第38話 約束が繋いでくれる

 ハルは僕を見つけると、真っ直ぐに僕を抱きしめた。

 ヒョロい僕の体はその力を受け止めきれず、一歩後ろに下がった。

 でもそれだけで、ハルの全部を受け入れることができた。

「もう二度と逢えないかと思った」

 ハルは僕の腕の中で震えるような声でそう言った。

 そう思っても不思議なことはない。

 僕たちはそれだけのことをしてしまったんだから。

「ここにいるよ」

「うん、あったかい」

 実際は寒い中走ってきた僕と、寒い中立っていたハルのどちらも暖かくなんてなかった。でも、二人が重なっている部分から温度が生まれた。


 道行く人たちは自分にしか関心がないのか、振り向いていく人はほとんどいなかった。

 道の真ん中で抱き合っている中学生はそれほど珍しくないのかもしれない。

 段々、体が温まってきた頃、ハルはようやく僕の体に回していた腕の力を緩めた。

「本当は、ずっと逢いたかった。でもあんな迷惑をかけちゃったし、嫌われたかもしれないと思うと怖くて」

 必死に弁解するハルのその冷たい頬に、僕は自分の頬をそっと押し付けた。

「どうやって嫌いになるっていうの? 魔法かなにか?」

 ハルは思いがけないことにビクッと体が動いた。

 でもすぐに僕と自分の境界をなくすことにしてくれた。

「わたしたち、ずっと一緒だもんね」

「そうだよ、一緒だよ」

「――例え、離れるとしても」


 ハルの言ったことは脳をすり抜けてどこかに飛んでしまった。耳の中にもなにも残っていなかった。

 クリスマスの電飾がチカチカ眩しくて、音楽が騒がしいから聞き間違えたのかもしれない。

「なに?」

 そっと体を離すと、ハルは微笑んだ。少し悲しそうな微笑みを浮かべて。

「少しの間だよ。ママの大学で、ママは働かせてもらえるようになって」

「ちょっと待ってよ。スミレちゃんの大学ってさ」

「そうだよ。この街を離れて、ママは一人暮らししてた。通うにはとても遠かったから」

「それってどういう――」


 ハルと僕の両手が、向かい合った姿勢で繋がれている。

 お互いの気持ちを交換できるかのようにしっかり。

 それでも話の具体的な内容はサッパリわからない。

 心と心は確かに繋がってるはずなのに。

「あれからいろいろあって。パパもママも冷静に話し合って、出た答えがそういうことらしいの。二人はとりあえず別居することに決めたんだって。やり直すための時間が必要だって。それは子供のわたしでもなんとなくわかるし、このままギクシャクしてお互いにすれ違ったまま、一緒に暮らすよりいいんじゃないかと思うんだよ」

 寒いからとりあえずお店に入ろう、と今度は姉のように彼女は僕の手を引いた。


 ファミレスの店内は騒がしくて、そして眠くなりそうに暖かだった。なぜか今回も窓際の席を勧められて、気弱な僕は断れるわけもなく、この前の寒さを思い出しながら席に着く。

