第14話イングランド敗退、残念!

 少し時間が空いてしまった。現在、日本時間で12月12日(月)の午前10時。カタールW杯の状況は、準々決勝が終了し、ベスト4が決定。

 今日は準々決勝で敗れてしまったイングランドについて書いておきたい。


 今回の自分の予想は、優勝ブラジル、そして優勝して欲しい国がこのイングランドだった。どちらも予想は外れてしまったが、なぜイングランドかというと、やはりこの国とサッカーに対する自分の思い入れが強いからだと言える。


  イングランドのサッカーに思い入れが強いのは、自分の中学、高校の頃、1960年代後半から1970年代前半の頃の、海外のサッカー情報、言い換えると最先端のサッカー情報は、テレビでは唯一、「ダイヤモンドサッカー」という番組に限られていたからだ。番組の内容は、イングランドの一部リーグ、今で言うプレミアリーグの内容を岡野俊一郎氏の名解説に、金子アナウンサーの掛け合いで、そこからはいろいろな事を学ばせてもらった。


 例えば、英語でその日の試合でミスばかりが目立つ選手の事を“Not his day ”と表現する事とか、当時のイングランドリーグは、スタンドで暴れるフーリガンという問題があったので、ピッチと観客席の間に等間隔で制服の警察官が警備に当たっていたが、その警察官は、試合中、自分の決められたところをピッチに沿って絶えず行ったり来たり歩き回っていた。その理由を解説で、観客を見張るという当時のスタジアム状況や、歩き回っているのは、停まっていると、観客から試合が見えないとクレームがくるからだとか、戦術はもちろん選手の個々の情報からスタジアムに至るまで、唯一の情報源として色々と教えてもらった。


 当時は、マンチェスター•ユナイテッドの全盛期で、ボビー•チャールトン、デニス•ロー、アレックス•ステップニー、そして何と言っても、ジョージ•ベストのプレーには、ビデオも録画も無い時代なのでテレビ画面を食い入るように見ていた。

情報源がこの番組とサッカーマガジンの時たま出てくる海外情報に限られていたので、このジョージ•ベストがユニフォームをショーツの中に入れないで、袖の長いユニフォームを指先でつまみながらプレーする写真が記事に載っただけで、次の日の練習で真似する輩がいるほどの影響力があったと勝手に思っている。


 さて、イングランドといえば疑惑のゴールに触れないわけにはいかない。

2010年南アW杯の時のドイツ戦でのランパードのシュート。バーに当たって、下に落ちてゴールラインを割ってから、バウンドして外に出てきたボールをGKノイヤーがキャッチしノーゴール。この時はこの疑惑の判定もあって、イングランドがドイツに敗戦。


 一方、1966年のイングランドW杯では、決勝戦で同じくドイツ、当時は西ドイツとの対戦で、同じようにバーに当たってリフレクトのシュートが、ゴールラインを割っていなかったのに、ゴールと判定されて、その後はハーストのハットトリックもあり、イングランド、サッカーの母国にW杯がもたらされたという因縁。


 私は、サッカーの名スタジアムを巡る事を、サッカー聖地巡礼としてやっているが、イングランドの聖地、ウェンブレー•スタジアムへ行くと、ガイドが最初に展示されている木製のゴールのバーを指差して、「このバーがイングランドを救った」と誇らしげに、ガイドを始める。


 今回のようなVAR判定があったら、イングランドの優勝も、南アでのドイツの勝利も無かった事になる。日本も今回はスペイン戦でVARに救われた。従来の人の目であれば絶対に判定しきれない判定結果が出る。これも時代の流れで、それをしっかりと意識しての試合対応が必要になるのであろう。


 イングランドの話を戻すと、若い頃からの情報量の多さがイングランド贔屓の一員であるが、イングランドのサッカー自体を好きなことも贔屓の一因である。

1960-70年代のイングランドサッカーというと、とにかくセンタリング、今は使わない言葉なので言い換えるとクロスを放り込み、フィジカルにものを言わせる空中戦のサッカー、ブラジルの個人技やドイツの組織サッカー、そしてオランダの流れるようなトータル•フットボールとはかけ離れた、少し野蛮で粗野にも思えるサッカーだった。そんな野暮にも思えるイングランドサッカーになぜ惚れるかというと、そのサッカースタイルにではなく、サッカーに対する姿勢、彼らのプレーの基盤にあるフェアプレーの精神があるからだ。これはドイツのサッカーにも言える。南米のマリーシアとか、中東の「痛い、痛い」で時間を引き伸ばす、そう言った卑怯な態度はイングランドやドイツのサッカーにはあまり見られない。


 彼らの態度がどこから来てるかを考えると、彼らには騎士道精神的なものがどこかに残っているのではと考える。ドイツにも騎士道精神的なものがあるので基本フェアプレーが徹底している。これは全く自分の個人的な思い込みであると思う。しかし、ここから日本のサッカーを考えるに、日本はメキシコオリンピックで銅メダルと同時にFIFA最初のフェアプレー賞を受賞している。その精神の根底に、騎士道精神はもちろん無いが、武士道精神があると思う。日本の新しいサッカーと風景、ランドスケープが今、求められているが、その基盤としてこの武士道精神は忘れないでほしいと思う。

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