第16話 ラ・カプリシュース(気まぐれ号)
突然、ルイーゼが、出ていった。
いや、突然ではなかったのかもしれない。
彼女は、同じケンタウロスの青年と、駆け落ちした。
驚いたことに将軍は、彼らに金貨6つを与え、通行証を発行した。金貨6枚……間違いなく、彼の全財産だ。
数日後。
「グルノイユ」
テントの中から呼ぶ声がした。
シャルロットだ。人魚の彼女は、テントから出ることはない。
普段なら、将軍のハーレムには近寄りはしない。だが、ルイーゼが出て行ったばかりだ。さすがに気になって、俺は、テントに入ってみた。
シャルロットは、今日もロングスカート姿で、椅子に座っていた。金色の髪が、高く結い上げられている。
俺の姿を見ると、にっこりと微笑んだ。
「あなたには、ちゃんとお別れの挨拶をしておこうと思って」
「お別れ?」
俺は慌てた。
ルイーゼだけではなく、シャルロットまでも、ここから出ていこうとするのか。
将軍を、捨てよう、と?
生真面目な顔になり、シャルロットは言った。
「将軍のこと、頼むわね」
「頼むって……俺は何もできないぞ!」
慌てて俺は釘を刺した。
「将軍のお世話は、君たちの仕事だったろ? 君と、ルイーゼの」
「でも、私もそろそろ、海へ帰らないと」
「海?」
シャルロットは頷いた。
「私はもとは、西の海にいたの。それが、アンゲルの艦隊に捕まってしまって」
アンゲルは、リュティス帝国と海を挟んだ西側の島国だ。海路においてめきめきと実力をつけ、海の覇権を握っている。
東の同盟国が次々と脱落し、リュティス帝国に逆らうのはエスターシュタット、ただ一国となってしまった。
その一方で、西の島国アンゲルが、海上からリュティスを脅かしている。
「アンゲルの船に追われて、尻尾を怪我してしまって……私、死にそうだったの。それで、アンゲル国の船員たちは、私を、本国に連れて帰ることを諦め、リュティスで売ることにした。奴隷としてね。弱り切った私を買ってくれたのが、ロンウィ将軍だったの」
俺は憮然とした。
「あいつ、奴隷買いまでしてたのか」
「でも、彼に保護してもらわなかったら、今頃私、死んでたわ」
「そうかもしれないけど」
奴隷なんて、売る方も売る方だけど、買う方も最低だと、俺は思う。だって、需要があるから、供給があるわけで……。
「ロンウィ将軍だって、アンゲル人と同じだ。彼に買われて、君たちは、いいようにされてきたわけだろ?」
つまり、性的な奴隷として。
さすがにそこまで言えず、俺は言葉を濁した。
「いいように?」
シャルロットは首を傾げた。
次の瞬間、弾かれたように笑い出した。
「なななな、なにがおかしいんだよ」
真っ赤になって俺は尋ねる。
「あなたが……、将軍が……」
なおも彼女は笑い続ける。
俺はむっとした。
「だって、君らといるとき、いつも将軍は裸じゃないか。ルイーゼと君に服を脱がせてもらって。……君は、……君たちは……」
言葉が詰まる。
「私たちは?」
意地悪く、シャルロットが促した。
全身が火照った。
一気に俺は言ってのけた。
「君たち二人は、彼に、性的に奉仕させられてたんだろ?」
「あなた、覗いたの?」
ほんと、この人魚は、底意地が悪い。
おまけに、うわべを取り繕うことに長けている。今まで優しいとばかり思っていたのに……。
「気配でわかるよ!」
かっとして俺は叫んだ。
布を隔てただけの、隣のテントで寝ているのだ。わからないわけがない。まだカエルだけど、俺だって、思春期の男の子だ。
シャルロットは、口の端に笑いを残している。
「私たちの仕事は、マッサージと、入浴補助よ」
「マッサージと入浴補助? って、それじゃ、介護じゃないか」
「だって将軍はお疲れだから」
「だって、」
「それだけよ」
「それだけ?」
「ええ」
俄かには信じがたかった。
あのエロ将軍が、美少女二人にさせていたのが、マッサージと入浴補助? だけ?
信じられるわけがない。
「将軍は、アミルとラフィーも、毒牙にかけようとしてるんだろ?」
思い切ってぶつけてみた。
小鳥ともぐらの少年は、俺が来る前から、ハーレムで暮らしていた。
「あの子たちも、奴隷として売られていたのを、将軍が買い取ったのよ」
やっぱり。彼らは、今は軍の宿泊所に移っているけど、「発情」したら? 人間の姿になったら?
