第11話 出発の朝とフィアの衣装箱

星歴899年 11月19日 午前7時30分

ベルイット辺境領 名もない辺境の森


 目玉焼きとベーコン、レタス、トマトをパンに挟み、思い切り頬張った。

 美味い! わずかに半熟で黄身を残した焼き卵が、噛むとソースのごとく、ベーコンやパンを潤して、旨味を引き立てる。

 数か月ぶりのまともな食事に、俺たちはしゃべることさえ忘れて、夢中で頬張り続けた。



 ◇  ◇



 あのあと――

 助力を申し出た妖魔の将、黒き影の魔導騎士は、召喚魔法を描いたカードを一枚、残して立ち去った。


「何か、召喚獣を呼び出せる魔法陣みたいです。あの、私がこれ習得してもいいですか?」

 フィアが少し興奮気味に話した。

「ああ、頼む」

 俺は快諾した。獣人の俺は、とにかく体力勝負に向いていた。こと魔法に関しては、クォータエルフのフィアに任せるに限る。何せ、魔力貯留量が段違いに優れているのだから。


 フィアは魔法カードを胸に押し抱くと、その呪文を唱えた。

 魔法符と呼ばれる魔法のカードは、呪文を唱え行使に成功すると、高確率でその魔法を習得できる。魔導書よりもはるかに効率の良いアイテムだった。


 そして――


 フィアが発動させた召喚陣から出現したのは、人喰い箱だった。

 ぱこ、ぱこっと元気に蓋を開け閉めしながら、人喰い箱は跳びまわる。俺とフィアの反応は全く逆だった。


「あの野郎、ふざけやがって、人喰い箱だと。こんな低俗な罠を仕掛けるとは、馬鹿にするにもほどがあるぜ」

 俺は、戦斧を振りあげた。叩き潰してやる。


「待って、きっと、何かわけがあると思うから……」

 フィアは、人喰い箱をかばった。


「いや、待てない。もう我慢ならない。こいつは粉砕する」

 俺は譲らない。もう許さない。あのキザ野郎、バカにするにもほどがあるぜ。

 人喰い箱は、殺意満々の俺に気づき、震えあがった。さあ、音速の戦斧で木っ端みじんだ。


青藍せいらん、〈STAYステイ〉」


 フィアだ。

 またも、命令語。

 俺は殺意をみなぎらせたまま、待機を命じられた。

 人喰い箱は、フィアの後ろに隠れている。


「あなたが、わたしたちを助けてくれるの?」

 人喰い箱は、ぱこぱこと蓋を開閉して答えた。

「じゃあ、あたしと契約してくれますか?」

 人喰い箱は、嬉しそうに、ぱこぱこと答えた。フィアは、小刀を取り出すと、その細くて白い指先に当てる。


「ちょっと、待て! そいつとまさか契約を結ぶつもりか?」

「はい。ハコちゃんには、あたしの従者になってもらいます」

 何の疑問もなく、フィアが応えた。

 ちょっと待て、フィアの奴隷は俺ひとりで十分だ。俺だけが、フィアの唯一、絶対服従の守護者だ。こんなゴミ箱に、俺の特権を奪われてたまるか。って、ハコちゃんって、こいつにもう名前つけたのか。


 だが、フィアは俺の願いもむなしく、人喰い箱に人差し指の先から滴る数滴の血を与えて、奴隷契約を結んでしまった。


 そして……

 ハコちゃんこと、人喰い箱を開いた俺たちは、目を丸くした。


「着替えがいっぱいです。それに、こっちは、パンにベーコンにソーセージ。あ、レタスや卵にバターも、パスタの乾燥麺もありますよ」

 フィアの黄色い声が弾んだ。


「あはは……」

 俺は呆れて笑うしかない。

 宝箱と言えば、金銀財宝と相場が決まっているだろう。せめて希少魔法を描いた書籍か巻物。そうじゃなければ、伝説の切れ味を誇る剣でもいい。

 それが、女の子のお着替えと生鮮食料品と食器類とは……


 だが、考え直せ。

 戦火の混乱に紛れての脱走の最中となれば、話は別だ。

 換金性の高い財宝も、生きてここを脱出できなければ、何の価値もない。


 少なくとも、フィアを、インナードレス姿で放っておくわけにはいかない。食肉獣魔を使い採寸したらしく、人喰い箱から出てきた衣装は、どれもフィアにぴったりだった。


「ね、青藍せいらん、これ、可愛いでしょ」

 フィアは、人喰い箱の中から、騎士服に近いデザインの青い衣装を身にまとった。

「あ、ああ」

 少なからず驚きだった。

 フィアは、確かに可憐だ。


 ギルク伯爵から貸与された騎士服は、実用性一点張りの飾り気に乏しいモノだった。ところが、どうだ。クロイツエルが差し入れた人喰い箱には、動きやすくてデザイン的にも洗練された騎士服が、何着も用意されていた。

 フィアは、特に青い騎士服を気に入ったようだ。騎士服といっても、ドレスに似た華やかさがある衣装で、フィアが頬を染めて、俺に披露したあたり、かなり気に入っている。

 

