結城の家へ

何か月ぶりだろうか。幅の広い歩道の真ん中を光を反射して銀色に輝くスチール製の自転車で疾走する。全身に沸き立つ熱い汗が一年前までのまだ高校生活にあこがれを抱き、慣れない毎日を過ごしていた頃を思い出させる。


田んぼに囲まれた道路に面してところどころ建つ家から、塀の内に植えられた木々が歩道の上まで背を伸ばし、通り過ぎる瞬間に浴びる木漏れ日のきらめきが眼に射しこむ。塀の向こうで名前も知らない農家のおじいちゃんがなにやら作業しており、僕はそれを横目に速度を上げて自転車を漕ぐ。

視界の脇にうつるさまざまな風景が懐かしくも新しく僕の心を躍らせ、湿気の少ない清々しい空気が顔から脚まで全身に心地よくあたり汗をふきとばす。


——僕はこれから結城の家へ行く。


まさかこんな日が来るとは思ってもいなかった。

小さなわた雲がぽつぽつと浮かぶ真っ青な空に、灰色をした大きな鳥が羽ばたいている。


道路左のやたら広い駐車場に数台のトラックが止まったコンビニを過ぎて、さらに交差点を越えるとほとんど田んぼしかなかったところから家や店の集合した街へと入る。

一生懸命自転車を漕ぐ僕の左を自動車たちが抜けていく。


——右、左、右、左


心の中で数えながらペダルを力強く踏み込む。

今度は右側に——おそらく何十年も前からあるのだろう——ガソリンスタンドが誇大な立て看板と黒ずんだ柱とともに現れ、天井の貼り看板には時代遅れな色合いの背景にゴシック体でセルフと書かれている。


大通りから曲がり、昭和の雰囲気が残る家々が立ち並んだ細い路地へと入る。

コンクリートの道路の表面には赤さびがこびりつき、排水用の側溝を覆う蓋の横にはぶつぶつとした気味の悪い苔や藁のような枯れた雑草が生え荒んで、早く抜けてしまいたい僕はそれらにあまり眼を向けないよう中空に視線を流し、強く踏み込んだペダルをまわして進んでいく。


バタンッ!バタンッ!


錆びて銅色に変わった側溝の蓋に自転車が乗り上げ大きな音をたて、サドルに乗せた尻がふわりと浮いて、身体の大事なところを失ったかと不可逆的な恐怖に襲われ息をのんだ。

狭い道路の真ん中あたりに移り自転車のスピードを下げ、安定して漕いでいくように意識を集中する。

トタン壁の古い家々が隣の家とほとんどくっついて所狭しと並ぶ路地を、そういえば初めてこの込み入った街中に来たなと思いながら進んでゆく。

結城の家は僕の住むところから少し離れた隣町の向かい側にあり、あまりここら辺に来ることがない僕はときどき立ち止まってスマホでマップを確認しないと迷ってしまいそうになる。


マップに表示されたとおりに遠回りしながらも経路をたどっていくと、ふたたび田んぼの広がる田舎の風景が訪れ、茫漠とした一本道をすすんでいく。

上空をカラスの群れが旋回するように飛びまわり、カアーカアーと耳に残る不快な声を発して僕の上をついてくる。

浮き立った僕を上から見下ろし馬鹿にしているように感じられて、ハンドルを握る手がこわばりまっすぐな直線を一目散に走り抜ける。


自転車を止めスマホでラインを開き結城から送られてきた待ち合わせ場所を確認する。

もうすこし行ったところに旧駅舎があるから、そこで待ってるという。

それを見て——自分でも単純だなと思うほど——心をワクワクさせて、結城の家どんな感じだろなあと想像を膨らませながら残り短い道を自転車を押して歩く。


風が吹き、田んぼの稲がさらさらとそよぐ。


近づけば近づくほど心臓の鼓動が速くなり、それと対照的に僕の歩くスピードが遅くなっていく。

ハンドルを掴む手が細かく震え胸が詰まり、重たい靴が地面をこすってザザザと音を立てる。

あえて下を向き、たとえ目の前に結城がいても気づかないようにする。

公民館のような建物の角をまがると、ゆっくり視線をあげたらそこには入り口の段差にすわってスマホをいじっている結城がいた。

結城の身体をまとうひとまわり大きなTシャツが白くうすくかろやかに、その細く美しい肉体をつつんでいる。


気づかれないようゆっくりゆっくり足音を立てず近づくと結城が振り向いて、口もとを引き上げた照れたような顔で妖艶な笑みを浮かべた。


僕も自然と顔が引きつり、頬が熱くなってさっと足元に顔を落とす。


結城が近づいてきて僕の肩に手を乗せ、行こうぜと言う。

僕がいま来た道を歩いていく結城の背を追った。



何も喋らず歩く結城のとなりで自転車を押していると、車輪が道路の小さな溝にはまりそれを無理やり引き寄せながら押し続けようと踏ん張った。だが自転車がけっこう重たくて、手こずってしまう。

うんうん言いながらやっていたら結城が僕の後ろに立ち、身体を抱くように自転車に両手を差し出して一緒に引き寄せた。

自転車が元に戻る。

自転車から手を離した際、結城が僕の腰をさわった。


——え?


きょとんとした僕に脇目も振らず、何事もなかったように結城は歩きだす。


どこに行ってるのかわからないままついていく途中、結城が言う。


「ご飯どうする?」


緊張して昼ごはんが喉を通らず、結局何も食べないままここまで来てお腹ペコペコな僕は答える。


「まだ食べてない」

「じゃあラーメンでも食べに行こ」


そうして近くにあるという店に二人で行くことにした。

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