祓魔は飴を噛み砕きながら、祈りは宙(ソラ)へ謳われる

伊澄かなで

第1話:青銅のガーゴイル 1

 ――城門をくぐり、その大きな青銅像が運ばれて来たとき。

 街で暮らす領民たちの誰しもに「これは良くないものだ」という予感があった。


 しかし、戦場にて功績を上げたのちの凱旋。

 手柄として、その像を持ち帰ったのは領主様である。文句を言えるはずもない。


 返り血と傷に塗れ、鈍く陽の光を反射する鎧姿の兵士たち。

 彼らは台車に縄で固定された青銅像を、息を切らせて引っ張っていく。


 コウモリに似た翼を持つ、人間とも、獣とも呼べないような不気味な容貌の青銅像。

 その像は魔族である敵国の者たちが作った、魔除けの美術品だという。


 ほかの様々な戦利品を乗せた荷馬車とともに、像は歓声で街に迎え入れられ――


 ……それから一カ月の時間が過ぎた。


   *   *   *


「な、なんでッ……どうしてッ……!?」


 満月が煌々と照らす夜の路地を、一人の少女が走っていた。

 名前はライラ。この街に暮らす平民である。


 金髪というには少しばかり赤みの強い髪。笑うと素朴な愛嬌のある、微かにそばかすの浮いた頬。服装は丈の長いえんじ色のスカートに、街の酒場の給仕服――彼女は普段、その酒場で給仕の仕事をしている。

 平凡な印象の、どこにでもいる街娘だ。彼女の吐く荒い息が、魔導灯の設置されていない月明かりだけの路地に漏れていた。


「っ、あんなの、ただの噂話だってみんな言ってたじゃないッ!」


 ライラは引き攣った表情で、足を止めて背後を振り返った。

 びゅん、という風切り音が鳴り、暗い影が石畳の地面を覆う。


 いつもならばとっくに家に着いていて、弟たちに夕食を作るのがライラの日常だった。だが今日は、ほかの給仕が急に仕事を休んだために、ライラはその代役として遅い時間まで働いていたのだ。


 このところ、街では行方不明者の発生が相次いでいる。

 人攫いや、それに付随する悪辣な奴隷商が這入り込んだのではないかという噂だった。事実、衛兵隊はその線で調査をし、すでに数名の容疑者を捕縛しているらしい。

 別に、それ自体は特に珍しくもない事件だ。だが――


「……っ、ひぅ、ッ、バケモノ……ッ」


 ――もう一つ、噂があった。

 ひと月前の凱旋で、領主が街に持ち込んだ魔族の青銅像。それが、夜な夜な人間を襲って喰っているのではないかという噂。

 もちろん酒場のゴシップである。ライラも、酒場の客たちも、強面だが本当は心優しいスキンヘッドの店主ですら「そんなまさか」と、そう考えているようだった。


 そもそも大っぴらにできる話でもない。それについて語っている姿を衛兵に見られれば、不敬罪でライラたちのほうが捕まってしまう。


 だが、どうだ。


 どしゃん、と重たい音を響かせ、ライラの眼前に着地したのはその青銅像だった。

 身の丈は優にライラの三倍以上ある。いましがた閉じた翼を再び広げれば、さらに倍か。――正直、恐怖と暗さで正確なサイズは把握できない。


 わかるのは、そいつがぱらぱらと硬い破片を散らしながら、べちゃりと粘液質な涎を垂らして自分を見下ろしているということだけだ。


 普段、領主の城の入り口に飾られているはずのそれは、鋭く長い爪の生えた腕を大きく振りかぶった。

 満月の明かりが、青銅色をした怪物の皮膚を照らす。

 ライラの脳裏に過ぎったのは、家に残している弟たちの顔だった。


 ――ごめんなさい。お腹空いてるはずなのに、もうお姉ちゃん、ご飯作ってあげられない。


 次の瞬間。

 鋭く甲高い擦過音。路地の石壁を削る破砕音。

 ライラたち平民が普通に暮らしていく上では決して耳にすることのない、魔導エンジンの重厚な駆動音を轟かせ、一台の鋼鉄の塊が唸りを上げて青銅像の横腹に突っ込んだ。


 吹っ飛ぶ青銅像。さらに轟音。

 路地の石壁が崩れ、濛々と埃が舞い上がる。


「……は? へっ……?」


 ライラは呆然とした表情で、急に現れた鋼鉄の塊――魔導装甲車を仰ぎ見た。

 貴族たちの使う豪奢な馬車とは明らかに違う、まるで鉄板を組み合わせて作られただけの箱のようなフォルム。


 ――棺桶に似ている。


 そう、ライラは思った。

 一切の飾り気のない、白くてのっぺりとした巨大な車輪つき棺桶だ。


 ブシュウッ――と、棺桶の上部から蒸気が排出され、両開きに蓋が開く。昆虫が翅を広げたような光景。

 まず現れたのは白い神官服姿の男だった。黒髪で、整った顔立ちに銀縁の眼鏡をかけている。いかにもインテリ神官といった風貌なので、どことなく神経質そうな印象。

 