「そしたら、将軍の奴隷にするんだろ? つ、つまりその、性的な」
あんなに軍務に励んでいるのに。あんなに、兵士らに馴染んでいるのに。結局は、変態将軍の、性奴隷にされてしまうなんて。
シャルロットの顔から、すうーっと笑みが引いた。
「彼らは、時の施術を受けたわ」
「時の施術!」
それは、大人にならない選択だ。
鳥やもぐらの彼らは、俺と同じくいずれは人型になる「時の獣人」だ。
しかし、「時の獣人」の中には、ごく少数だが、幼形のままでいる道を選ぶ者もいる。そうした者たちは、「時の施術」を受ける。薬であったり魔術であったり、種族によって方法は違う。だが、この施術を受けたものは、永久に幼形のままだ。人型になることはない。
ただし、幼形のままだと、人型になった獣人より、寿命が短くなる。純粋な鳥やもぐらよりは、若干は、長生きだが。
だから、「時の獣人」は、幼形のままでいる道を、普通は、選択しない。俺も、今の今まで、時の施術のことなど、すっかり忘れていたくらいだ。
「かわいそうに。そうまでして、将軍の魔の手を逃れたかったんだな」
「違う」
短く、シャルロットが否定した。
すぐに補足する。
「空を飛んだり、地中を進むことができる方が、より一層、ロンウィ将軍の役に立てるから。人の姿になったら、空や地中の移動は、できなくなるもの」
「そんな……。『時の施術』を受けたら、寿命が縮むのに」
軽く、シャルロットは吐息を吐いた。
「二人は、本当に、将軍が好きなの。彼の役に立ちたいの」
衝撃だった。
美しい小鳥、アミル。
つぶらな瞳のもぐら、ラフィー。
彼らは、自分の寿命を削って、ロンウィ将軍に仕える道を選んだのだ。
「将軍はそれを許したのか?」
「アミルとラフィーの二人は、いずれは軍に入れると、2人が来た時から、将軍は言っていた」
「彼らの寿命を犠牲にして、軍に奉仕させるつもりだったんだな?」
めらめらと怒りが再燃した。
再び、シャルロットは首を横に振った。
「『時の施術』のことは、将軍は知らなかったみたい。後から聞いて、驚いていたわ。なんてことを、って、嘆いていた」
「それは、発情を待って、いずれは性奴隷にしようと狙ってたから……」
「違うってば!」
シャルロットは、尻尾の先で、ぴしゃりと床を叩いた。人魚の尾の、先端のくびれには、大粒の真珠を連ねた美しい飾りが巻かれていた。
「これは、将軍からのプレゼント」
俺の視線に気がつき、シャルロットは言った。
少し寂し気に付け加えた。
「最後のプレゼント」
愁いを帯びた美しい横顔に、物凄く腹が立った。
もちろん、ロンウィ将軍にだ。
「君は……。君も……」
「誤解があるようだから、ちゃんと話すわね」
相変わらず言い澱んでしまう俺に、シャルロットは、ずばりと核心を突いた。
「私もルイーゼも、ロンウィ将軍と寝ていません」
「ねねねね、」
俺は絶句した。
人がせっかく、穏便で、あいまいな言葉を探していたのに。
くすりと、シャルロットは笑った。
「マッサージをしてあげるとね。彼は眠ってしまうのよ」
そこで彼女は、今まで見たこともないほど邪悪な顔になった。
「あそこまで立派になっているのに、何もしないで眠っちゃうなんて。全く、理解に苦しむわ」
「うぐぐぐぐぐ」
これが、大人の女の迫力ってやつですか?
俺の姉さんも、幼馴染のキャロラインも、いずれはこうなるの?
「私たちは、将軍がその気にならなければ、何もできない。私は人魚でしょ? ルイーゼはケンタウロスだわ。だから……」
「え? どゆこと?」
意味が分からなかった。
シャルロットは、舌打ちした。
「だって、無理やり乗っかることができないでしょ? 魚や馬の下半身では! 私たちが将軍襲うことはできないのよ!」
シャルロットの言葉の意味を考え、それが、体位的なアレだと気づき、俺は、失神しそうになった。
反対にシャルロットは、止まらなくなってしまったようだ。
「前にハーレムに、人間の女の子がいたのよ。かわいくて、とても積極的なコだったわ。将軍は、彼女が大好きだったの。でもやっぱり、手を出そうとしなかった。じれた彼女は、ある日、裸にして仰向けに寝かせた将軍の上に、自分から乗っかろうとして……」
振り落とされたんだそうだ。
馬か。
ロンウィ将軍は、馬だな。
「翌日、そのコは、地元の領主に売り飛ばされたわ」
訳を尋ねた仲介人に、将軍は、「彼女が怖い」と言ったという。
怖い? 仮にも、リュティス軍の司令官だぞ?
それが、人間の少女が怖いって……?
「エッチしない男に、用はないわ!」
吐き捨てるように、シャルロットは言った。すごいド迫力だ。
「人魚は長生きだけど、それでも、花の命は短いものよ。ルイーゼは、遠足に出掛けて恋人をみつけてきたけど、私は海に帰らなきゃ、出会いがないの」
なんとルイーゼは、将軍と一緒に出掛けた遠足(それは彼の療養の旅であったはずだ)で、お相手を見つけたわけだ。
すぐそばに、将軍がいたのに。
さすがに彼が、気の毒になった。
「ロンウィ将軍を頼むわね、グルノイユ。エッチはしなかったけど、彼はかわいい人よ。あなたはもっと、彼を好きになるわ」
かわいい?
もっと好きになる、って……、
いや、頼まれても困るんですけど!
次の日。
人魚のシャルロットは、馬車でゴドウィ河まで運ばれた。そこから先は、リュティスの護送艦「ラ・カプリシュース」号に乗せられ、西の海へと護送された。
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