第36話 呪い
次の朝。
当番兵が司令官の部屋へコーヒーを運んでいくと、珍しくも将軍は、まだベッドの中にいた。
「おはようございます、ロンウィ将軍。珍しいですね。お着替えがまだなんて」
ニワトリ並みに早起きの将軍は、いつもなら、完全に着替え終わって、それどころか、中庭を2~3週、走り終えている頃だった。
「う? うん。まあ」
ロンウィ将軍の返事は煮え切らない。完全に目覚めていないのだろうと、当番兵は思った。
「着替え、手伝いましょうか?」
コーヒーを机の上に置き、当番兵は尋ねた。
彼の姿を見ても、将軍はまだ、ベッドから出てこない。布団の上に起き上がってはいるのだが、毛布でぎっちりと腰の辺りを覆っている。
上半身は、裸だった。
「いや、いい。それより、スカートを持ってきてくれないか?」
「スカート? ですって?」
当番兵は、きょとんとした。
ロンウィ将軍は、これでけっこう、内気なところがある。女性の衣類の名称を口にするとは、驚きだった。
「ホルンが、奥さんのを持っているはずだ」
「でもあれは、ホルンの宝物ですよ?」
「そこを、なんとか」
徴兵された兵士の中には、妻や恋人の身の回りの品を持ってくる者が多い。
砲兵のホルンは、妻のスカートを持ち込んでいた。
「シャルロットが置いて行ったスカートは、俺には入らないと思うんだ。彼女、腰から下は、魚だったし。その点、ホルンの奥さんのなら」
「確かにホルン夫人の腰回りは、堂々としてましたからね。でも、あなたには大きすぎるのでは?」
言ってから、当番兵は、目を丸くした。
「まさか、履くんですか? 将軍が? ホルンのかみさんのスカートを?」
「うむ。事情が事情だからな」
「事情?」
「とにかく早く!」
なんのことやら、当番兵には、さっぱりわからなかった。
だが、上官の命令は絶対だ。
目を白黒させながら彼は、部屋を出ていった。
当番兵の姿が見えなくなると、将軍は、毛布を跳ねのけた。狭いベッドの上から両足を下ろし、俯く。
「なあ、グルノイユ。お前の言いたいことは、よくわかる。俺だって、同じ気持ちだ。ゆうべも、だから、裸でお前を待っていたんだ。いつの間にか眠っちゃったのは、不覚だった。なんてことだ。俺としたことが!」
「グルノイユ。謝らせておくれ。あんなことやこんなことをいろいろしたのに、その後、何日も放っておいたこと。ごめん。すまなかった。でも、誓っていうけど、俺のせいじゃない。クレジュールのせいだ。やつが、俺を北軍に引き留めたから。俺はいつだって、お前が一番なんだよ?」
「……。
いいよ。構わない。全てを放り出して、今からおっぱじめよう。俺の手で、お前を人型にしてやる。……。あのな、グルノイユ。そこから離れてくれよ。そうしないと、可愛いお前に、キスできないじゃないか。自分のナニにキスするのは、耐えられないからな。なあ。なんで返事をしてくれねえの?」
「いつまでも裸でいるのもなあ。そろそろ起きようと思うのだが……。うーん、どうしよう。俺がズボンを穿いたら、お前、潰れちゃうよね。かといって、いつまでも下半身裸でいるわけにはいかないし」
「スカートを穿くのも、できたら、避けたい。まるで、アンゲル王国の兵士のようだもんな。島国のあいつらの国では、衛兵が、スカート履いて踊るんだぜ? 俺は、アンゲルなんか大嫌いだ。姑息なアンゲルは、昔から、リュティスの敵だ。海から襲ってくるなんて、卑怯じゃないか。あいつらだけは許せない。俺は、アンゲル兵士のような恰好は、本当は、したくないんだ。でも、お前を潰すわけにはいかないし……」
副官のレイが、朝一番の指令を受け取りに来た。
部屋に入った彼は、ベッドに腰かけて俯いている上官を見て、仰天した。
シャツだけ身に付け、下半身裸の彼は、自分の先端に向かって、しきりに話しかけていたのだ。
「……いつもいつも俺と一緒にいてくれるんだな。俺は嬉しいよ、グルノイユ。お前は俺を、絶対捨てないと信じてる。でも、場所を選んだ方が……」
「将軍!」
驚きに我を忘れ、副官は叫んだ。
「いったい何を……」
2~3歩踏み込み、目を瞠った。
上官の先端に、黄緑色の何かが付着している!
