夢見がちな王女は物語みたいな恋がしたい! ~偽装結婚なんて許しません~
新道 梨果子
第1話 最新刊を入手しました
「ああ……今回もいい話だった……」
ぱたん、と本を閉じて、ついでに目も閉じて、私はうっとりと今読んだばかりの物語に思いを馳せる。
脳裏に浮かぶ、恋物語。
ほう、と息が漏れる。
なんて素敵なお話なのかしら。
本当に良かったわ。なんと今回ついに、『愛している』って言われたのよ。ここまで長かったわ。長かっただけに、胸の高鳴りが静まらないわ。
私はさきほどまで読んでいた本を、そうするとまるでその世界に行けるような気持ちで、ぎゅっと両腕で胸に抱き締めた。
「失礼いたします」
けれどそのとき、部屋の外で誰かが声を張った。この声はおそらく船長だろう。
一気に現実に引き戻されて、私の口からため息が漏れる。
「どうぞ」と答えて振り返ると、扉はゆっくりとこちら側に開いた。そして思った通り、船長がそこにいて私に頭を下げる。
「エレノア王女殿下、もう少しで到着いたします」
ああ。今、せっかく物語の中に入り込んでいたのになあ。しばらくこの余韻を味わいたかったけれど、残念無念。
まあ仕方ない。どう考えても船長のせいじゃない。船長はきちんと仕事をしただけだもの。
「わかりました。ご苦労さま」
私の返事を聞くと、船長はまた頭を下げてから立ち去って行く。
けれどそれと入れ替わりに、私の侍女であるローザが現れた。
船長以上に、私を現実に引き戻す侍女だ。
「姫さま、お化粧を直しましょう」
ローザは私の傍に来て、抑揚のない冷めた声でそう言った。
「案外、すぐに着いたわね」
潮の匂いがする。
私は船底に近いところにある一番きれいな部屋でずっと閉じこもっていたのだけれど、そろそろ大海原を眺めようかしら、などと考える。
この胸の高鳴りをおさめるには、やっぱり潮風がいいのではないかしら。
ローザは少し眉をひそめて応えた。
「すぐに着い……。そりゃあ姫さまは、ずっと本を読んでいらしたから」
「退屈だったの? だったらローザもなにか読めばいいのに」
「船酔いするので。むしろ、姫さまはどうして平気なんですか」
「さあ?」
体質なんだろう。生まれてこの方、船酔いというものを経験したことがない。
「まあとにかく、お化粧を」
言われて、私は本を机上に戻した。
ローザは化粧箱をそのすぐ横に置いて、私の目の前に立つとしゃがむ。
「あら、一心不乱に読んでいらしたからか、ほとんど崩れてないですね」
安堵したような声を出しながら、それでもおしろいを塗り直している。
「だって出発の日に最新刊が発売されたんだもの! ああ、本当に間に合って良かった。危ないところだったわ」
「それは良うございました」
「忘れないように何度も読んだの。でも何回読んでも良かったわ」
「そうですか」
私の興奮した声とは対照的に、ローザはいたって冷静に返答してくる。
私は腕を伸ばして本の上に手を置いた。ああ、いつまでも手元に置いておきたいのに、もうすぐ手放さなければならないなんて。
「なんでこれ、売れてないのかしら。『恋夢』。次巻が発売されるか毎回心配するのよね」
「『恋の夢の中で
「ええー、面白いのにぃ」
私は口を尖らせた。
ローザには、面白いから読んでみて、とむりやり押し付けた過去がある。
けれどどうやらお気に召さなかったらしい。
「面白くなかった?」
「まったく面白くないとは言いませんけれど」
ふむ。一応、読んではみたのか。
「売れる方法、なくもないですよ」
化粧を直す手を止めることなく、ローザはそんなことを続けた。
「えっ、なに、どうやるの?」
私は思わず身を乗り出してしまう。
化粧筆を持ったままのローザは私の額を人差し指で押さえて、私の体勢を元に戻した。
「『オルラーフの王女、エレノア姫が大絶賛!』って宣伝するんです」
「いや……それはいいわ……」
私の趣味嗜好が国民にだだ漏れなのは、さすがに恥ずかしい。
ローザは私の返事に少し首を傾げる。
「あら、どうしてですか? 王女殿下が読んでいるものなら読もうって思われる方々は一定数いると思いますよ」
「そうかもしれないけれど」
「売れたほうが嬉しいのなら、そうすべきと思います」
ここで、そうねえ、なんて肯定の返事をしようものなら、すぐさま出版社に連絡を取って、さらになんらかの報酬を受け取りそうなので、話を逸らすことにした。
「ええっと……『恋夢』の、なにが気に入らなかったの?」
ローザは私の質問に特に考える素振りもなく、するすると答えた。
「世の中、そんなに旨い話はありません」
「旨い話?」
「美形の上に財力、権力、優しさ、すべてが揃った男たちが次から次へと寄って来るなどと、夢にも程があります」
吐き棄てるように、ローザはきっぱりと述べる。
わかってない。わかってないなあ、もう。
「それがいいんじゃないの」
「それがいい人もいるんでしょうね。私には絵空事すぎて受け入れがたいものがありますが。もう少し現実に寄せていただければ、読めないこともありません」
「へえ。たとえば、どんな風に?」
「ええと、『恋の夢の』……確かに面倒ですね、なるほど」
ローザは納得したように、うん、とひとつうなずいた。
「『恋夢』に関して言わせてもらえれば、一人目の男は」
「アルね。アルベール」
一人目の男って。情緒がなさすぎる呼び方だ。
アルは、初めて舞踏会に出席した主人公に優しく話し掛けてくれた人だ。彼がいなければ話が始まらない。
今回、主人公に『愛している』と告白したのも、この人だ。
月夜に! 二人きりで! ああ、思い出すだけでドキドキするわ!
