四章

〝美しいヒト〟(1)

 家に着くとさっそく女の子をベッドに寝かせた。ブリュンヒルト号に運び込むのも家のベッドに寝かせるのもすべて、トゥナが自分でやった。もはや、キオには一瞥もくれようとはしなかった。キオは見捨てられた子イヌのようにオロオロしていたけど、そんなことには構わなかった。あまりに腹が立っていたのでそれどころではなかったのだ。

 幼い頃から農作業をしていたので女の子ひとりを抱えて運ぶぐらいの力はある。何より、女の子は驚くぐらいに軽かった。一〇歳児にしても軽すぎる。

 ――そう言えば、〝美しいヒト〟は扱いやすくするために骨量も筋肉量も少ないように作られていて、そのせいで体重も軽いって聞いたことがあったっけ。

 そのことを思い出してトゥナは腹が立った。キオに対する怒りの炎がまだ燃えあがっていたところだったので、怒りの相乗作用で暴れ出しかねないぐらいだった。

 両腕で女の子を抱えていなければ実際に暴れて、辺りのものを壊しまくっていただろう。それぐらい、怒り心頭に達していた。

 女の子をベッドに寝かせると、汚れ、あちこち破れている服を脱がせ、きれいなお湯で体を拭いた。見てみると陶器のような肌のあちこちにこまかい傷がある。

 「……何日も森のなかを逃げ回っていたのね」

 トゥナは同情を込めて呟いた。〝美しいヒト〟の運命に悲しみ、そんな運命を押しつける人間――自分の同種だ!――の悪逆非道ぶりを恥ずかしく思った。

 女の子はこまかい擦り傷や切り傷以外にはこれといった外傷はなかった。頭を打った様子もない。それでも、一向に目を覚まさない。よほど疲れているのか、それとも、精神的なショックでも受けているのだろうか。

 トゥナはメディカルマシンで女の子の体調をチェックした。野恵農場は町から離れた森のなかの農場だし、トゥナはバイオハッカーなので、その程度の設備はある。

 ――飢え、渇き、極度の疲労。他にこれといった外傷はなし。

 ――弱ってはいるが生命に別状はない。

 ――ゆっくり休ませ、栄養を補給すれば回復する。

 メディカルマシンのその診断にトゥナはホッと一息ついた。とにかく、いまはこのまま寝かせておこう。すべては女の子が目を覚ましてからだ。

 そう思い、女の子に自分のパジャマを着させた。トゥナは決して大柄というわけではない。いたって平均的な体格だ。それでも、一〇歳児よりは当然、大きい。まして、この女の子は歳の割に小柄な方だ。着させたはいいが大きすぎてブカブカだった。手も足も大きくまくらないといけなかったし、その姿がまるでおとなの女性が寝ている間に、魔法によって子供に変えられてしまったようで……とにかくかわいい。

 萌え!

 思わずそう叫びたくなる姿だった。

 「……ああ、かわいい?」

 と、語尾に『?』マークを付けてトゥナは呟いた。頬に手を当ててため息をつく。

 思いきりむしゃぶりついて、キスの雨を降らせたいぐらいだった。

 「……ほんと、怖いわ。〝美しいヒト〟って」

 体が冷えないよう肩口まで布団を掛ける。ちょうどそのとき、キオが一馬の訪れを告げた。

 「わかった。キオ」

 「な、なに……?」

 声をかけられてキオの表情が輝いた。その態度がまるで、放っておかれてさびしがっていた子イヌが声をかけられてはしゃいでいるときのよう。それを『かわいい』と思う女性もいるのだろうが、あいにくトゥナはそう言うタイプではなかった。

 ――まったくもう。いい歳して何でこう子供っぽいのよ。

 ロボットに外見通りの精神年齢を求めるのがまちがいだろうに、そう思って腹を立てるトゥナだった。とは言え、いま、自分以外に女の子の世話を頼める相手はキオ以外にいない。

 「この子をお願い。気がついたらすぐに知らせて」

 「わ、わかった……」

 そう答えたときのキオの表情は実に複雑だった。トゥナに頼られた嬉しさ、自分たちの暮らしに入り込んできた闖入者の世話を自分がしなくてはならないことへの抵抗感、それらが混じり合って秒刻みで表情がコロコロ変わった。あいにく、トゥナはそのことには気がつかなかった。声をかけるとすぐに背を向けて玄関に向かったので。

