第8話
「そこの見張り、俺はちゃんと飲んだだろ。もう、ライラと二人きりにしてくれないか」
シンが、マーリに向かって言った。
「かしこまりました」
マーリは返事をすると、すぐに扉へと向かっていく。
「待って、マーリ様。サリムの――」
「分かっています。必ず、あなたの弟達は助けることを約束します。それが……私に出来る、唯一のことだから」
マーリは泣きそうな笑顔だった。マーリはライラを騙していたのだけれど、一緒に過ごした時間は嘘ではない。今の表情を見て思った。少なくとも、あの時は友人だったのだと。
「マーリ様、よろしく、お願いします」
ライラは深々と頭を下げる。
そして、マーリは部屋を出て行った。
「やっと、二人きりだ」
シンの呟きが、ライラの胸にじんわりと染みる。
「……はい」
ライラは、瞬きするごとに涙が零れた。
「ライラ、泣くなよ。笑った顔が見たい」
シンが、そっとライラを抱きしめてくる。
「……無理です」
「つれないこと言うなって。ほら、せっかく俺たち、両想いなんだ。今のうちに、恋人らしいことしよ?」
そう言うと、ライラを抱きしめる力が弱まった。秘薬の効き目で、もう眠気がやってきたのだろうか。もうちょっとだけ、待って欲しいと、ライラはシンに縋り付く。
「ライラ、顔を上げて」
シンの声がした。まだ意識があることにほっとして、ライラは顔を上げる。
すると、シンが優しい手つきで、ライラの涙を拭った。
「あのとき、こうやって涙を拭った後さ、キスしたよな……ね、キス、してもいいか?」
吐息のような声に、ライラの鼓膜が震える。
「うん……しよ」
ライラは目を閉じた。初めてのキスは忘れてしまったから、これが、記憶に残る初めてのキスだ。
ふわりと唇に、柔らかいものが触れた。すぐに離れていくのが寂しくて、ライラはシンの首に腕を回す。すると、すぐにまた唇をふさがれた。
何度も、何度も、息が苦しくなるくらい、口づけあう。恥ずかしいのに、もっと欲しくなる。この満たされた感覚を手放したくない。ずっと、こうして触れあっていたい。
でも、それは無理だった。名残惜しくても、終わりが来る。
急にシンの体が傾いた。ライラは慌てて支えるが、ふらふらとしている。どうやら、秘薬の効果で眠気が襲ってきているようだった。
「シン、もうすぐ恋人の時間は終わりよ」
倒れて怪我をするといけないので、シンを支えながらベッドへ向かう。
「何、キスだけじゃなく、抱いていいの? へへっ、うれしいなぁ……」
シンの減らず口は、弱々しい。こんな時でなければ、変態と言い返しただろう。でも今は、ただ胸が切なかった。
シンをベッドに座らせると、限界だったのか、すぐに仰向けに倒れてしまう。
まだ、意識がある内に言いたいことがあった。眠ったら消えてしまう言葉だけど、伝えなければならないし、伝えたかった。
「ねぇ、シン。私ね、叶わない想いだからと、諦めてた。秘薬に頼って、逃げてた。でも、この想いをもっと大切にして、素直に伝えていれば、何か変わっていた気がするの」
ライラは一呼吸置き、シンを見つめる。シンも、こちらを見ている。
「私は、シンのことが好きです。臆病で、伝えることを放棄してごめん。でも、どう考えても、シンのことが好きだったし、きっとこれからも好きよ」
ライラは、シンの頬を撫でた。すると、その手をシンに掴まれる。
「……やっとライラの口から、好きって聞けた。もう満足……は出来ないな。余計に、むらむら……してきた」
言葉ではそんなことを言っているが、シンは今にも瞼が閉じてしまいそうだ。
「目が覚めても、むらむらしてたら言って。そのときは、一緒に過ごしてあげても……いいわよ」
歯を食いしばりながら、ライラは言葉をひねり出した。シンの目が覚めても、絶対に、ライラにむらむらなんてしない。ライラへの恋心は消え去っているのだから。
今、ここに、ライラへの恋心があるというのに。あんなに欲しくて仕方なかった想いが、消え去ろうとしている。自分の選択のせいで。
「今度こそ……忘れんなよ。俺、ライラが引くくらい、ライラのこと、好きだから」
「分かった。絶対に覚えてる」
ライラの返事に、満足そうにシンが笑った。
「はぁ……すっげぇ眠い」
「うん」