「将軍! 切っ先が、緑色です。何か恐ろしい病に罹ったのでは!?」
”言ってはいけないあの病気”だとは、一瞬たりとも思わなかった。高潔な英雄が、”不名誉な病”に罹るわけがないからだ。
それは、神が許さないだろう。
副官に気づき、ロンウィは、ぱっと前を隠した。
「なんでもない!」
「なんでもないわけないでしょう? 切っ先が、緑色でしたよ?」
「愛だ」
「あい?」
「グルノイユの愛なんだ」
「はあ?」
間抜けな声を、副官は出した。
「グルノイユが貼り付いてるんですか? 将軍の切っ先に?」
「ゆうべからな」
愛しそうに、ロンウィは、たった今、腰を覆った毛布を撫でた。
「どんなに言っても、彼は俺から、離れようとしないんだ……」
「呪いだ!」
副官は叫んだ。
「かわいそうなグルノイユは、誰かに呪いをかけられたに違いない! 錯乱した彼は、将軍の切っ先に取り憑いて……」
自身が錯乱し始めた副官を、ロンウィが遮る。
「違うよ、レイ。お前にはわからないかもしれんが、これは、愛だ。究極の愛なのだ」
「そんなとこに貼り付くなんて、呪いに決まってます! ああ! ゆうべ、私が彼を、将軍の寝床に入れたばっかりに……あなたの命令で!」
苦悩が、副官の顔を過った。
「この責任は、きっと私が!」
いきなり部屋の外へ走り出ていく。
「おい、レイ! どこへ行くんだ。レイ!」
「祈祷師を呼んできます。バーバリアンで評判の。待っててください、将軍!」
振り返って、レイは叫んだ。
◇
「祟りじゃ!」
そこを二度見し、祈祷師は
バーバリアンで知らぬ者のない、超一流の祈祷師である。
有名人としての誇りをこめ、再び、彼は断じた。
「祟りじゃ!」
「ああ、やっぱり!」
絶望的な声で、副官が応じた。
「どうしても離れようとしないんです。無理に引きはがすと、彼の体が壊れそうな気がして」
「お前は乱暴だ、レイ。これは愛だと言ったろ?」
「とりあえず誰かから愛されたいという、あなたの願望はわかります。でも、このままじゃ、まずいです」
「まずい? 何で。俺のナニだろ? お前のじゃなく」
「あなたの体は、あなた一人のものじゃ、ないんですよ?」
「お前まで、ラブレイ
リュティス軍の高名な将軍と、その部下は、ごちゃごちゃと言い争っている。
「無理矢理、剥がしてはいかぬ」
それまで黙って聞いていた祈祷師は、禁じた。
「そうですよね」
副官の顔に、安堵の色が浮かんだ。
「私だって、無理はいけないと思っていました。うっかり、将軍の切っ先に触っちゃったら、大変ですから!」
「失礼な! 俺のナニは、清潔だぞ!」
将軍がむくれている。負けじと、副官は言い返した。
「部下が、上官の切っ先に触れることが問題だと言ってるんです! 特にあなたのは! 凶器ですからっ!」
「バーバリアンの幼生は、頑固でデリケートなのじゃ。このカエルは、自分の意志で貼り付いた。強引に引っ剥がすと、大変なことになる」
血の気の多い2人は、今にも殴り合いそうだった。慌てて祈祷師は、割って入った。
「どんなことに?」
今までの言い合いはどこへやら、恐る恐る、高名な将軍が尋ねる。
「裂けおる。カエルの腹が」
重々しく、祈祷師は答えた。
将軍の顔が、さっと青ざめた。
「うおおおおおおーーーーーーっ! 何て恐ろしいんだ!」
……この将軍は、自分のナニより、貼り付いたカエルの方が心配のようだぞ。
祈祷師は思った。
……変わったご仁だ。
副官が、細かく震えだした。
「いったい、どこの魔王の呪いで、こんなことに?」
祈祷師は、懸命に、同族の幼生と言葉を交わそうとした。
だが、将軍の局部に貼り付いたカエルは、一向に、返事を返そうとしない。
コンタクトを諦め、祈祷師は言った。
「癇癪じゃな」
「かんしゃく?」
「癇癪の祟りじゃ。さっきも言った通り、バーバリアンの幼生は、とても頑固じゃ。気に入らないことあらば、ひっくり返って泣き喚く。カエルに意地悪をしたらいかぬ」
祈祷師は、ちらりとロンウィ将軍の顔色を窺った。
将軍は、遠い目をして、あらぬ方を眺めている。
何か心当たりがありそうだな、と、祈祷師は推察した。この路線で攻めて、間違いはなさそうだ。
「この上は、将軍自身が気持ちを鎮め、彼の気が済むのを待つしかない。
ぎくりと、将軍の肩が動いた。
当たり。
祈祷師は思った。
「贖罪の気持ちを持つのじゃ。さすれば、カエルの怒りも解け、心を開いてくれるであろう」
「重々、反省している。しかしまだ、気持ちが足りなかったのだな。そうだ。俺は彼に、ひどいことを……」
小さな声で弁解を始めた将軍を、苛々と、副官が遮った。
「とりあえず、将軍の切っ先から、離れてほしいのです。このままでは、ズボンが穿けません。もうすぐ閲兵が始まるのに」
「心さえ開けば、自然と離れるであろう」
「それは、いつ?」
「さあ。1週間後か、1ヶ月後か……」
「いっ、」
副官は絶句した。
反対に将軍の方は、うっとりしている。
「ずっと一緒にいてくれるんだね、グルノイユ……」
「大方は、3日もあれば大丈夫」
副官に同情し、祈祷師は保証した。
その昔、彼の息子も、強情だった。しかし、最長3日目には折れ、閉じこもっていた小屋から出てきたものだ。
「子どもなんて、そんなものじゃ」
「は?」
「こっちの話。バーバリアンの幼生は、とても誇り高い。ゆめ、忘るるでないぞ」
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