第37話 宗教と音楽

 現在、04:19。さっきざるそばを作って食べていた時にエッセイのネタが浮かんだので書こうと思ったのだが、食い終えたら忘れてしまった。それで、また悟りの話を書こうと思う。これは、私が悟りを開こうとしているのではなく、高齢の父親(87才)が悟りを開きたいというものだ。


 私の父親は、午前5時迄ネットで何かを読んで寝て、午後二時に起きてくる。そこで、私がまた意地悪で、どう悟り開けた?質問すると、いやー難しいわ、今ベトナムの小乗仏教の本を図書館で頼んでんねんけどなあ云々。しかし、一体本読んで悟りが開けるのかね?それがまず、疑問だ。それから本当に悟りというモノはあるのか?仏教を信じてたら悟りが開けまっせ、だからお布施よろしくね的な要素もいがめない。


 私は、実はラスベガスでキリスト教の洗礼を受けている。これには長い話があって、まず留学していたコミュニティ・カレッジの音楽の授業でミン・カンという韓国人と出会った。彼は、ソウルの音楽祭で新人賞をとっており、曲をピアノで聞かせてもらうと、情緒的なバラードだったが、こりゃすげえわと思った。そして、彼に所属する教会にマイクという韓国系アメリカ人がいてチャーチ・バンドを組みたいと言っているからギターをやってくれないかと頼まれた。


 私は、ラスベガスに来る前にアイルランド人オーウェンがリーダーのバンドでギターをやっていたという話を彼にしていたからだ。このバンドではイーグルス、ニール・ダイヤモンドのコピーやオーウェンのオリジナルをやっており、二度バーで演奏したことがある。二度目のバーでは、終演後、バーテンダーにバドワイザーを一本もらい、これが私の初ギャラであった。


 話を元に戻すとマイクはプー太郎であったが、良い曲を作っており、ギターとしてのやり甲斐もあった。一度、教会の日曜日の礼拝の時に弾いた事もある。この教会は、韓国系アメリカ人が牧師先生だった。彼は戦前に名古屋で生まれた。そして、戦後釜山に戻っていた時に朝鮮戦争が起こった。彼が学校に行っている時に空襲があり、家に帰ると全焼で両親を失った。


 その後、キリスト教系の孤児院で育つのだが、音楽の才能が開花してなんと国立オーケストラのトランぺッターになったのだが、ある夜夢の中でイエス・キリストにラスベガスに行って教会を開きなさいというお告げを聞く。驚くことに、彼はオーケストラを止めてお告げを実行に移し教会を開いた。牧師先生の名前はキムであったが、彼はカリスマ性があり最初は小さな教会であったが、韓国系のアメリカ人が大挙してラスベガスに移ってきたこともあり、ものすごくでデカい教会になった。


 そんな中、マイクにキム牧師先生が、日本語を習っているので会話のコーチをしてしてくれないかと頼まれた。私は、オッケーした。当時、ツアーガイドの仕事がものすごくストレスフルなものだったのだが、牧師先生に会ってコーチをしている時は心が休まった。一時間で20ドルの授業料であった。こんな仕事の方がガイドよりずっとええわと思い、帰国してから日本語教師の資格を取ったが、精神薬でろれつが回らず、お蔵入りになっている。また、話を戻すとコーチをする中で、日曜日の礼拝にもちょくちょく顔を出していた。


 ある日、コーチを終えると牧師先生から手紙を渡された。家に帰って封を開けると洗礼を受けて欲しいといった内容のカードが入っており、100ドルが添えられていた。さすがに100ドル貰って洗礼を受けない訳にはいかんなあと思った。そして、しばらくしてから洗礼を受けた。ただ、私はキリスト教にはのめり込めなかった。信者に違和感を感じるのだ。まず、神様の化身がイエス・キリストであるのがまず解せない。生き返るのも信じられない。


 翻って仏教だが、実家に来る坊さんの読経の後の説話が、とんでもなくくだらなく、こんな奴にカネ渡す必要あるのかという思いで一杯だ。また、話は横道にズレるが、我が家は禅宗だが弟が弟嫁にオルグされて創価学会に入り熱心な信者になったため、時々実家に来て父親をオルグしようとする。父親は学会が嫌いで、最終的に「我が家は曹洞宗や!」と大きな声を出して弟が帰る。私にも入らヘんと誘いが来るが、断っている。


 私の信じているのは音楽なのかもしれない。宗教、特にキリスト教は牧師先生の説教を聞き、讃美歌を歌って恍惚感やカタルシスを得るものだろう。私は、自慢ではないがギターでものすごくエクスタシーを感じられる人なのだ。特に是方博邦やサンタナなどブルース・フィーリングある曲をコピーをしている時。


 話をまた元に戻すと、南無妙法蓮華経の意味は創価学会のホームページを開くと、宇宙と生命を貫く根源の法とある。これではさっぱり何の事か分からない。そこで調べに調べた結果、人間には苦悩を乗り越える力が備わっているという意味だった。これを繰り返しチャントする事で無意識に刷り込んでいく。それは分かる。しかし、それをする根気がない。また、学会は、政教分離ができておらず論外である。


 ええと、ところで昨日は受診の後、デイケアに行ったが情報誌の「まいど」に投稿するために送ったCD-Rが届いていないと精神保健福祉士が言う。ワードで探したが、どうもファイルがコンピューターには残っていないようだ。また、書かなあかん。めんどくさいけど、この後、書きますわ。ほんじゃ、また。

 



 

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