部活

歳に抗えずおでこからほとんど毛を失い、数学的な真円のような頭をした地理の中年教師がトイレの入り口を立ち塞いで、掃除する僕らを監視している。


——シャシャシャー


ホースで床に水を流し、ほこりを排水溝に流しこむ。

ホースを持つ位置が高かったために床に落ちた水が反射して、円頭教師のスーツズボンにかかった。


「おい!ちゃんと考えてやれよ!こっちに立ってるだろが!」

「……すいません」


僕は床に顔をむけたまま苦笑を浮かべて謝った。


水を流してるときにそんな近くに突っ立ってたらそりゃかかるだろう、と思ったがそういうことは言わないほうがいい。というか言っても仕方ない。


この円頭教師は、丸いのは形だけで、うんざりするほど頭が固い典型的な日本人教師だ。

実際授業でも、お世辞にもわかりやすいとは言えない説明をぶつぶつと抑揚もなく続け、こちらとしてはお経を唱えられているような錯覚に陥り眠たくなるばかりである。

そのくせ眠たそうな生徒を見つけると烈火のごとく激怒し、文字どおりヤカンが沸騰したかのように顔を震わせて、不愉快極まりない金切り声で自分がいかに貴重な時間を提供しているか、なのにその有難みを理解せず授業と時間を無下にするお前は生き方を間違っている、ということをまくし立てる。


それがわかっているから、地理の授業に眠る生徒はいなくなり、皆その時間だけは機械のように板書をノートに写してやり過ごす。



「ご苦労様でした。考えずに掃除していると必ず迷惑がかかります。今日の反省をいかして明日からも掃除に励むように」


「おつかれしたー」

「したー」


返事だけして生徒たちはしれっと捌けていく。

僕もこんなやつをまともに相手する気にならないから、腕組みして突っ立っている円頭教師を横目にさっさと部活に向かう。


——嫌な記憶は部活で汗と一緒に流してしまえばいい


おのずと足早になる。


荷物を取りに一度教室に帰ると、教室掃除組が後ろに下げた机をもとの位置へ戻している最中だった。

その中に三鍋もいて、さっきのロングホームルームで話しかけてきた女子の一人と会話しているのが視界にうつる。


——後ろに控えていたほうの女子か。


後ろのロッカーからリュックを取り、よいしょと背負って前の扉から出ようとする。


「あははっ!あのコメント○○ちゃんだったんだ!」

「そうだよー。登録者一万人行ったらライブしてよー」

「もうちょっとだからやろうと思ってるよー」


三鍋と女子の会話が耳に入る。


どうしてかわからないが胸に息が詰まり、胃からモノが返りそうな気分に襲われ、身体が重たく感じる。


廊下に出て、灰色の雲に覆われた薄暗い外を傍目に急ぎ足で教室から遠ざかる。天井の古い蛍光灯がバチバチッと空気を斬るような音を立てて点滅する。


外履きに履き替え野球部用の室内練習場を抜けて外に出る。わずかに小雨が降っている。

ハンドボール部はグラウンドの右奥で練習しており、この程度の雨なら練習に支障をきたすことはない。


校舎からみてグラウンドの右にある部室棟を最奥まで進み、分厚い扉を押し開いてもわんと汗臭さがたちこめる部室に入る。リュックを置き、競技用のシューズに履き替えて練習場所に向かう。


壁のないところまで来るとピューっと夕方の肌寒い風が身体にあたって、背中に冷気が走る。


僕が着いた時には部員はおおむね揃っていて、練習前からストレッチするものやボールを指先でくるくる回すもの、部員同士で雑談するものそれぞれである。

ハンドボール部は比較的先輩後輩の上下関係がなく、皆仲良くしていて居心地が良い。


顧問の織塚がやってきて部員一同挨拶する。

ほどなくして全員が揃い、三年の部長が号令をかけて練習が始まった。

最初のウォームアップとしてコート周りを走る。


コート部分は黄土色の砂が剥き出して草は生えていないが、グラウンドの隅までは手入れが行き届いていないために、部のエリア半分ほどはカラシ色の枯れた短草が生い茂っている。


砂と草が交互に現れるランニングコースをぐるぐる走りながら三鍋のことを思い出す。


三鍋は中二から動画投稿をはじめて、いまでは一万近くファンがいるという。


——高校生でゲーム実況している人はどれくらいいるのだろう

——自作のコンテンツを上げてる人はどれくらいだろうか

——動画編集はどれくらいすごいことなのか


いくら走っても僕の足元には乾いた砂と枯れた短草が現れるばかりで、前へ前へと進んだところで狭いコートの周りを動いているに過ぎず、何度も同じところへ戻る。


落ちている小石を蹴る。何回か飛ばすとうまく足を当てられなくなって、ペースが乱れる。

まっすぐ前を向いて走る部員たちに抜かされて、僕はいつの間にか一周遅れになっていた。




パス練習を終え三分休憩のあと、ミニゲーム形式の実践を意識した練習にうつる。

オフェンスとディフェンスに四人ずつ分かれ、一定時間たつごとに攻守交代するいわゆる四対四に取り掛かる。


寺木が入ったディフェンス側はセンター付近で壁をつくるようにして、ゴールに近づく相手プレイヤーを跳ね返す。

サイドにいた相手プレイヤーの一人が寺木の前までポジションを変え、飛んできたパスを受け取る。

寺木は左手を相手の肩に押しつけ右手で視界を遮る。

相手は寺木を押し返すように一歩踏み出す。


——ジャンプしてシュート


一瞬の動きで次を見切った寺木は息をのんで構える。

しかし寺木の期待を裏切り相手プレイヤーはジャンプしながら身体を半回転させて、いつのまにか右サイドに控えていたプレイヤーにパスして、がら空きになったゴール横からシュートが決まる。


二点入れられて攻守交代。


オフェンスにまわった寺木は左サイドからセンターを動き回り、相手の注意を引こうとする。


身体と身体がぶつかり、首を滴る汗の匂いが鼻をかすめる。

寺木の右肩に相手の手のひらが添えられ、くすぐったい。

一歩引いて相手の守りがちょうど薄くなったタイミングでパスが送られ、受け取った寺木はジャンプしてシュートを打とうと——


——その刹那、三鍋と女子の会話が頭をよぎる


眼前に伸びた相手プレイヤーの両手が巨人の手のように太く高く寺木の視界を覆う。放つべきところで放てなかったボールは、その遅すぎたリリースのためにほとんど真下に打ちつけられ、無意味に高さだけを増して長い時間——寺木をあざ笑うかのごとく——ゆったりと中空を漂ったのち、相手プレイヤーの足元に落ちて転がった。


「おーい、なんだそれ」


それまで険しい表情をして黙ってみていた顧問の織塚が呆れた顔で一言漏らし、振り返ってグラウンドの外へ歩いていく。

何か注意されると思って寺木は織塚のほうに顔を向けたが、それ以上はなにも言われることなく、顔肌が冷たくなっていくのを感じつつ遠ざかる背中を眺めていた。

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