けれど私のその胸の高鳴りを、次のローザの言葉が一気に止めにきた。
「いい年した公爵さまが独身のままというのがそもそもありえません。せめて成金の商人とかならギリギリ納得します」
「……そう」
成金の商人。
なんというか、それもまた、情緒がないのでは。
「成金となりますと、やはり武器商人がいいでしょうか。あるいは金貸しとか。あまりお優しい方だとそういった商売で儲けるのも辛いかもしれませんから、性格はずる賢いほうが」
「……そんな人、嫌だわ」
「そうですか? 財力は確保できますよ」
お金は大事です、と何度もうなずいている。
ま、まあいい。気を取り直そう。
「じゃあ、フェリクスは」
「誰でしたっけ」
「オジサマよ! 渋くて素敵なオジサマ!」
私の一押しだ。
最終的には、このフェリクスと結ばれるといいなと思っている。
でも今回の話を読むに、どうやらアルと結ばれそうだ。まあそれはそれでいいのだけれど。
いや、ここからもう一波乱あるかもしれないし。
ああ。次巻が出たとき本当に手に入れられるのか心配だわ。
私は心の中でそうため息をついた。
ローザは少し考えて、思い出したのか何度もうなずいている。
「ああ、いましたね」
「いましたよ!」
「一番ありえない人なので」
「ええー……」
ローザはふう、と息を吐いてから、何度も首を横に振った。
「四十を過ぎた男など、ほとんどお腹が出てますよ」
そんな相手役、嫌だあ!
「フェリクスは軍人だから鍛えてるの!」
「まあそういうことにしておきましょう。やはりこの人も独身というのがどうも」
「もう、ちゃんと読んでないのね」
そうくると思ってました。
私は胸を張って、ふふんと鼻を鳴らした。
「フェリクスはね、お国を守ることに命を懸けてるの。いつ自分が死ぬかもわからないから誰も傍に置かないのよ」
「ありえません」
「なんでよ」
ローザの間髪を入れない否定の言葉に、私は口を尖らせた。
「戦に行く前の男は、たいてい女を抱きに行くものです。最後だからと絆されて、女もそれに応えてしまう」
「そうとは限らないんじゃ……」
「そのおかげで孤児となった子どもがたくさんいること、女手一つで子どもを育てる母親がたくさんいること、姫さまだってご存知でしょう」
うう。
確かにそれは、オルラーフ王城でも問題になっている懸案事項だ。
「だ、だからそうならないように、フェリクスは独り身なのよ」
「まあ、そうだとしましょう。ならばなぜ今さら主人公に恋を?」
「そりゃあ、恋ってそういうものでしょう。理屈じゃないのよ」
「ということは、主人公が女手一つで自分の子を育てることになっても構わない、ということですね」
「う……」
そうなのかしら。でもまだそんな段階でもないのだけれど。
「でもまだ知り合ったばかりだし」
「むしろさっさと結婚しておいたほうが、万が一戦死したとしても何かと保障が受けられますから、結ばれたいと願うならすぐさま求婚するべきです」
ローザはきっぱりとそう言い切った。
でもそうすると、話が終わっちゃうんですけど。
「やっぱり二人目の男は駄目ですね。不誠実にも程があります。誠実なふりをして不誠実とか、一番近寄りたくない部類の男です」
そう言われると、そんな気がしてきました。
いやいや、納得している場合じゃない。
「じゃ……じゃあ、リュシアンは」
「三人目ですね? ああ、この人も、ちょっと」
化粧を直し終えたローザは身体を起こして腰を伸ばした。
「……どこがいけないの?」
条件的には、三人の中で一番良い気がする人なのだけれど。
ローザは小首を傾げつつ答えた。
「だって王子さまでしょう? 王子さまなんて残っているわけがないですよ」
「そうかしら」
「姫さまのお兄さま方はどうですか?」
「確かに……」
七人もいる兄たちは、七人ともすでに結婚、もしくは婚約している。
ほとんどが生まれた瞬間に相手が決まっていた。相手の女性が生まれていない状態でも決まっていた。
まあ、かくいう私も、生まれる前から相手が決まっていて。
そして今から嫁ぐわけだけれど。
ローザはため息とともに言い連ねる。
「つまるところ、いい男ほど先に売れていくってことです」
「そうかもしれないけれど」
「残ってなんていないんですよ! 世の中そういうものです!」
なぜか拳を握って力説された。いったいどうした。
「こんな男たち、この世の中に存在すらしていません。いないってわかっているのに夢を見るなど時間の無駄です」
「そうかしら」
私はもう一度本を手に取って、その表紙を指先で撫でた。
「きっといるわよ。そりゃあ、その人そのものはいないだろうけれど、素敵な人はちゃんといるわ」
私がそう語ると、ローザはこちらを見て何度か瞬きする。
それから。
「……アダルベラス王が、そうだといいですね」
そう返してきて、珍しくにっこりと微笑んだ。
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