第5話:破壊

 メアリーの部屋という思考実験がある。メアリーという女の子は生まれてから一度も外に出ず、白黒以外の色を見たことがなかった。しかし、知識だけは持っていてその色がどういったものとか、使い方は知ってる。そんな彼女が色のある世界に出た時、新しく知ることはあるのだろうか?というものである。ワタシにはそもそもが破綻していると思う。なぜならそれがどういうものか知ってても、自分の想像できないものじゃ身につかない。それにその色をちゃんと認識しなきゃ知ることもできないと思うなぁ。


 ◆◆◆


 さとりは気づくと病室にいた。白い壁に囲まれた空間にベッドがあり、そこで寝かされていたようだ。


「ここは?」


 辺りを見回す。病院にいるらしい。

 でもなんでここにいるんだっけ?

 思い出そうとするけど、うまく記憶を呼び起こせない。

 すると突然声をかけられた。


「さとりちゃん!」


 そこにいたのはあかりだった。さとりはあかりの顔を見て安心した。なんだか懐かしい気分になる。あかりは涙を流しながら抱きついてきた。


「あかりちゃん……」


 さとりは戸惑いながらも優しく抱きしめ返す。さとりの鋼の左腕の硬さと生身の右腕の柔らかさがあかりを包み込む。あかりは泣き止むと顔を赤くしながら離れた。

 そういえばここってどこだろう?

 見渡す限り白一色だ。部屋の大きさは大体十畳くらいかな。広さ的には普通の個室といった感じだ。そして目の前にある扉は外に繋がるドアだった。

 すると、誰かが扉を開けて入ってきた。


「あら、酒津さん起きたのね」


 入ってきたのは双人だった。つまり、ここは双人研究所である。そう認識すると同時にさっきまでの事を思い出し始めた。

 そうだ、あかりちゃんとデートしてて公園で休んで話していたらそれから……。それからの記憶がない。気がついたらこの部屋にいて、あかりちゃんがいた。一体何があったんだろうか?

 さとりは自分の状況がわからなかった。もっと言えばどうして双人研究所に運ばれたのか。それすらわからなかった。

 あかりの方を見ると彼女はまだ泣いていた。よっぽど心配させてしまったらしい。申し訳ない気持ちになった。悟りを見かねた双人が答える。


「あなた、幻覚を見て倒れていたのよ?」

「えっ……」


 幻覚。

 ボイジャーの不具合による装着者への被害である。それがさとりのボイジャーにも同様のことが起きていたらしい。

 しかし、さとりには自覚症状が全くなかった。そもそも、さとりは今までそんな体験をしたことがなかったからだ。だから自分の身に何が起きたか全く理解できなかったのだ。


「双人博士、ワタシ幻覚なんて見てません。変なのなんて全く見てません! 本当です、信じてください!」


 必死に訴えかけるさとりだったが、双人は首を横に振った。

 これはまずい事になったぞと双人は思った。もしこのまま放置したら、また幻覚を見て更なる悪化の可能性がある。そうなればもうおしまいだ。双人は考えて一つの結論を出した。


「酒津さん、入院してみないかしら?」

「入院ですか……?」

「そうよ。双人研究所で入院して幻覚の対策をするのよ」

「なんでですか、ワタシは元気ですよ?」

「それはあなたの錯覚かもしれないわ。病魔というのは案外、患者の知らない内に忍び寄っているものなのよ。だから念のため、検査をしてみる価値はあると思うわ」

「でも、入院っていつまでするんですか?」

「うーん、そうね。バックアップトークンつけても、まぁ一ヶ月くらいかしら」

「そんなに長く!?」

「大丈夫よ。私がちゃんと見ておくから」

「はい……」


 こうしてさとりの入院が決まってしまった。双人はさとりの両親に電話をして、退院するまで娘さんの面倒を見ますと言っておいた。


「はぁ、退院できたと思ったらまた入院かぁ。ちょっと外に出ようと」


 さとりは病室から出ると、双人に呼び止められた。ついてきて欲しいと言われた。双人の後についていくとそこは別の病室だった。中に入ると、以前話しかけられた少女がいた。

 少女はベッドに座って本を読んでいた。機械の右手は相変わらず無機質に見える。彼女はこちらに気づくと本を閉じて目線をさとりに向ける。


「あっこの間の人……」

「あの時の女の子……」

「あらっ二人とも知り合いなのね」と双人が言った。


「あ、いえ、前にここで会っただけです」

「ワタシもです」

「そっかぁ、なら紹介がいるわね。彼女はあなたと同じボイジャーの幻覚作用で入院している患者の江草つぼみさんよ」


 双人はさとりに彼女を紹介した。さとりは「酒津さとりです」と挨拶をすると、彼女は会釈した。そして、少しだけ微笑んだように見えた。どうやら悪い子ではないようだ。おとなしいようで小声で何か言ってる。