「……目標を確認。規定に基づき、これより十分間の仮釈放を行います。多重拘束術式マルチプル・ストレイトジャケットを解除。ただし二番と三番だけです。さらに、聖女フェリエッタに罪状を追加。護送車の制御系統に対する、魔力による不正アクセス。……まったく、油断も隙もない」


 指先で眼鏡のブリッジ部分に触れながら、男はうんざりとした口調でそう言った。

 そして、魔導装甲車のフロント上部に立つ彼の後方から、せり上がるように一枚の板が現れる。

 見れば、その板には小柄な人間サイズのミノムシのようなものが磔にされていた。


「……? ッ、えっ!?」


 バチン、バチンバチンバチンッ! と、

 驚愕に声を漏らすライラの視線の先、ミノムシを拘束していた黒いベルトの群れが弾け飛ぶ。


 拘束衣が脱げ、中から現れたのは銀髪の少女だ。いや、純粋な銀髪というよりは、むしろ灰色に近い。少女は長い灰髪を靡かせてふわりと男の傍らに降り立つと、ドレスにも似た黒い修道服の裾を手で払った。


「――なにを言っている、このカタブツめ。無辜の民を救うことは、聖職者として当然の義務だろう」

「……過去にも申し上げたはずですが、聖職者は軍人でもテロリストでもありません。教義の解釈を曲解しないでいただきたい」

「おいおい、目の前で死にそうな人間を見捨てろと?」

「そうではなく、貴女の場合やり方に問題があるのです。大体あれだけの拘束をされておいて、どうしてこのような芸当ができるのですか。幾重にもプロテクトのかけられた、護送車の魔導制御システムに干渉など……」

「日々の信仰の賜物だな。――なあ、そんなことより、あれないか?」


 苛々と言葉を返す男に向かい、少女は「ん!」と両手を差し出す。

 彼女の声音は、先ほどからの粗野な口調とそぐわない透き通った可憐なものだ。その仕草だけは、ライラよりわずかばかり年下だと思われる容姿に見合っていた。


 そして、男が苦々しげに顔をしかめて神官服の懐から取り出したのは、棒のついた小さな飴。

 現在、砂糖は高級品というわけではない。ライラも時々、弟たちに買ってやることのある見慣れた品だった。


 球状のキャンディを口の中に放り込み、がりがりと噛み砕きながら、灰髪の少女は車上からライラを見下ろす。


「いやはや、刑務所での生活というものは糖分が不足していけない。……おい、きみ。座り込んでいるようだが、どこか怪我をしたのかね? 動けるならば早くここから離れるか、せめてこの魔導車の後ろにでも隠れていたほうがいい」


 少女は口の端からはみ出した飴の棒をぴこぴこ動かしながらそう告げた。ライラは立ち上がろうとして、できなかった。弱々しく左右に首を振る。


「……ふむ、腰が抜けたか。あとで回復してやろう」

「やめてください、聖女フェリエッタ。貴女が〈癒しの奇跡〉を行使することは、連合国での裁判の結果、禁ずると判決が出ています」

「む? そうだったか? なんとも世知辛い世の中だ」


 女性であるライラからしても見惚れるほどに整った顔を皮肉げに歪めて、残念そうに少女は呟く。――いや、ただの少女ではない。


「え、という、か、あの、せい、じょ、様……?」


 ――連合国、裁判、聖女。

 ここにきて、ライラはこの人物が誰なのかを理解した。


 彼女の名は、フェリエッタ・レウゼインノーラ


 おおよそ教会の聖女を言い表すときに使わないような、歴代〝最強〟という称号で呼ばれている者だ。

 数多の悪魔を撃滅し、魔物と化した巨竜を打ち倒し、遂には、先代の魔王までをも討滅せしめた功績を持つ。


 ……そして結果として、彼女に科せられた刑期は三千年。

 その理由は、戦いのたびに街や文化遺産まで根こそぎ破壊してしまうからである。


「ひっ……!」


 ライラの喉が、か細い音を路地に漏らした。

 同時に、埃の晴れた瓦礫の先から、グルルルルッ――という、地の底に響くような唸り声。


「ほう。石材ではなく、青銅製のガーゴイルか。今代の魔王はなかなかに愉快なものを作る。おい、ヴィンセント、始めるぞ。私の祭壇をよこせ」


 身を起こし、赤く光る瞳でこちらを睨むガーゴイルを見据えつつ、聖女フェリエッタの口元が獰猛な笑みを形作った。

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