剣術遊び
「センセー、お客さんだよ」
顔を覗かせた桃華の言葉に、思わず三人は顔を見合わせる。最初に笑い出したのは、やはり曼珠だった。
「ほら、やっぱり」
「こればっかりは曼珠さんに同意せざるを得ませんね」
つられて微かに笑った蕙も口元に手をやった。笑いのわけが分からずに一人首を傾げる桃華の前で、不貞腐れた顔のまま桜が立ち上がる。
「誰?」
「ええっと、南の村の人。診てほしいっていうのは女の人だけど、旦那さんも一緒。最近の風邪とかじゃないみたい。初めての人だよ」
意外そうに桜の片眉が上がった。
「旦那も? なんだ、そこまで悪いのか?」
「ううん。たんに心配なんだって」
「そりゃ仲がよろしいことで」
ぼやきながら、桜は部屋の隅で水を汲んだ。笑いをおさめた蕙も、慣れた様子で
二人の様子を眺めていた曼珠は、小さく肩をすくめた。
「息ぴったりじゃん。僕、出て行った方がいい?」
「そうだな。お前は桃と遊んでこい」
視線すら向けずにすげなく言った桜に、曼珠は唇を尖らせる。
「待って、僕ってば十二歳児と同列なわけ?」
「うるせえよ十七歳児。詳しい症状とか聞くなら、人は少ないに越したことはないんだよ」
確かに、場合によっては他人に聞かせたくない個人的な事情を話すこともある。相手が女であるならば、尚更のことだ。大人しく曼珠は腰を上げた。
とはいえ、特に行くあてもない。外でもぶらつこうかと縁側に出たところで、女の手を引いて戻ってきた桃華と出くわした。右側からは同じ年頃の若い男が腰の辺りを支えている。女の顔色は悪く、桃華が手を貸すのも仕方ないほど億劫そうな歩みである。
軽く身を引いた曼珠の脇をすり抜けた桃華が縁側に上がり、すかさず男と二人がかりで女を引っ張り上げた。
「ありがとうございます」
「ううん。何もなければいいね」
礼の言葉に、桃華は照れたように手を振る。一礼した二人は奥へと歩を進めていった。その背中を桃華は笑顔で見送っていたが、彼らが離れるやいなや不機嫌そうに振り返った。
「あんたもちょっとくらい手伝いなさいよ」
軽く睨みつけられ、曼珠は肩をすくめる。
「知らん男に触られても嫌でしょうよ」
言って、曼珠は自分の履き物を引き寄せる。ついでに、乱れたままになっていた奥に消えた二人の草履を揃えた。
「ふぅん」と気のない声を返して、桃華は曼珠の隣に腰を下ろす。
「あんたって、変なところで律儀よね」
からかい混じりにかけられた言葉はしかし、彼女自身よりだいぶと高い位置にある横顔を間近で見たことで戸惑いに変わる。
「……なんかあった?」
「なんかって、何さ」
正面を向いていた顔が桃華へと向けられる。桃華は自分の目尻を指先でつついて見せた。
「目元が腫れてる。もしかして泣いてたの?」
「だとしても君には関係ないだろ。それよか行くよ。僕らお邪魔虫は、しばらく外で遊んどけってさ」
桃華の頬が、ぷっと不満げに膨らんだ。
「なにそれ。あたし、曼珠と同じ扱いなわけ?」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
立ち上がった曼珠は、大きく伸びをする。雲一つない空は、冬の冷たい空気のせいかひどく澄んだ青色をしていた。最近になってようやく寝たきりから解放されたこともあり、正直言って彼自身も体を動かしたくてたまらなかったのだ。背後から、呆れたような桃華の声が飛ぶ。
「嬉しそうね」
「まーね。今日は天気も気分もいい。おにーちゃんがなんでも遊んであげよう」
「そう。だったら」
振り返った曼珠の目に映ったのは、木刀を突きつけてくる桃華の姿だった。
「ふた月前の再挑戦、させてよね」
「別に構わないけど。君も懲りないねぇ」
呆れ声を出しながら、曼珠は周囲を見回す。少し離れたところに、ちょうどよさそうな枯れ枝が何本か落ちていた。曼珠が拾い上げたのは、己の親指ほどの太さの枝だ。長さは桃華の持っているものよりさらに短く、一尺ほどしかない。右手で軽く一振りした曼珠は、そのまま片手だけで構える。
