第19話 若君、死地に赴く
【SIDE 若君】
「全軍、北に向け陣を構えよ!」
父の怒号が飛ぶと、動揺していた御影軍の兵は一斉に隊形を変えた。
不測の事態にあっても、将の指示には一瞬で従い、立て直せるよう我らは鍛えられている。
山を駆け下り、我が軍の腹を突こうとして来た尾谷兵に、相対する形で迎え撃つ。
元々、山から奇襲してきている尾谷の兵数はさして多くない。乱戦となっているが、すぐに崩れることは無いと踏む。
「問題は正面から来る尾谷本軍だが、いかが思う?」
父に問われる。
「不意を突かれているとは言え、北上軍の兵数はおそらく尾谷軍より多いかと。兵を削ることにはなるでしょうが、今しばらく耐えれば、山の北を回っている別動隊が背後に周り、今度はこちらが挟み討ちに持ち込めるかと存じます」
北上家には圧倒的な物量と兵力がある。
昨夜の時点で別動隊を放っているならば、あと半刻もすれば、尾谷の背後を突けるはず。
まだ十分に勝機はある。そう思っていたのだが。
「北上が崩れるのがあまりに早すぎないか!」
家臣の苛立つ声がする。
前方の北上軍は陣を立て直す素振りもなく、バラバラと尾谷に攻められ、崩れていく。
遠目にも逃亡しようとしている足軽が見え、全く統率が取れている気配が無い。特にその傾向は、本陣に近いほど強いように見える。
「いったい何をしているのだ‼」
父が北上本陣に再度伝令を出そうとした時だった。
「申し上げます!」
北上本陣に先に伝令に出していた者が戻ってくる。
「大将北上義春、既に戦場より逃げ去っております!」
耳を疑った。
父も家臣らも、皆呆然としている。
「あり得ない……、我らは何も聞いておらぬぞ!!」
「は、自軍にすら何の指示も出さず、近しい家臣のみを連れて、密かに離れられた由」
「……なんという大うつけか……」
父の手元の軍配が音を立てて折れる。
目の前が真っ暗になる思いがした。今すぐにでも対処しなければ、我らは全滅する。
「父上、ご退却を」
大将を失い、命令を下す者もいない北上軍は、最早烏合の衆。総崩れとなるまで時は無い。
「父上を失っては御影家は終わります。丹後、喜兵衛、父上のお供を」
「御意」
父の側近に声をかける。共に名のある猛将、最も信頼のおける古参の家臣だ。
「我らは
おおっと野太い声が響き渡る。又七が張り切って敵軍に突っ込んでいくのが横目に映る。
「与三郎、わしは子を三人も戦で失いたくはないぞ。お辰に会わせる顔が無い」
「なんの。御心配には及びませぬ」
あの豪胆な父上らしからぬ言葉に、軽く笑って見せる。
馬で走り去っていく父上の一行を見送り、握る槍に力を込めた。
◇◇◇◇
父上が退いてから時を置かず、北上軍の大半が敗走。
御影軍のいた戦場にも尾谷本軍の兵が流れ込んでくる。
しんがりは、とにかく追っ手を足止めし、できる限り大将が逃げる時間を稼がなければならない。
逃げては途中で待ち伏せし、残り僅かな兵で敵の足を食い止める。
その都度、兵は大きく損なわれ、稼げる時間は減っていく。
何度目かの追撃をいなし、馬で駆け抜けた。
「若殿、大丈夫ですか?」
「問題ない」
又七にはそう答えるが、状況はかなり厳しい。
尾谷家の追撃は、まるで、こちらの方向に総大将がいるかのように執拗で、これ以上稼げる猶予はほとんど無いだろう。
私も既にあちこちが痛み、最早傷がいくつあるのか分からない。
並走する又七を見ると、かすり傷すら見えない。私が情けないのか、こいつが化け物なのか。
その時、激しい馬の嘶きが聞こえ、目の前に騎馬武者が一斉に現れた。
(周り込まれたか!)
又七は吼えると、勢いよく突っ込んでいく。
私も槍を握り直すと同時に、馬で駆け寄ってきた敵兵が突き出した槍を、馬を操り、かわす。
馬が横に飛ぶ姿に一瞬呆けた姿を見逃さず、素早く横から突いた。
馬から落ちたのを確認し、即座に引き抜くと、次の騎馬武者の槍をはじく。体勢を崩したところに槍を突き出そうとした、が、ここまでひたすら槍を振るってきたせいか、思いのほか手に力が入らず、一瞬握りなおしてしまった。
その時だった。
視界の左下に、先ほど落馬した敵兵が映る。左腰に一直線に突き出される槍を、交わす余裕は、もはや無かった。
左腰に衝撃が走るが、槍先は刺さりきらなかったようで、腹のあたりを掠めた。
だが、馬上で体勢が崩れ、そこにもう一人の騎馬武者の槍が突き出された。
左肩のあたりに激痛が走る。突かれた勢いのまま吹き飛ばされ、背中から落馬した。
「与三郎様‼」
又七の大きすぎる声だけが聞こえた。
受け身を取ることもできず、全身を強打して、一瞬呼吸が止まる。焼けるような痛みに、体を起こすことができない。
(もはや、これまでか……)
止めを刺そうと、刀を振りかぶる敵の輪郭が、かすんだ視野にぼんやりと映る。
ふと、鶴の顔が思い浮かんだ。
感情表現が豊かで、時々想像もつかない行動をとるが、いつも一生懸命で明るい妻。
出陣前、涙を流す彼女に、守れもしない約束をしてしまった。
手をわずかに動かし、鶴に貰った護り石に触れる。
(口ばかりで、本当に情けない男だ……)
もう泣かせたくはなかったのに。薄れゆく意識の中で、ただそれだけが後悔だった。
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