因果

「も……申し訳、ございません……! とんだご無礼を働きました」

 さっきまでの居丈高な態度はどこへやら。村長の狼狽えようは、地面に手をつきかねないほどだった。

 桜の出した水琴鈴が原因のようだが、曼珠には理由がわからない。不思議に思っている間にも、話は先に進んでいる。

 鈴をしまった桜が、穏やかな――それでいて、有無を言わさぬ口調で念を押した。

「もしも誰かが助けを求めてきたら、私の一存で相手をする。良いな?」

 挑発的な言い方に、再び村長を除く男達の間に怒気が立ち昇る。だが、彼らが何かを言うよりも前に、沸騰寸前の空気を感じ取った村長が「もちろんです」と答えた。壊れた絡繰からくりのように忙しなく首を上下に振った彼は、百八十度回転して男達に向き直る。

「お前たちも、もういい。帰るぞ」

 男達はまだ納得が出来ていなさそうではあったが、決定に不満を唱える者はいなかった。桜と、その背後に佇む曼珠達の潜む堂を睨みつけ、一人、二人と去っていく。

 彼らの姿が完全に消えたのを見計らって、桜が振り返る。苦虫でも噛み潰したような顔だった。戸口から顔だけ覗かせ、曼珠は問いかける。

「何したの?」

「気にしなくていい」

 返ってきた答えは素っ気なかった。わざわざ追求するほど他人に興味は無いが、面白くはない。

「気になるよ。その鈴、何なのさ?」

「そっから見えてたのかよ。鳥並みの視力だな、おい」

「なんなら模様も言ってやろうか? 桜に流水。見たことないけど、どっかの家紋なの?」

「桜鈴」

 答えたのは桜ではない。食い下がっていた曼珠が声の方を振り返ると、両手で口を覆った女が、信じられないものでも見るような目で桜を見ていた。

 少女の方は、よくわかっていないのか曼珠と同じようにきょとんとしている。黒々とした大きな瞳に浮かんでいる疑問符に、曼珠は親近感を覚えた。

 取り残されている二人をよそに、女はさらに問いかける。

「あなたは……いえ、あなた様は鬼法医だったのですか?」

「え?」

 目を瞬かせた曼珠は、まじまじと桜を見上げた。

「あんた、無資格じゃなかったっけ?」

 余計なことを、とでも言いたげに女を軽く睨んだ桜は諦めたように目を閉じた。

「無資格だよ。こいつは鬼法医の試験に合格した証として授与されるものだが、それ以外でも渡されることもあるんだ。例えば――」

「医者として何らかの成果を挙げた者にも与えられる、と聞いたことがあります。桜鈴の名の由来になった、桜之宮さくらのみや万象ばんしょうのように」

 流れるように流暢な説明に、桜の眉間に皺が寄る。

「よく知ってるな。鬼法医と鈴の関係はともかく、こっちの授与条件はあまり知られてないはずだが?」

「私もあまり詳しく知っているわけではありません。昔、うちに出入りしていたお医者様に聞かせて頂いたくらいで」

「ふぅん。君ら、良いとこのお嬢さんだったわけだ」

 からかうような曼珠の言葉に、女は片手で口元を押さえた。自らの氏素性を軽々しく喋ったことではなく、身分をひけらかすような真似を恥ずかしく思っているようだった。

「気にしなくていーよ。何となく予想はしてたからね」

「いえ、申し訳ありません。助けていただいたのに、名乗りもせず大変失礼いたしました」

 深々とぬかづいた女は、頭を上げないままで名を告げる。

「この度は助けていただき、ありがとうございました。わたくしは、神藤しんどうけいと申します。一緒にいるのは妹の桃華ももか

「桜だ、こっちは曼珠。別に大したことはしてないし、落ち着かんから顔を上げてくれ」

 呆れたような桜の声に、女――蕙は顔を上げる。薄衣の奥の表情はよく見えなかったが、口調からは怯えは感じられない。

