第6章 美人の湯
26湯目 未知なる西への旅
夏休み前の7月末。
「暑いヨ~」
「マジ、それな~」
「わざわざ言わないでくれるかしら? 余計暑くなるから」
フィオ、まどか先輩、そして琴葉先輩が、部室で愚痴っていた。
一応、この狭い部室にもクーラーはあったが、年代物の古いエアコンしかなく、効きが悪かった。
しかもこの年は、というよりこの年も、猛暑だった。
もはや地球温暖化により、環境が年々おかしくなっているから、連日35度以上の気温が記録していた。
「では、夏休みに皆さんで涼しいところに行くのはどうですか?」
提案していたのは、花音ちゃんだった。
そういえば、去年の今頃は、私が免許取得やら納車やらで忙しく、結局、夏休みはほとんど遠出しなかったんだ、と思い出していた。
「涼しいところって?」
私が聞くと、彼女は岐阜県に行った時と同じように、我々の想像の斜め上の地名を上げてきた。
「和歌山県です」
「はあ? 和歌山? 関西じゃん。めっちゃ遠いし、行くだけで暑いだろ」
リーダーのまどか先輩が眉間に皺を寄せていた。
「わかってます。ただ、和歌山県はそのほとんどが山に包まれていて、中には『美人の湯』と呼ばれる温泉があったり、
やけに詳しいと思った。
花音ちゃんは、関西出身でもない割には、この辺りに詳しいようで、嬉々として説明をして、同時にスマホの地図アプリで和歌山県周辺を開いていた。
「ああ。日本三大美人の湯ね。そう言えば和歌山だったわね」
さすがに、この部随一の「温泉博士」の琴葉先輩が反応していた。
「日本三大美人の湯?」
その名前がどうにも気になって、私が問いかけると、
「群馬県の川中温泉、和歌山県の龍神温泉、島根県の湯の川温泉と言われてるわね」
彼女は何も見ずにあっさりと答えていた。
「美人の湯? 面白そうネ!」
フィオは早くも乗り気のようだった。
「っていうか、何時間かかるんだ? 1日じゃ無理だろ」
まどか先輩の言うことももっともだった。
単純な距離感として、山梨県甲州市から、中央高速由、東名高速経由のどちらか
でも最速でも7時間45分。約8時間はかかることがわかったし、もちろんこれは休憩や渋滞を考慮していない時間だ。
とても日帰りは無理だろう。
「もちろん、泊まればいいと思いますよ。一応、正丸先生から温泉レポートの提出を求められてますからね。泊りがけで行って、調査すればいいんじゃないですか?」
花音ちゃんが主張していたのは、山梨大学の熊先生こと、正丸先生のことで、一応、直接交渉に行って、この部の活動として、彼に温泉のレポートを提出することになっている。
しかも夏休みならちょうど時間がある。
「しゃーないな。まあ、行くのはいいけど、暑いな。行くまでが暑い」
普段、熱いお湯の風呂に入るのが好きな割には、まどか先輩は暑がりだったから、道中が暑いと乗り気ではなかった。
「ここで、効きの悪いクーラーに当たってるより、余程健康的だと思うわよ。宿も、和歌山の山の中とかにすれば涼しいでしょうし」
「そうか。まあ、その辺は、お前に任せるわ。めんどい」
「もう、まどかったら」
まどか先輩は、元々だらしないというか、ものぐさなところがある。
宿の手配から、スケジュールまで全てを琴葉先輩に「投げて」しまった。
私はその間、地図アプリを眺めながら、一つだけ気になることがあることを発見し、携帯画面を見せながら、先輩たちに質問していた。
「私も、行くのはいいんですが、これ、どのみち名古屋とか大阪通りますよね」
地図アプリのナビルートによれば、どのルートでも名古屋と大阪の都市圏は避けられそうにない。
その上、この辺は、ごちゃごちゃしていて、いかにも「混みそう」な予感がしていた。
琴葉先輩と花音ちゃんが、同じく自分の携帯からルート検索をしていた。
そして、しばらくして、
「それなら、伊勢湾フェリーを使って、鳥羽に渡ればいいわ」
琴葉先輩が先に提案した。
「伊勢湾フェリー?」
彼女が地図アプリを見せて、説明してくれた。
通常なら、名古屋と大阪の都市圏は避けられない。
だが、予想通りその辺りの、人口密集地帯は、どうしても「混む」。ましてや夏休みなら尚更だ。
そこで、中央高速道路経由ではなく、東名高速道路か新東名高速道路経由で、愛知県の渥美半島に行き、その突端にある
これなら、確かに少なくとも「渋滞」は避けられる。
それに、私は父から聞いて、予備知識として、
「名古屋のドライバーは運転が荒い」
と聞いていた。
その意味でも、また海の上をバイクを乗せてもらい、フェリーで渡るという、私にとって初めての体験に心が躍っていた。
「それで行きましょう!」
真っ先に私が賛成していた。
琴葉先輩は頷き、なんだかんだで真面目なところがある、花音ちゃんと二人で、当日のルートや宿泊場所などを決めた後、後で連絡するということになった。
私にとって、高校2年の夏休みが始まる。
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