「あっごめんなさい。江草、つぼみ、です。その、よろしく……」

「あっうん。よろしく」


 会話はそれで終わった。沈黙が流れる。双人はそれを見て苦笑いを浮かべた。


「うふふ、酒津さん。あなたしばらく入院することになるんだから、仲良くしてね」

「ワタシ子どもじゃあ」

「高校生も立派な子どもよ。でも私は好きだけどね」

「うげぇ」


 さとりは心底嫌そうにした。双人はそれを見ても笑っていた。


「そうそう、なんでここに連れてきたのかというと、江草さんの右手に付いてるバックアップトークンについて話そうと思ったからよ。ほら、これよ」


 双人はそう言うとポケットの中からカードチップのようなものが出てきた。これがバックアップトークンというものらしい。


「これは?」

「簡単に言えば、装着者の記憶を読み取り幻覚から守ってくれる装置よ」

「記憶? それってどうやって読み取るんですか?」

「ああ、それなら心配しないで。装着したら義肢を通して脳から情報を読み取るから」

「えっ……」


 さとりは困惑していた。つまり、このバックアップトークンというのがあれば自分は幻覚に困らなくなるということだろうか。


「そうね、そういうことになるわね」

「すごいですね。それ……」

「ええ、ただ……これはあくまで幻覚からの保護であって幻覚そのものやボイジャーの誤作動を止めるものじゃないわ」


 双人が説明を続ける。

 例えば、さとりの左腕に装着されている場合、さとりが見たくない幻覚を見た時にそれをブロックしてくれる。しかし、さとりの幻覚自体は防ぐことができない。

 だから、さとりの幻覚症状が完全に治まるわけではないのだ。また、これはあくまでも一時的な処置である。完全な解除方法が見つかるまでは、バックアップトークンで幻覚を抑えるしかない。

 さとりはボイジャーの誤作動が解除できるまでしばらくは、双人研究所のお世話になることになる。それは、さとりにとってあまり嬉しくない事態だった。

 さとりは早く、会いたかった。

 祥子ちゃんに早く、早く……でもなんでだっけ?

 さとりはなぜ祥子に会おうと思っていたのか分からなくなっていた。思い出そうとすると頭が痛くなる。

 でも、きっと大切なことなのだ。だから忘れてはいけないはずなのに……。

 でも、今はあかりがいるから大丈夫。大丈夫なのだと自分に言い聞かせる。そういえば、さとりには気になっていることがあった。


「つぼみちゃんはバックアップトークンをもう付けたの?」

「はい……」


 つぼみは静かに答えた。さとりは少し驚いた。双人はさとりに説明してくれた。


「江草さんは病気で右手を失ってしまってね。それでここに来たんだけど、この間のニュースのせいで急遽ここに入院することになったわ。バックアップトークンも早く来たから江草さんは一番に付けてもらったの」


 なるほど、とさとりは思った。確かにボイジャーの誤作動の危険に晒されるのは怖いから、彼女だけでも早くバックアップトークンを付けたということか。そう考えると、さとりは自分が今こうしてここにいるのが奇跡に思えた。あの時、自分は幻覚を見ていることを自覚してなかった。しかし、こうして対策してくれるから安心できる。それにしても、右手を失ったとは一体どういう状況なのだろう。彼女はどんな幻覚を見るのだろうか。

 そんなことを考えていたら、つぼみが話しかけてきた。


「あの、酒津さん……」


 彼女の声はとても小さかったが、しっかりと聞こえた。

 どうやらつぼみが質問してきたようだ。

 なんだろうと思い、耳を傾けてみる。


「どうして、左手だけ機械化してるんですか?」

 さとりは自分の左手を見ながら考えた。そして、自分の過去を思い出しながらつぼみにこう言った。


「ワタシは事故で左腕を失くしたの。それでね、それで……」


 さとりの声がだんだん小さくなっていった。不思議なことに目に涙が溢れていた。それに震えも止まらない。

 そして。

 後ろに倒れ込んだ。


 ◆◆◆


 さとりは目を覚ました。そして自分の部屋にいることがわかった。

 夢だったのかな?

