第32話 マリーに会わせて
「わかりました、母上。話を整理しましょう」
ようやく母を別室に封じ込め、ロンウィは、冷や汗を拭った。
危うく、軍司令官としての彼の権威が、地に堕ちるところだった。
いや、もう、幾分かは堕ちてしまったのかもしれないが。
「私には、子どもがいる。で、その子の名前は?」
「マリー」
「マリー。なるほど。マリーか。ありふれた名だ」
「自分の子どもの名前も知らないのかい、お前は!」
母のペースに載せられまいと、ロンウィは踏ん張った。
なにしろこの母ときたら、口は達者だし、手は早いし、部下の前でお尻ぺんぺんとかされたら、大惨事になるところだった。
「それじゃ、その、マリーちゃんの、母親の名は?」
「ふざけてるのかい? 自分の愛人の名を忘れたとでも? 彼女にはもう、次の男がいるみたいだけど」
「それは、いつものことです。どうぞ母上、お気遣いなく」
「気遣いなんかしてないよ。私はね、つくづく情けないよ。お前が、よりによって。ロッシ家の人間に手を出すとは。アレクサンドル・ロッシのヨメだろう? ガートルードは?」
「げっ! ガートルードが出産したんですか? いつ!?」
ロンウィは驚愕した。
母は、憤懣やるかたない。
「いつ? お前の子だろ? そもそも、国王陛下に従って、国外へ亡命したアレクサンドルの妻に、恥知らずにも、手を出すとは! 国内に残ったお前が! 許しがたい暴挙とは、このことだ」
ロッシ家は、ヴォルムス家と、古くからの付き合いがある。
クーデターで、前国王ブルコンデ16世が、国を追われた際、ヴォルムス家と同様、ロッシ家も、王について、国外へ亡命した。
アレクサンドル・ロッシも、亡命貴族の一人である。リュティス国内には、彼の妻だけが残された。
「いや、いやいやいや、俺は、ですね、母さん。一人残され、生活が困窮したガートルードを、援助したいと思って、ですね。家族の知り合いのよしみで」
「手を出したのかい」
「……」
ロンウィは、言葉に詰まった。
「最低だね」
低く、母は、唸った。
「お前は、最低のろくでなしだ」
「母さん。ご自分の息子ですよ!?」
「だからだよ! 援助って、そもそもお前、産ませっぱなしだったそうじゃないか。ガートルードの新しい情夫は、今までの養育費ばかりか、出産費用まで要求してきたんだよ? この私に!」
「そこですよ、母さん! ガートルードは今、どこに?」
「一緒にいた男と共に、ベルンへ行ったそうです。グルノイユによれば。彼が、子どもを、ここに連れてきました。母親に託されて」
遠慮がちな声が聞こえた。
副官のレイだった。
上官についてきた彼は、部屋の隅で震えながら、母子のやりとりを見ていた。
「グルノイユ!」
ロンウィは飛び上がった!
「かわいそうに、彼が子どもを託されたのか? ガートルードから!」
「かわいそうにって、何度も言ってるけど、お前の子だよ」
即座に母が口を挟む。
息子の耳には全く入っていないようだった。せっかちに、ロンウィは、副官に問い質す。
「で、彼は今? グルノイユはどうしてる?」
「カエルやってます」
「そうだった。まだ、カエルのままなんだ。でも、よかった。他の奴は、彼に、手を出してないってことだからな。北軍の伝令とか、彼の尻ポケットとか、本当に心配で、」
「何の話です?」
不審そうにレイが尋ねる。
「いや、何でもない。あんな状態で放置されて、かわいそうに。放置したのは、俺だけど。だってしょうがないじゃないか。やったらダメなんだから。でも、グルノイユは、俺を捨てなかった……」
言いながら、少しずつ、ドアににじり寄っていく。
「これ、お待ち!」
気づいた母親が手を伸ばしたが、遅かった。
「ちょっと将軍!」
副官を母に向けて楯にし、ぱっと、ロンウィは、部屋の外へ飛び出していった。
◇
足音が聞こえる。
全速力で、走ってる。
俺にはわかる。
これは、ロンウィ将軍の足音だ。
彼が、帰ってきた!
◇
「グルノイユ!」
部屋に飛びこみ、ロンウィは叫んだ。
「ああ、グルノイユ! どんなにか辛かったろう。ガートルードは、お前にひどいことをしなかったか? いや、彼女も悪いひとじゃないんだ。ただ、わかるだろ? ビンボーは人を変える」
部屋は、しんと静まり返っている。
カエルの姿は見えない。
「お願いだ、グルノイユ。隠れてないで、出てきておくれ。お前のその、可愛い姿を、一目でいいから、見せておくれ。そうしてくれないと、俺は、不安で寂しくて、死んでしまいそうだよ……」
「ロンウィ!」
むんずと、襟首をつかまれた。
母の筋張った手が、青い血管を浮き立たせて、後ろからぐいと引く。
ロンウィの首が絞まった。
「ぐえ」
「お黙り!」
「ぐ、ぐるじい……」
「文句を言うでない!」
「文句じゃなくて……あの、母さん。俺は、グルノイユに用が。グルノイユ! グルノイユ!」
襟に首を絞められた状態をものともせず、将軍は、その名を呼び続ける。
あいかわらず、部屋は静かなままだ。なにひとつ、動かない。
「グルノイユ。お願いだ。でてきておくれ。俺の母さんに、キスしてほしい」
「グルノイユって誰だい?」
わずかに、母の手が緩んだ。
「俺のカエルです」
「……カエル?」
「俺の愛しい、アマガエル……ぐえっ!」
再び彼の首が絞まった。
「さあ、行くよ!」
侮れぬ強力に、ロンウィは、危うく曳き倒されそうになった。
さすが、母である。
「マリーって子のところへ! お前の娘の所へね!」
「キフル修道院に預けてあります。小さい子を、軍の駐屯地に置いておくわけにはいかなかったので」
斜めになったロンウィの耳元で、レイが囁いた。
「ご健闘をお祈りしています、ロンウィ将軍」
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