 ハルはそんな前のことはすっかり忘れてしまったのか、席に着くとすぐにタブレットを手にした。

 なにがあるかなぁ、と暢気なことを言って、焦れる僕を待たせる。すぐにだって訊きたいことがあるのに。

「アキ、なににする?」

 頭の中に前のことを再生する。

 五千円札と溶けたアイスの乗った食べかけのパンケーキ。

 甘すぎるココアとガトーショコラ。

 すべて、どこかが食い違っている。

「ピザでも頼んでシェアしない?」

「いいけど」

 僕はピザの載ったタブを開いて、モッツァレラとバジルのピザを一枚カートに入れた。

 ハルは懲りずにイチゴの乗ったパフェと、二人分のドリンクバーをカートに入れて注文した。

『お水、ドリンク、おしぼりはドリンクバーからお取りください』という表示がタブレットにあらわれる。


「わたし、先に取ってくる」

 ハルは上着を脱ぐのもそこそこにドリンクバーへ急いだ。余程、外が寒かったのかもしれない。

 駅前にずっと飾られたイルミネーションは単調に交互に点灯して、なんだか寒々しい。

 クリスマスってこんなに寒かったかなぁ、とめくったロールスクリーンから街を眺める。

 人、人、人。

 みんな、帰るところを持っている。

「なにしてるのよ」

「ああ、ごめん。ちょっと外が気になっただけ」

「恥ずかしいよ」

 だよね、と言って今度は僕が席を立つ。

 決めていた。次に来た時には本当のことを言おうと。

 まさかこのタイミングで、と思ったけれど、ハルに嘘をつき続けるのは僕には難しい。


「アキ、コーヒーの匂いがする! 間違えちゃったの?」

「ううん、カプチーノだよ。本当は僕、家ではいつもコーヒーを飲んでるんだ。うちにはココアはお菓子用のしかないよ」

「⋯⋯いつまでも付き合ってくれるのかと思ってた」

「知ってたの?」

「アキがわたしより先にうちに来た日は、リビングはコーヒーの匂いしかしなかったから。わたしだけ、いつまでもお子様なのかな? だから寂しくなるのかな?」

 ココアのカップの持ち手を握ったまま、ハルはそう言った。――そうか、黙ってたつもりだったのに本当はもう、わかってたんだ。

「ココアのすきなハルがすきだよ。ココアを飲んでる時のしあわせそうな顔も」

「⋯⋯口が上手すぎ。そういうの、望んでるわけじゃないし。アキにはアキでいてほしいっていうか」

 ハルの話は次第にしどろもどろになった。


 最近よく話に聞く給仕用のロボットが滑るように現れて、そのプレートには頼んだピザが乗せられていた。

 ハルはピザを取ってテーブルに置くと、ロボットの頭のどこかを押した。ロボットはまた滑るようにどこかへ向かった。

「初めて見た」

「ほんとに? 今はどこでもアレだよ。⋯⋯最近はさ、ママとよく外食するんだよね。おかしな話だけど、家で二人きりの食事より緊張しないんだ」

 母さんとスミレちゃんは一卵性双生児で、DNAは美しいほど同じだ。だけど、微小な分岐点は生活の中のそこここに存在して、その度に二人は少しずつ違いを持ち、別々の人間になったんだ。

 同じ大学にも行かなかったし、同じ男性も選ばなかった。子供の性別さえ同じにはならず、そうした歪な違いの中で僕たちは。


「さっきの話ね。パパとママはお互いに考える時間を持つために、別居をすることに決めたの。それで少しは考えたけど、わたしはママについて行こうと思って」

「でもそうしたら」

「だってさ、わたしとママは一緒だったから。ママは雨の日に迎えに来てはくれなかったけど、家に帰って仕事から戻ってない日はなかった。『おかえり』って毎日、仕事も変えずに待っててくれたんだよ。今度はわたしが、ママの心が決まるまで待つ方になることにしたんだ。――以上、報告終わり」


「だって、そうしたら」

 ハルはテーブル越しに手を伸ばして、僕の両手をそっと握った。

「わたしたちって、たったそれっぽっちなのかな?」

 ハルの問いかけにドキリとする。

 このまま離れてしまったら、簡単に会えなくなってしまったら、この関係は続かなくなってしまうのか⋯⋯。

 めくりめくる思い出が、胸のうちを鋭く刺して、痛みが甘い愛情に変わる。

 離れたって忘れてしまうわけじゃない。失われてしまうわけじゃない。

 僕はまた待ち人になって、ハルに呼ばれるのを心待ちに、時間を過ごせばいい。

 ただ、それだけのこと。


「約束しよう。苦しい時にはお互いを呼ぶって。もしもすぐに助けに行けない時でも、必ず返事はするって。そうしたら僕はハルを待っててもいいかな?」

 ハルは抱えたカップに目を落とした。

 気が付けば、小鳥の尾羽のようだった髪はすっかり、ポニーテールに移行しつつあった。青いリボンがいつかのように揺れている。


「どっちかと言うと、待っててくれますか?」

 なーんて、と言ったところに店員がパフェを持って現れ、ハルはそれを自分の真正面に据えた。

「無理にとは言わないよ。だってまだわたしたち、子供だもん。気が変わる時があるかもしれない。アキはその、ショートカットの女の子を自然にすきになるかもしれないし、もしかしたらわたしは超絶イケメンに心奪われるかもしれない。だけどさ、一応、約束しておこうよ。約束が二人を繋いでくれるような気がするから。今だってアキがすき。でも、時間が経ったらお互い、もっと大人の『すき』になるかもしれないし」

「大人の?」

「アキにはまだ難しいかな。すきにも種類があるんだよ」

 いっただきまーす、とハルは真っ赤な苺ソースのかかった生クリームを一口食べて「甘い!」としあわせそうな声を上げた。

 久しぶりに見た、リラックスした笑顔だった。

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