 さとりは自分の体を見た。いつもと変わらない自分の体であった。

 ベッドを降りて机に向かった。勉強を始めようとしたが何も手につかなかった。

 ふと、窓の外を見ると空は晴れ渡っていた。

 さとりはその青空を見ながら思った。自分は一体何をやっているんだろう? さとりは何かとても大切なことを忘れているような気がした。しかし何を忘れたのか思い出せなかった。

 そんなことを思っている時だった。部屋の扉が開いた。そこには見慣れない少女がいた。

 あれっ? 誰だろうこの人……。

 さとりはそう思いながらも聞いた。


「あの……どちら様ですか?」


 すると彼女は答えた。


「私はあなたを、ーーしにきました」


 言っていることがよく分からない。しかもよく見ると祥子に似ていた。しかし、体中がツギハギだらけだった。まるで人形みたいだとさとりは思った。

 そこでさとりは思い出す。

 あかりちゃんに会いに行きたいんだった。でもどうしてこの子から目を離せないんだろう。なんでこんなにも胸がざわつくのだろう。


「ワタシ、あなたこと知らないしそんなこと言われても困るよ」

「そうですね、困りますよね。あなたはーーじゃないですか。でもここじゃ解決できない。もっと別のところに行かなくてはいけません」

「えっ?」


 目の前の少女は何と言ったのだろう。全ては聞き取れなかったが、なぜか体が反応していた。


「ほら、行きましょう」


 そう言って、少女は手を差し出してくる。さとりは無意識のうちにその手を取っていた。

 そして、二人は消えた。

 部屋には誰も残らなかった。


 ◆◆◆


 さとりが気づくとベッドの上に寝かされていた。ここはどこなのだろうと辺りを見回すとそこは病院の一室だということが分かった。さとりはなぜ自分がここにいるのかという疑問を持った。

 確か、双人博士と一緒につぼみちゃんの病室に行っててつぼみちゃんに説明する途中だったはず……。でもそこからの記憶がない。気付いたらここで寝ていた。


「あぁ、目が覚めたかしら」


 双人博士は心配そうな顔でこちらを見つめている。そして彼女はさとりが起きたことに気づくと安堵の表情を浮かべて話しかけてきた。


「よかった、無事目覚めたみたいね。急に倒れたから心配して検査したら、幻覚を見てたようね。だから急遽、予備のバックアップトークンを付けたわ。これで一先ず安心ね」


 さとりは一瞬、何を言われているのか分からなかった。そして少し経ってようやく理解することができた。

 そうだ、ワタシはつぼみちゃんに説明しようとしたんだ。それで、つぼみちゃんに左腕を見せた時にどうも倒れていたみたいだったけど。

 どうやら、心配になった双人博士がバックアップトークンを予定よりも早く付けてくれたようだ。さとりはそのことを感謝しながら「ありがとうございます」とお礼を言った。すると双人博士は嬉しそうに笑った。さとりも笑顔で返した。

 その時だった。

 後ろの扉が開く音が聞こえた。

 そこにはあかりの姿があった。

 あかりはさとりと目を合わせると、すぐに抱きついて来た。そして泣きながら謝っていた。

 さとりは訳もわからず混乱していたが、とりあえず落ち着かせることにした。まずは話を聞くために双人に席を外してもらおうと思い双人の方を見る。

 すると、双人はすぐに分かったようで部屋を出た。そして、扉を閉める前に「あと、ちょっとだけならいいよ」と言ってくれた。


「さとりちゃん、生きててよかった。本当にごめんなさい。私が見ていなかったばっかりに……」

「大丈夫だよ、ワタシはもう元気だし」


 あかりはそれでもずっと泣いていた。しばらく経った後、やっと落ち着いてきたので聞いてみた。

 しかし、なかなか口を開かなかった。仕方がないので待っていると、ようやく話し出した。

 どうやら、さとりが突然倒れたと聞いたので、死んだと思っていたらしい。そして、さとりが死んだと思ったあかりは、パニックになり、泣き崩れてしまったようだ。しかし、死んではいなかったので安心したのか、今度は号泣し始めたとのことである。