「これでいっか。どこからでもどーぞ」
「さすがに、それは舐めすぎじゃない?」
気の抜けたような曼珠の構えに、桃華の目が据わる。だが、曼珠に悪びれる様子はない。
「なら一本取ってみなよ。取れたら、だけど」
「後悔しても知らないから」
「させてみな。ま、今回はちゃんと加減してあげるから頑張って」
それ以上の言葉は不要、とばかりに桃華は無言で木刀を振り上げ、しかし振り下ろすことはなく切先を天頂に向けたところで止める。上段。火の構えとも言われる、攻撃に偏った構えだ。曼珠の目から見ても、重ねた修練が透けて見えるような、よく練れた構えだった。
「へぇ」と面白そうな声を出した曼珠が、相対するように少しだけ体の向きを変える。
「やる気は十分だね。いいよ、先手はあげる」
カッと桃華の目が見開かれる。今の二人の距離は、三尺ほど。桃華の足であっても十分に一足一刀の間合いと言えた。加えて、桃華が上段の構えですぐにでも攻撃できるのに対して曼珠は何の構えも取っていない。
剣に見立てた小枝を片手にだらりと下げたまま、桃華を見下ろしている。
侮られている、と桃華が腹を立てるのも無理からぬことと言えた。
「やああっ!」
気合いの声と同時に、錆色の脳天に向けて桃華は木刀を振り下ろす。一切の躊躇がない踏み込みは、凄まじい彼我の差を認識できない未熟さのなせるものだった。迷いのなさは、すなわち剣の速さだ。
振り下ろした一閃は、間違いなく彼女自身の中で最高の一撃だった。
面白がるように曼珠の口の端が吊り上がる。それは賞賛の笑みだったが、桃華には嘲笑に映った。
左肩を引くように半身になった曼珠は、少女の渾身の一撃を避けると同時に下げていた右手をまっすぐに引き上げる。わずかに返された手首の動きに合わせ、しなった枝が少女の首元に吸い込まれる。
その瞬間、確かに桃華の目にはちっぽけな小枝が白刃に見えた。
「う……」
「はい、僕の勝ち〜」
頸動脈に触れる冷たい感触に、大した運動量でもないのに桃華の額に汗が滲みだした。だが、ここで止めるようならそもそも彼女は曼珠に喧嘩を売っていない。
「む、無効よ! 首は有効打にならないもん」
「うぇ、道場剣術に合わせろっての?」
顔を顰める曼珠に、桃華は「ふふん」と鼻で笑った。
「知らないなら教えてあげるけど?」
「別にいいよ。知ってはいるけど嫌いなだけだ」
「”鬼灯”って、そういう稽古はしないの?」
「するよ。むしろ、最初は型を徹底的に仕込まれる。剣先が一寸でもズレようものなら、頭目にアホほどしばかれた」
当時を思い出し、曼珠はげんなりと重いため息をついて両手で小枝を握る。中段。攻撃にも防御にも対応できる、基本の構えだ。言葉を裏付けるような、教本通りの美しい構えだった。
目を丸くして桃華は自分が構えることも忘れ、その立ち姿に魅入る。
「ちゃんと出来るんじゃん」
「当たり前だろ。仮にも大勢の前で、領地を代表して刀振るんだ。無様な格好を見せて良いはずがないでしょうが。ほら、どうするの?」
「う……」
促され、桃華は再び呻いた。正直、この完成された型の前で自分の剣を晒すのが恥ずかしくて堪らない。しかも、別に曼珠は意地悪で言っているわけではないのだ。彼にしたら、別にどちらであっても構わないのだろう。桃華が駄々を捏ねたので「じゃあ合わせてやるか」程度の軽い考えなのだとわかる。そこまでさせておいて止めるのは、桃華とて気が引けた。渋々、木刀を中段に構える。
「……もう一本、よろしくお願いします」
「はいはい。どっからでもどうぞ」
軽く応じた曼珠に、桃華は再び木刀を振り上げる。もう一本、と言いはしたがそれで終わらないだろうことは彼女自身がよく理解していた。
せっかくの機会なのだから、徹底的に付き合ってもらおう。そう心に決めた桃華の気合いの声が、青い空に響く。
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