れた。悪徳業者は通報しても増えてくるばかり、認知症認定も受けられず介護は訪問のみで負担はかかる一方、そんな中、今の仕事を辞めて職を変える余裕もない、部屋は散らかる一方、親父さえいなければ。親父さえいなければ全ての悪循環が止まるのだ。それだけだ。もうそれに気づいてしまったらそうしたくて仕方がないのである。

 一刻も早く殺したい。親父を殺して楽になりたい。こうやって考えていること自体疲れが増すし、ストレスである。殺したい。殺したい。殺してやりたい。


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