 しばらくして、なんとか落ち着いたので、本題に入る。


「さとりちゃん、私さとりちゃんに謝りたいことがあるの」

「うん、何?」

「……私、さとりちゃんのことが好き。でも、もう恋人としてじゃなくて友達だけどね」


 あれ? どういうことなんだろう。確かに今は恋人じゃない。でも、いずれなる予定だったはず。なぜ、今言う必要があるんだろう。それに、あかりちゃんはあれだけワタシのことを好きだと言っていたのにどうして……。

 さとりは意味が分からないといった顔をしていた。それを察してくれたのか、あかりが説明を始めた。


「さとりちゃん、やっぱり大事なことを忘れてるね。変だと思うよ」

「えっ……?」

「なんで急に私の告白を受け入れたの?」


 そういわれれば、なぜかあかりちゃんの告白を受け入れた気がする。でも思い出せない。何かあっただろうか。


「忘れてるんだね、そっか。まぁ仕方ないよね。だって祥子ちゃんのこと忘れてるもんね」


 祥子ちゃん? ワタシ、何か忘れていたかな? 確か、祥子ちゃんはいなくなって、あかりちゃんに告白されて……。あれ? そういえば、なんでワタシ、祥子ちゃんのこと探していたんだろう。うーん……よくわからないや。


「やっぱり祥子ちゃんのこと忘れてる」


 あかりはため息をつく。さとりは身に覚えがなくて困惑していた。そんな様子を見て、またもやため息をついた。

 すると、あかりはさとりの手を握り、真剣な顔でこちらを見つめてくる。

 そして、さとりに告げる。


「さとりちゃん、祥子ちゃんのことが好きだったじゃない。私のことを好きになってる暇はないはずだよ」


 祥子ちゃんのことが好き……? あれ、ワタシあかりちゃんのことが好きだった……ような。……どうしてだろう、何かが書き変わってる気がする。なんで? ワタシ、祥子ちゃんとあかりちゃんがどっちが本当に好きだったっけ?

 本当はーー。


 ◆◆◆


「ああそうか、そういうことだったのね」


 ツギハギだらけの姿をした祥子らしき少女が呟く。さとりは呆然と見ていた。少女の手はあかりの肩を掴んでいた。あかりは掴まれているにも関わらず無表情だった。少女はあかりを離してさとりに近づく。さとりは彼女に怯えていた。祥子の見た目をしているはずなのに祥子の気配が微塵たりもしてなかった。そして、少女はさとりの目の前まで来て、口を開いた。


「あなた……」


 その声はさとりの記憶の中にある祥子とそっくりだった。

 しかし、中身は全く違う。

 そう、まるで別人のように。

 少女はさとりに問いかけた。


「酒津さとりになりすましているわね」

「え?」


 一瞬何を言っているのかわからなかった。さとりは自分はさとりだと信じて疑わなかった。いや、疑う余地などないはずである。しかし、祥子の姿を別人はさとりを否定した。さとりは訳がわからなくなっていた。

 すると、彼女は答え合わせをするかのように続けた。


「あなた、左腕が生身ですよね?」


 左腕が生身?

 さとりはますます分からなくなった。確かに今のさとりの左腕は生身である。だが、それがどうしたというのだ。彼女の発言の意図が全く理解できなかった。さとりの様子を見て、彼女が続けて話す。


「本物の酒津さとりは左腕が機械になっています。それどころか、AIを搭載しているんですよ」


 さとりは混乱していた。

 この人は一体何が言いたいんだ。さっきも言った通り、ワタシはワタシだ。それ以上でもそれ以下でもない。


「ちが」


 さとりは否定しようとした。しかし、それよりも早く彼女が喋った。さとりが言おうとした言葉を遮るように。


「あなたは偽物の酒津さとりです。酒津さとりを蝕む為だけに生まれた哀れな存在です」


 違う。


「本物の酒津さとりの精神を奪う為に造られた偽物の人格」


 違う、違う!


「あなたは酒津さとりの精神を奪った後、彼女になりきって生きようとしてます」


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがはやかよこけよなやはわ!!

 さとりの思考がおかしくなり始めた。もう自分が誰なのかさえわからなかった。ただ、ひたすらに頭の中で否定し続けていた。

 そんなさとりを蔑むことなく彼女は言い続ける。



「本物の酒津さとりはどこにやったのですか」

「知らない……」


 さとりにはそんなこと知る由もない。そもそも自分は酒津さとりだと認識していた。その本物の酒津さとりなんて知っているわけがなかった。


「なら、あなたの知ってる情報を吐きなさい」

「知らないって言ってるの!! 祥子ちゃんと同じような見た目をしている癖に、ワタシのこと偽者って呼ばないでよ!!」


 さとりは大声で叫ぶように反論した。

 そうだ、ワタシはさとりなんだ。ワタシは、ワタシは……あれ、ワタシは誰? なんで、思い出せないんだろう。

 さとりは自分の記憶を探ろうとする。すると、急に激しい頭痛に襲われて膝をついてしまう。それでも痛みは収まらない。まるで脳を直接殴られているかのような衝撃だった。そしてさとりはその苦痛の中何かを思い出した。それは大切な何かだった。さとりはそれを必死に忘れまいと抗うが無駄であった。

 その時、ふと思い出した。

 そこには、さとりと全く同じ顔をしていた人物がいた。しかし、その人物は左腕がなかったはずである。

 あれ、ワタシはどうしてそれを鮮明に覚えているのだろうか。

 さとりは次第に薄れていく意識の中に疑問を感じた。しかしその答えを考える余裕すらもなかった。さとりは地面に倒れる。

 薄れゆく意識の中、目の前にいる祥子らしき少女の足が見えた気がした。

 さとりの姿が薄らいでいくのを彼女はずっと見ていた。さとりは完全に消えて無くなった。すると、彼女は溜息をついた。


「この酒津さとりは偽物なのに何も知りませんでしたね」


 彼女はどこを探そうかと考えた時、ある一つの場所を思い浮かんだ。


「やはり、あそこなんでしょうか」


 彼女の目的はあの場所にしかないと思った。その場所に向かって行った。

 彼女はある場所に辿り着いた。

 その場所は夏瀬駅と葵駅の間にある踏切だった。

 彼女は辿り着くと踏切の向こう側を見つめた。そこにいたのは一人の女の子だった。女の子は遮断機を眺めながら立っていた。彼女は呟く。


「やっと見つけた」


 次の瞬間、電車が走ってきた。それに気づいたのか女の子はこちらに振り向く。

 その女の子は、さとり本人だった。左腕がないこと以外は偽者と瓜二つである。しかし、さとり本人は彼女の姿が見えていないようで、ただ立ち尽くしているだけだった。

 電車が通り過ぎると遮断桿が上がる。

 さとりは踏切を渡ろうとはしない。彼女はそれを見て自ら踏切を渡る。彼女はさとりの正面に立つ。

 さとりは何も反応しなかった。

 彼女はさとりの顔を見ながら言った。


「帰りましょう、酒津さとり」


 さとりの無いはずの左腕を掴む。虚空を掴んでるはずなのに質感はしっかりとあった。さとりの様子を見て、少し笑みを浮かべた。

 さとりは抵抗する様子もなく、そのまま引っ張られるようにして連れて行かれる。

 二人が踏切を渡り切ると遮断機が鳴り響き、再び遮断桿が降りる。さとりはようやく意識を取り戻した。


「えっ!?」


 さとりは驚いて声を上げた。自分は先程まで病室にいたのに、いつのまにか踏切前に立っていたのだ。それに祥子らしき少女がいる。しかし、ツギハギだらけの姿であり、本物かどうか怪しかった。