 毅然と背筋を伸ばしたまま、彼女は今度は被っていた薄衣を静かに摘みあげた。繊手を滑った布が、床に落ちて軽い音を立てる。


 真っ直ぐに前を見据える瞳は、透き通った琥珀色をしていた。

 思わず、曼珠は目を見開く。


 なるほど、先ほどの男達が言っていた彩眼というのは本当だったらしい。

 闊達そうな妹とは真逆の白い顔はやつれているが、十分に美しかった。

 だが、曼珠が驚いたのは彼女の容貌に見惚れてのことではない。

 名乗られた姓に覚えがあったからだ。何より、彼女の浮かべる淡雪のような儚い微笑は、忘れたくても忘れられないものだった。

 曼珠の表情をどう誤解したのか、嫌そうに顔を歪ませたのは桃華だ。

「姉ちゃん、別に顔まで見せなくても良いのに。また何かいちゃもん付けられたらどうすんのさ」

「桃華、言葉を慎みなさい。助けて頂いたのに顔も見せないというのは、あまりに無礼というものですよ」

 言葉こそ厳しいが、妹を嗜める蕙の声色は優しい。

 その声すらも、ひどくに似ていた。

 頭の後で手を組んだ桃華も、怖いとは思っていないようで「はーい」とおざなりな返事をしている。

「それから、ちゃんとお座りなさい」

「やだ。座ってたら、そいつらが何かしてきた時に、姉ちゃんを守れないよ」

「桃華!」

「だって……」

「だってじゃありません。全く、あなたはもう少し――」

 呆れ半分、厳しさ半分の叱責に少女が首をすくめる。納得いかない、と言った態度でぶすくれる少女に助け舟を出したのは桜だ。

「あー、まぁそんな気にしなくても。姉ちゃん思いで良いんじゃないか?」

「そうそう。それに、ガキんちょ一人が暴れたところで負ける気しないし」

 続いた曼珠に速攻で出した舟を沈まされ、桜の額が危険な感じに引き攣った。

「お前な……ちったぁ空気を読もう、とか。女子供には優しくしよう、とか。そういった気遣いはねえのか」

「ないね。僕ってば『老若男女平等に』を目標にしてるからさ」

 ヘラヘラと笑った曼珠は、話の原因である少女へと視線をやる。予想通り、面白くなさそうな顔でこちらを睨んでいた。

「あんた、立つのもやっとだったじゃない。死にかけのくせに、強がり言うのもどうかと思う」

「君の相手なんて座ったままで十分だよ。あと、相手の力量も見抜けないのに挑発するもんじゃない。殺されても文句言えないからね」

 実際、彼女は自分の実力をよく分かってはいないのだろう。悔しそうに唇をへの字に曲げるが、それ以上は言い返してこない。

「桃華」

 静かな声で再び姉に呼ばれ、いかにも渋々と言った態度で桃華は蕙の隣で胡座をかく。面白くなさそうに頬杖をつき、せめてもの反抗にと無言で曼珠を睨みつけている。

「お二人は鬼狩なのですか?」

 これ以上は埒があかないと思ったのか、ため息を一つ零した蕙が話題を変える。

「いや。俺は医者だけど無資格だし、初めてこいつと会ったのは三日前だ。まぁ、外の鬼をやったのはこいつだけど」

「そうですか」

 呟き、蕙が初めて曼珠と正面から目を合わせた。

 晩夏の夕焼けにも似た燈色の瞳に、曼珠の心臓が大きく跳ねる。

「お強いのですね。今まで、何人の鬼を殺されたのですか?」

 口元だけが微笑みの形を刻む蕙の顔が、脳裏で別の人間と重なる。


 ――君が僕を殺すんですよね? 

 ――躊躇わずに一息でやって下さい。せめて、死ぬ時くらいは楽に死にたいですから


 彼女は、かつて曼珠が殺した少年と似た面影をしていた。

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