 玄関は開かれており、すぐそこに騎士団の制服に身を包んだ一馬が立っていた。

 「行き倒れの女の子を拾ったって?」

 トゥナの姿を見るやいなや、一馬は食いつくような勢いでそう尋ねた。いかにも職務熱心な一馬らしい態度だった。

 「ええ。森のなかでね。いま、ベッドに寝かせているわ」

 「会わせてくれ。事情を聞かないといけない」

 トゥナは胸の前で両手の人差し指を合わせて×印を作った。

 「ダメ。会わせられない」

 その言葉に一馬は怪訝な表情を浮かべた。

 「会わせられない? なぜ?」

 「〝美しいヒト〟なの」

 〝美しいヒト〟。

 その言葉を聞いたとたん、一馬の表情がさっと変わった。怯えた表情になり、顔をそらした。

 「そ、そうか……。なら、おれが会うわけには行かないな」

 『会うわけには行かない』のではない。

 『会いたくない、会うのを怖れている』

 それが一目でわかる態度だった。

 無理もない。〝美しいヒト〟と言えばその魔力めいた魅力によって、出会う男すべてを性犯罪者に変えてしまうことで有名なのだから。誠実な男であればあるほど、会うことを怖れるようになる。

 「そ、それで、その子はまだ眠ったままなんだな?」

 「ええ。いまはキオが見てくれているわ」

 「キオだって⁉ あいつだって男じゃ……ああ、そうか。あいつはロボットだったな」

 そのことを思い出して一馬はようやく落ち着いた。そもそも、キオが人間の男だったらトゥナとふたりで暮らすことなど許しはしない。ぶん殴ってでも追い出している。

 「そう。あのヘタレロボットがね」

 トゥナはむくれた表情でそう言った。あまりに棘のあるその言い方に一馬は目をむいた。いままでキオのことをこんな風に言うのは聞いたことがない。

 「それで、どんな様子なんだ? 医者には連絡したのか?」

 「メディカルマシンでチェックしたわ。外傷はないけど極度の飢えと渇き、それに疲れ。どうやら、森のなかを何日もうろつき回ったみたい」

 「そうか……」

 一馬は深刻な表情でうなずいた。

 「体付きは七~八歳ぐらい。でも、一〇歳ぐらいにはなっていると思う。〝美しいヒト〟は、ほら……」

 トゥナは眉をひそめて言いよどんだ。トゥナが口にできなかったことを一馬が口にした。

 「……扱いやすくするために、わざと食事も与えず小さく育てることが多い、か」

 そう言う口調のなかに押さえきれない義憤が込められている。もし、いま、目の前にその女の子の『飼い主』がいたら、思いきりぶん殴って歯の五~六本もへし折っているところだ。トゥナもまったく同じ思いを込めてうなずいた。

 「わかってるわよね、一馬。〝美しいヒト〟がいる。それが何を意味するか」

 「ああ、もちろんだ。〝美しいヒト〟の作られる目的はただひとつ。性奴隷として売るためだ」

 「そう。〝美しいヒト〟は汚らわしいケダモノどもの性欲処理のために作られる。その〝美しいヒト〟がこの森にいると言うことは……」

 「人間を買い取る卑劣な金持ちから逃げてきた、あるいは、売りさばこうとする犯罪集団が近くにいるか、だ。いずれにしても、森を捜査する必要がある」

 「気をつけてよ。犯罪集団から逃げてきたのなら〝美しいヒト〟があの子ひとりとは思えない。他にもまだいるはずよ」

 「わかっている。下手に騒いで感づかれたら、よくて人質、悪ければみんな殺して自分たちだけ逃げるだろう。そんなことをさせるわけにはいかない。感づかれないよう慎重に捜査するさ」

 「お願いね」

 「ああ」

 一馬はうなずいたが、そこで言葉を切った。トゥナを見た。心配そうなその表情が『妹を気にする優しいお兄ちゃん』のよう。

 「……なあ、トゥナ。やっぱり、おれの家にこないか?」

 言われて途端にトゥナはふくれっ面をして見せた。肩を怒らせて睨んだ。

 「またその話? この三年間、事ある毎に蒸し返して。あいにくだけど、あたしは何があろうとこの農場を出るつもりはありません。毎回、そう言ってるでしょ」

 「それは確かに毎回、聞いてる。けど、今度は事情がちがう。この森のどこかに犯罪集団が潜んでいるかも知れないんだ。しかも、もっとも卑劣な人身売買をするような連中がだ。そんな危険があるのにお前を放っておくなんてできない。せめて、この件が解決する間だけでも……」

 「いやよ」

 トゥナはキッパリと言った。肩を怒らせ、一馬を睨み付けたまま答えた。

 「あたしはここを動かない。あたしがこの農場を出て行くのは死んだときよ」

 実は死んでも出て行く気はない。祖母の墓の隣に埋めてもらうつもりでいる。

 「トゥナ……」

 そこまで言われて一馬もさすがに言葉をなくした。トゥナはつづけた。

 「ここはあたしの家なの。おばあちゃんが切り開き、人生を過ごし、あたしが受け継いだかけがえのない場所。あたしの人生そのものなの。はなれるわけには行かない。犯罪集団が近くにいるかも知れないならなおさらね。もし、ここをはなれている間に、そんな連中に踏みにじられでもしたらたまったものじゃないもの」

