8湯目 怪我に効くお湯を求めて
こうして、次の日曜日に、長野県の松代温泉に向かうことになったのだが。
その前にもちろん、私は病院に行ったのだった。左足のくるぶし辺りの皮膚が紫色に腫れていたし、痛みも増していたからだ。
結果的に、外科医の診断結果は。
「打撲。全治1~2週間くらい」
というもので、骨までは行ってなかった為、湿布と痛み止めをもらい、テーピングをしてもらうのだった。
さすがにこの件では、バイクに乗ることに反対していた、母には大いに怒られた。「もう乗るな」とまで言われたが、父がフォローしてくれたお陰で何とか助かるのだった。
しかも、そのことを話した時に、父が意外なことを聞いてきた。
「瑠美。その夜叉神って子。お父さんはレーサーじゃないか?」
「えっ」
「ほら」
そう言って、父は自分のタブレットを私に見せた。
そこに映っていたのは、250ccのレーサーレプリカに乗り、走る画像と、優勝トロフィーを掲げて笑顔を見せる、中年男性の姿が映っていた。そこに大きく名前が書いてあった。
「夜叉神
何気なくそう尋ねていた私に対し、私の想像のはるか上の回答が降ってきたのだった。
「ああ。俺の同級生だ」
「えっ、同級生? マジで?」
「マジで」
「じゃあ、お父さんの同級生の娘と一緒の学校ってこと?」
「ああ。いや、まさかあいつの娘と、自分の娘が同じ学校、しかも同じ同好会になるとは思わなかったな」
「向こうはお父さんのこと知ってるの? 私のことも?」
立て続けに質問を浴びせる私に、父は笑って答えた。
「もちろん、桐人は知ってるよ。お前が小さい頃、ウチに遊びに来たこともあるしな。確か、お前、懐いてたぞ」
とは言われても、さすがに小さな頃すぎて、まったく覚えてはいなかったが。
父によると、その花音ちゃんの父親の桐人さんは、若い頃はなかなかのイケメンでモテたらしい。
確かに、中年の年齢に差し掛かる今でもイケメンの面影はあった。
その娘だからこそ、花音ちゃんは可愛い容姿をしているのだろう。娘はよく父親に似ると言われるから。
そんなことがあって、ものすごく意外だったが。
翌日、当校時に、たまたま駐輪場で花音ちゃんに出くわしたから、聞いてみたら。
「ええ。実は最初から知ってましたよ。父の友人に、大田さんという方がいるから、もしかしたらと思って聞いたら、あなたがその娘でした」
「どうして教えてくれなかったの?」
父同士が知り合いということはもちろん、彼女の父が現役レーサーであることも彼女は一言も話していない。
「聞かれませんでしたから」
溜め息を突く私と裏腹に、彼女はマイペースだった。
反面、一応、気にしているのか。
テーピングをして、かろうじて原付で登校した私の脚を気にしてくれていた。
「足、大丈夫ですか?」
「ありがとう。ただの打撲だよ」
結局、次の日曜日に、私はその温泉に行くことになったが。
フィオの後ろに乗るというだけなのに、心なしか気持ちは緊張していた。同時に、少しだけ昂っていた。
何しろ、フィオは相変わらず、綺麗で可愛いのだ。
バイクのタンデムは、想像以上に「密着」するから、女の子同士とはいえ、少し緊張してしまう。
そう思って、待ち合わせ場所まで歩いて行ったら。
「瑠美!」
いつもは、一番遅れてくるフィオが一番最初に来ていた。
深紅のレーシングスーツ上下を着た彼女が、ポニーテールを降ろしたストレートの綺麗な髪を風になびかせて手を振っていた。
「フィオ。早いね」
「うん! だって、瑠美とタンデム出来るんだヨ! 楽しみでネ!」
素直で可愛らしい彼女は、喜びを全身で表現する。
もちろん、私は悪い気なんてしない。
むしろ、これがフィオで良かったと思う。
まだ免許取得から1年どころか、1か月も経っていないから、あり得ないが、このタンデムの相手が、もしも「花音ちゃん」だったら。
速すぎて、振り回されて、目を回しているかもしれない。
ところが、私の安堵の気持ちとは裏腹に。
やって来た、その小さな後輩は。
フィオとは色は違うが、同じように全身を白いレーシングスーツ上下で包んでいた。
おまけに、フィオと並んで、出発前に何やら会話を始めたかと思いきや。
「フィオ先輩。どっちが先につくか競争です」
「いいネ! 望むところだヨ!」
売り言葉に買い言葉。すっかりフィオも乗り気になっていた。
いつの間にかやって来ていた、まどか先輩と琴葉先輩を差し置いて、二人は二人の世界に入っていた。
(ヤバい!)
思った時にはもう遅かった。
―グォオオーン!―
―クゥイイーーン!―
CBR250RRの特徴的な水冷2気筒の音、そしてそれよりさらに特徴的な同じく水冷2気筒ながら、Lツインと呼ばれるエンジンフレームを有する、独特のエンジンを響かせるモンスター。
両者が、早くも共演して、競い合っていた。
「フィオ! 花音! あんまりスピード出しちゃダメよ!」
という、琴葉先輩の声も、集中する2人の耳には聞こえてないようだ。
「とりあえず、松代温泉の保養施設が待ち合わせ場所な!」
会長のまどか先輩は、もう二人の争いについては、静止することもせず、諦めているらしい。
2台のマシンが、スタートと同時に一気に加速する。
フィオの背中にしがみつき、腰に手を回した私は。
フィオの身体から漂う、柑橘系の清々しい香りに、心地よく身を委ねるような余裕もなく、急激に真後ろに引っ張られ、慌てて腰を掴む手に力を込めていた。
急加速した2台のマシンは、競い合うようにして、甲州街道を駆け抜けるのだった。
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