 俺は、しぶしぶだが、この人喰い箱の参加を認めざるを得なかった。

 あと、こいつ、俺向けの着替えは、必要最低限のモノしか入ってなかった。



 ◇  ◇



 黒き影の魔導騎士が残したものは、もうひとつ。あの、水晶板だ。

 フィアのステータスを刻んだ水晶板は、正式な魔法によるもの。嘘、偽りのない本物のステータスと信じられる。額面とおりに受け取れば、だが。


 フィアのステータスは、驚くべき内容だった。

 レベルに対して魔法貯留量が著しく多い。

 火、水、地、風、光、闇の6系統すべてに魔法適性がある。

 そんなことは、どうでも良い。

 王都で貴族の子女なら、さぞかし持て囃されるだろう素晴らしいステータスだ。

 奴隷少女には、宮廷に咲く偽りの花の美しさなど関係ない。


 だが、看過できない内容があった。

 フィアが、その美しい碧眼をまんまるにして、水晶板を見詰めた理由だ。


Name:フィア・イス・メル・エリュシア

Family Tree:エリュシア正王家

Crest:百合花十字剣


 エリュシア正王家だと!?

 俺は、ギルク伯爵から差し入れられた歴史書から、その名前を学んでいた。


 エリュシア古王国は、前星歴104年から星歴698年まで存在した巨大魔導王国の名だ。強大な魔法力と軍事力で世界を支配した。そしてその治世の大半は善政であったと伝えられていた。

 今日でも、世界各地に分立する王家や貴族家は、その始まりや根拠をエリュシア古王国に求めていた。

 例えば、俺たちがいまいるアーセルト王国は、エリュシア古王国のアーセルト城伯が起源とされていた。要衝であったアーセルト城を守ることを命じられた貴族家が、その後、王家となり、城を中心とする広い範囲を領地とするに至ったと。

 つまり、アーセルト王家の統治の正統性は、エリュシア古王国に根拠を持っている。


 だから、「我こそは、エリュシア正王家の末裔なり」を詐称する輩は、いつの時代にも現れて、嘘偽りを見抜かれてあっけなく処断されてきた。



 だが、表に現れないだけで、エリュシア正王家の末裔がどこかに隠れているという可能性は、常に示唆され続けてきた。


 理由のひとつは、魔法だ。

 エリュシア正王家の血筋が、魔力の源泉とされる魔法のいくつかは、いまだ健在だからだ。

 とくに、高位の治癒魔法については、エリュシア正王家が断絶した場合、失われると考えられる魔法がいくつも存在する。この高位治癒魔法が貴重なのは、言うまでもない。この魔法が失われたら、助からない命があるのだ。


 ゆえに、王都の医師たち、魔導士アカデミーの学士たちなど、多くの知識人たちは、エリュシア正王家の末裔を探し出し、保護すべきと訴えていた。


 奴隷身分に堕とされた俺には、どんなに求めても、簡単には手が届かないレベルだ。智菜を救うためには、高位治癒魔法を習得し持ち帰る必要があると、感じていた。もちろん、どうしたら高位治癒魔法が手に入るのかなど、いまの俺には想像もつかない。


 焚火を囲み、食事を取りながら、ゆっくりと話し合った。

 フィアは、長い思索の末、言葉を紡ぎ出した。


「エリュシア古王国、その遺跡へ、行けば、はっきりすると、思います」

 フィアは、ひとことずつ言葉を区切りながら話した。

 フィアとて、突然にエリュシア正王家の末裔と言われても、戸惑うことばかりだろう。だが……


「あのとき、獣魔の中に囚われていたとき、見えたの」

 フィアは、幼い頃に、エリュシア王都の遺跡を見た記憶がかすかにあるというのだ。詳しい内容を尋ねられたら、フィア自身も首をかしげてしまうほどに微かだが、何かが、この少女の脳裏には焼き付いているらしい。


「きっと、あの獣魔に探られている間に、埋もれていた記憶に触れたのだと思います」

 フィアは、ギルク伯爵の奴隷にされて以後の記憶がない。何らかの魔法的な手術で記憶を奪われた可能性は高いと思う。

 やったのは、あの大司祭か、ギルクのブタ野郎なのかもわからないが。


「だが、とりあえずは、ここから逃げ延びることを考えるべきだろう」

 当面の方向性をまとめた。

 こんな辺境の名もない森の中にいつまでも隠れてはいられない。


 いずれ、俺が健在であることは、バレはずだ。

 なぜなら、勇者王太子と俺の間には、経験値を共有する魔導が掛けられている。つまり、ギルク伯爵が王都と連絡を取り合えば、いまだ経験値が転送されていることに気づくはずだ。


 そうなれば、フィアも健在だと気づくだろう。

 あの肉食獣のギルク伯爵は、当然、脱走した俺たちを探し始めるはずだ。

 この森にも追手が掛かるのは、時間の問題と思われた。


 ギルク伯爵の領地であるベルイット辺境領からの脱出―― それを俺たちはまず目指すことにした。



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