「祥子ちゃん……?」


 さとりが恐る恐る聞く。祥子の姿を模った何者かは表情を変えることなく、さとりの方を振り向く。


「……」

「やっぱり祥子ちゃんなの?」

「……違います」

「でも!」


 さとりは何か言おうとした。すると、目の前の少女が遮るようにして言葉を発する。


「私が誰かなんて、そんなのどうでもいいのです。重要なことは、あなたを守れるのは私しかいないということです。私が、あなたの盾になる。だから、安心してください」

「どういうこと? 守るって……」

「今は気にしないでください。それより、行きましょうか」


 少女は歩き出す。さとりもそれに続く。二人はどこかに向かって歩いて行く。


「ねぇ! どこに連れて行く気なの!?」

「……」


 少女は黙って歩く。さとりもそれに従うように歩いた。しばらく歩いていると、あることに気付く。自分の左腕がないことに。さとりは驚き、慌てる。


「何これ!? ワタシの腕がないよ! どうして!?」


 さとりは混乱しながら言う。少女は表情を変えないまま、さとりに答える。


「大丈夫です。落ち着いて下さい。その腕は、時期に出てきます」

「そうなのって、ここって……学校?」


 二人が歩いていた先は学校だった。さとりが通っている高校の校舎である。

「はい、ここはあなたが通っている学校ですよ」

「ワタシは、ここに用事があったのかな」

「それは、入ってみれば分かります」


 さとりは不思議に思いながらも、校内に入っていく。そして、下駄箱から靴を取り出して履いた。さとりは階段を上がって教室に向かった。

 さとりは廊下を歩きながら考えていた。なぜ自分がこの学校に来ているのか。さとりは祥子と二人での記憶が思い出せなかった。


「ワタシは何のために生きているんだろう」


 さとりはそう呟く。

 さとりは教室の扉を開ける。そこはまるで映像にノイズが走ったような砂嵐がそこら中に巻き起こっていた。そこには誰もいない。黒板には文字が書いてある。


『現実では無い存在こそ、人を救える』


 さとりはそれを見た瞬間、吐き気がした。


「うっ……気持ち悪い」


 さとりはその場でしゃがみ込む。


「これは、一体なんなんですか」


 少女には全く理解できなかった。すると、さとりが頭を抑えながら答える。


「これ……きっと……祥子ちゃんが……」

「若木祥子が?」


 さとりはゆっくりと立ち上がる。彼女はあることに気づいた。それは、机や椅子が全て歪んでいたことだ。さとりは教室を見渡すと、一つの席に目を向ける。その席は窓際の一番後ろにある。その席に座ると、景色が歪む。さとりはその光景を見て驚く。その景色は、最早現実ではないものと認識できた。その時、さとりは気付いた。

 ワタシが今見ている世界は、全て幻覚なんだ。

 さとりは全てを悟ったかのように、無表情になる。彼女はそのまま立ち尽くす。少女は心配になり、話しかけた。


「大丈夫ですよ。あなたには幼なじみがいますし、私もいます。安心してください」


 少女はさとりに優しく抱きしめる。さとりは抵抗することもなく、ただされるがままにされていた。さとりは少女の温もりを感じながら思った。

 この子、祥子ちゃんじゃないはずなのに祥子ちゃんみたいに感じる。なんでこんなにも暖かいんだろう。心に空いた穴が埋まっていく。

 さとりは涙を流しながらあることに気がつく。


「左腕……」


 なんと、何もなかった左腕が今の機械の腕になっていた。さとりは驚きを隠せない。


「ああ、左腕を取り戻したのですね」


 少女は嬉しそうに言った。さとりは困惑しながらも、左腕を動かしてみる。


「あれ? 普通に動く」

「それは良かったです」


 少女は微笑みながら答えた。さとりは自分の体が元に戻ったことで、安堵する。周りをよく見ると、ノイズのような歪みもなくなっていた。そして、黒板に書かれていた文字も消えていた。

 少女はさとりと向き合うように座った。さとりは少女の顔を見るとやはり、祥子とどこか似ている気がした。

 しかし、そんなことを気にしている暇はない。今、何が起きてるのか分からないがとにかく脱出しなければならないだろう。さとりはこの空間から抜け出すために少女の手を取り立ち上がった。

 その時だった。

 ゴトッ!

 何かが落ちるような音が聞こえてきた。さとりは何事かと思い振り返るとそこには、先ほどまであったはずの机と椅子がなくなっており床には大量の砂のようなものがあった。さとりは不思議に思い、辺りを見渡すと教室にあったはずのものは全て無くなっていた。

 一体、何が起きたんだろう?

 さとりは混乱していた。しかし、隣にいた少女だけは冷静で落ち着ているように見えた。まるで、こうなることが分かっていたかのように……。その少女は砂山に近づく。

 そして、手を伸ばしてその砂を手に取る。

 その瞬間、さとりの目の前が真っ暗になった。意識を失いそうになった時、さとりは少女の声を聞いた。


「私はあなたのそばにいます。だから、安心して眠ってください」


 その言葉を聞き、さとりは眠りについたのだった。

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