「ライラはこの薬を飲んで、恋心を消したけど……その度に、好きになってくれたから。俺も、何度だって……ライラを、好きに……なる…………」
すうっと、シンの瞼が閉じた。穏やかな寝息だけが聞こえる。
寝てしまった。これで、もう、ライラへの恋心は消えてしまうのだ。ライラのことを好きなシンと、話すことは出来ない。そんな奇跡みたいなシンは、もうどこにもいないのだ。
しばらく、ライラはぼんやりとシンの寝顔を眺めていた。ライラが何度も好きになったように、シンも好きになるといってくれた。でも、それは無理だ。ライラが何度も好きになったのは、秘薬の作り手だから効き目が悪かっただけだ。普通に飲めば、確実に恋心はなくなってしまう。ゼロになってしまったものを、元に戻すのは不可能に近い。親しく顔を合わせるような相手なら、また恋をすることもあるかもしれないが。でも、王子とただの女官という立場で、顔を合わせる機会などほとんどないだろう。
考えれば考えるほど、絶望がライラの心を支配する。
「本当に、一瞬だけの恋人……だったんだぁ」
ぼつりと、ライラの独り言が響く。
どれだけ、そうやっていただろうか。不意に、大きな足音が聞こえてきた。しかも、何人もの音だ。
「ライラ、助けて来たわよ!」
扉が開き、イリシアが飛び込んできた。
助けに来た、の間違いではないだろうか。そう思いつつ、ライラが顔を上げると、イリシア越しに廊下を走ってくる妹達が見えた。
「エマ、エメ!」
ライラは名を呼び、立ち上がる。
「ライラの様子がおかしいから、絶対に何か事件に巻き込まれてるって思ったの。だから、従兄弟のアブーシに連絡を取って、協力して貰おうと思ったら、何かアブーシもおかしなことになってて。でも、ザルツっていう王子の側近の人が、代わりに協力してくれたわ」
イリシアが早口に状況を説明してくれた。
「姉ね!」
「シンお兄ちゃんもいる!」
妹達が部屋に入ってくるなり、ライラに飛びついてくる。それを受け止めながら、ライラの心臓は嫌な音を奏で始めていた。
「……エマも、エメも、無事で良かった。サリムは?」
必死で冷静さを保ちながら、ライラは弟を探す。
「ライラちゃん、サリムくんは大丈夫。解毒薬も飲ませたから安心して。あと、ベルは捕縛したし、マーリも今地下に追い込んだから、捕まえるのは時間の問題だ」
ザルツが眠っているサリムをおぶって、部屋に入ってきた。そして、眠るシンを見ると、表情を曇らせる。
「どうやら、間に合わなかったみたいだ……ごめん」
ザルツの言葉に、自分の過ちを知った。
「嘘だ……あと、ちょっと待てば……失わずに済んだってこと?」
ライラは、よろよろとシンに近寄り、ベッドの脇にへたり込む。
激しい感情が渦巻く。理不尽なことを吐き出さないように、飲み込まなくちゃと思う。でも、どんどん、嫌な感情があふれ出てくる。
なんでもっと早く、弟たちを助け出してくれなかったの? いや、違う。自分が弟たちを助けるために頑張ってたのだから、余計なことしないで。弟たちを助けるのは、ライラの行動の結果のはずだったのに。
弟たちが無事に助かったのは、素晴らしいことだ。本当に良かった。それは、本当だ。でも、弟たちを助けるために、ライラのしたことは? 結局、何の意味も持たなかった。
もうちょっと駄々をこねて、薬を飲ますことを躊躇っていたら、すべてが丸く収まったのだ。シンはライラのことが好きなままで、弟たちも助かって、大団円だった。
でも、現実はそうはなっていない。
なんだそれは!
ライラが薬を飲ませても、飲ませなくても、弟たちは助かった。ライラのやったことは、無意味だった。無意味な行動の果てに、シンの恋心を消し去ったのだ。ライラが欲しくてたまらなかったものを、ライラが自分で消し去った。
「……やだぁ、やだやだ、シン、起きて、お願い、寝ないで、忘れないで、私のこと、好きでいて、ねぇ、シン、シンってば」
ライラは、シンを揺すり始めた。でも、シンは眠ったまま、目を開けない。
ライラはまわりに止められるまで、取り付かれたように叫び続けたのだった。
*** お読みくださりありがとうございます ***
第5幕はここまで、次からは終幕となります。
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