 「なあ、トゥナ。おれの気持ちも考えてくれよ。お前に万が一のことがあったら……」

 「そんなに心配なら一馬がここにくればいいじゃない」

 「馬鹿言え! そんなことができるか」

 「何でよ? あたしたち、きょうだいみたいなものでしょ。小さい頃は一緒にお風呂に入った仲じゃない。いまさら、気にすることないでしょ」

 「『きょうだい』と『みたいなもの』はちがうだろ! おれだって男なんだ。女とふたりきりなんてことになったら何をしでかすかも知れない。お前相手にそんなことはしたくないんだ」

 このとき、キオという存在はふたりの頭のなかにはなかった。

 それからもしばらく説得がつづいたが、トゥナは頑として首を縦には振らなかった。一馬もとうとうあきらめざるを得なくなった。

 「……仕方ないな、まったく。お前は昔っから言い始めると聞かないから」

 「そういうこと」

 『ふふん』と、トゥナは勝利の鼻息を鳴らすのだった。

 「とにかく、女性騎士に連絡してその子を引き取りにきてもらうから……」

 「それはダメ」

 「トゥナ⁉」

 「あの子はあたしが見つけたの。あたしが守る」

 「トゥナ! わがままもいいかげんにしろよ。市民の保護は騎士団の仕事だ。一般人に任せてはおけない」

 「市民権がないなら市民じゃないでしょ」

 「そう言う問題じゃないだろ⁉」

 「〝美しいヒト〟は町では人前には出してもらえない。建物の奥でほとんど監禁状態にされてしまう。それじゃ犯罪集団に閉じ込められているのと何がちがうの? ここなら、あたしの他に人はいないから閉じ込めておく必要はないわ。それに、『女性騎士』って言ったけど、女性なら安全ってものじゃないでしょ。むしろ、その方が危険なこともあるじゃない。何しろ、『〝美しいヒト〟は男をケダモノに変える』って言うんで、女たちから憎まれているんだから。そんなの、本人のせいじゃないのに。女たちにひどい目に遭わせられた〝美しいヒト〟も少なくないって聞いているわ。まちがったって、あの子をそんな目に遭わせられない」

 一馬はじっとトゥナの顔を見つめた。トゥナはまっすぐに見つめ返した。根をあげたのは一馬の方だった。ため息をついて折れることにした。

 「……わかった。お前の言うことにも一理ある。確かに、おれも女たちからのイジメに遭って殺された〝美しいヒト〟の話は聞いたことがある。本能に直接、働きかけてくることだから訓練を受けた騎士でもその衝動に耐えられるとは限らないしな。それに、子供を部屋に閉じ込めておくのも気の毒だ。その子はお前に任せる」

 「ありがとう、一馬!」

 トゥナは歓喜の声をあげて一馬に抱きついた。一馬は真っ赤になってトゥナの体を引きはがした。

 「こ、こら、よせ! 離れろ! とにかく、事情聴取は必要だし、女性騎士にはきてもらうからな。それと、くれぐれも気をつけろよ。誰かきてもうかつに出るな。必ず、相手を確かめてからにしろ。セキュリティシステムは常に入れっぱなしにしておけ。何かあったらすぐに連絡しろ。おれも可能な限り、この辺りをパトロールするようにするから……」

 「はいはい、わかったわよ。あたしのことは心配しないでいいから捜査のほう、よろしくね」

 トゥナは片手をあげて『お兄ちゃん』と言うより『お母さん』と化した感のある一馬の言葉を遮った。

 一馬はそれからもさらに何度か念を押してから、ようやく農場を離れた。その間も何度も振り返っていちいち注意する始末。トゥナはその後ろ姿を見送ってため息をついた。『心配性のお兄ちゃん』をもつのは、ありがたいけど少々、疲れる。

 そこにキオがやってきた。

 「かのが……」

 キオは女の子のことをそう呼んだ。

 『彼』、『彼女』と言った性別を特定する表現はすでに一般的ではない。いまでは性別を問わず『かの人』と呼ぶのが普通だ。バイオ3Dプリンタを使っていつでもスペアの体を作り、男にも女にもその他にもなれる時代に性別にこだわっても意味がないからだ。

 何しろ、敬虔な宗教家などは、肉欲から離れるためにわざわざ性器のない体を作り、脳移植して無性人間になることも少なくないのだ。その反対に『男と女、両方の性の喜びを極めたい!』と、両性具有の体を作って両性人間になる例もある。

 ともかく、キオは女の子のことをトゥナに告げた。

 「かの人が目を覚ました。君に会いたがってる」

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