第8話 好きにも種類があるのか
母さんは約束したコンビニの駐車場で僕を待っていた。
ドリンクホルダーにカフェオレのペットボトルが刺さっている。結構待たせてしまったのかもしれない。
ドアを閉めて荷物を下ろし、シートベルトを着ける。カチャッという音に重なるように、母さんは口を開いた。
「アキくん、遅いんだもん。心配しちゃった」
「ごめん、ちょっと用事があったんだ」
「そう言ってくれたらよかったのに。他の子たちが続々と帰って行くから心配したのよ」
「ごめん、本当に悪かったよ」
母さんのそれは過保護というより、心配という名の不安だった。母さんは不安に弱い。いつもと違うことに弱い。
それが双子の妹としての性質なのか、それともハルのお母さんも同じように過敏なのか、よくわからない。
車のシフトがRに入って回頭し、土砂降りの中を車は走る。
走ると言っても止むことなく雨がフロントガラスを叩き、ワイパーが役に立たない。
大通り前の信号で、もう渋滞だ。この交差点が浸水しやすい。
「あれ、母さん。右じゃないの?」
車はいつも通りの右折レーンに入らない。
「スミレちゃんに頼まれてるの」
スミレちゃんは母の双子の姉、つまりハルのお母さんだ。
ということは久しぶりにハルに直接会える。
方向指示器の出す音が、心臓の鼓動と重なる。空回りするかもしれない期待が胸の中で膨らむ。
ハルの学校まで、電車だと二駅。
この雨だとどれくらいかかるのか、まったく予想できない。
「ハルはどこで待ってるの? まさか駅じゃないよね?」
「とにかく酷い雨だから、学校で待たせてもらってるんだけど。着いたら連絡するって言ってある」
なかなか変わらない信号に、母さんが珍しく苛立っている。握ったハンドルを人差し指が一定のリズムでタップしている。
雨。
とにかく雨だ。
結局、ハルの学校まで一時間以上かかって、母さんは平謝りに謝った。
「ハルにもスミレちゃんにも本当に申し訳ない。鈍臭いんだから、こういうのはスミレちゃんに任せればよかったのに、たまにいいところを見せようなんて思うからさぁ」
「サクラさん、落ち込まないでぇ。警報は結局出なかったし、歩いて帰った子は皆ずぶ濡れだって。わたし、サクラさんのお陰で濡れてないよ、ほとんど。大体、ママは運転できないし」
ほら、とタオル片手に後部座席のハルは腕を広げて制服を見せた。
ハルの制服、夏はワイシャツにニットじゃない堅気なベストとプリーツスカート。
ところどころ、雨水で黒ずんで見える。
傘が上手く開かなかったのか、前髪がボサボサだ。
「なにじっと見てるのよ」
「別に」
「見たってなにもないよ」
「ほんとにね」
もうまったく生意気、とか言い出して、母さんも笑う。
ハルは一度言い始めてしまったので、あることないこと「大体アキはさ」と幾つも並べることになる。
そんなムキになるところがかわいい。
「大体アキはさ、気が利かないんだよ。女の方から手を繋ぐ――」
母さんがハンドルを握りながら、渋滞の中、ルームミラー越しにハルを見る。
「繋いだんだ? 夏休み?」
ハルはもう断念して、詳細を語らないわけにはいかなくなる。
「もう大きいのにおかしいかな? 人混みではぐれちゃいけないんじゃないかと思って」
僕の前では横柄な態度が目立つようになってきたハルが、ぽつりぽつり本音を語る。息を止めてドキドキしながらそれを聞く。
「おかしくないんじゃない? お互いにそういう相手がいなければ、だけど。ま、いいんじゃないかな、アキには少なくともいないのは確かだし」
「⋯⋯そうかな? そう言われると自分が考え無しのような気がしてきた」
「あら、アキはうれしそうに帰ってきたけど?」
「母さん!」
ハルは髪を拭く手を止めて、ミラー越しに僕の目を真っ直ぐ見た。そこにどんな感情が含まれてるのか読めなかったけど、少なくとも笑ったりしてなかった。
「二人はいとこ同士だから結婚もできるしね。なんかおかしい。けど、わたしとスミレちゃんは一卵性双生児だから、二人が結婚したらちょっと血が濃いかもしれないね」
ドキッとする。
目先のことばかり気になっていて、そんな先のことは考えてもいなかった。けど確かに、僕たちは血が濃すぎる。遺伝子的にはほとんど異父姉弟に近い。
ワイパーが雨に抗う音だけが聞こえる。
相変わらず洗車機の中のようだ。
「大丈夫、サクラさん。幼馴染が結婚まで至らないみたいに、わたしたちが結婚なんて笑い話にもならないよ」
「それもそうねぇ。小さい頃から知り過ぎてるっていうのもひとつのネックよね」
くすくすと母さんは楽しそうに笑った。
ハルはタオルを握りしめて窓越しに流れる水を眺めていた。水のカーテンの向こうに、なにかが見えるわけでもないだろうに。
僕は――なんだか複雑だった。
ハルを送って行くとスミレちゃんに感謝されて、リビングまで引き摺られていく。一卵性双生児だけど、スミレちゃんの方が若干、強引だ。
「もう本当に助かった! こんなに降ってきちゃったでしょう? パートさんもほとんど家に帰されて」
「お店、大変だったんじゃない?」
「男の人たちはね。土嚢? あれを作って積んだり」
「へぇ、そんなに酷かったの?」
「ここよりお店の方が少し低いところにあるし、昔、そこの川から水が出て大変なことになったんだって」
怖いわね、と母さんは淹れてもらったお茶を口に含んだ。
「アキはなににする? ココアもあるよ」
「⋯⋯コーヒーで」
「お、生意気。中二にもなると男の子も違うわね」
スミレちゃんは階段の下まで行って、着替えてるはずのハルに声をかけた。ハルはなに、と大声を出して聞くと、ココア、と間髪入れずに返事が返ってきた。
僕はなんだか恥ずかしかった。
「ハルだけココアだと恥ずかしくてかわいそうでしょう? アキもココアにしてあげてよ」
「⋯⋯別にそれでいいです」
「なんでそこで敬語よ」
スミレちゃんと母さんは、シンクロしてハモるように笑った。生まれた時から見慣れた光景のはずなのに、なぜかすごく不思議だった。
「でさぁ、プラネタリウムでハルの手くらい繋いだ?」
「繋がないよ!」
「おー、そんなにムキにならなくても冗談よ、冗談。ハルの手なんか握っても、お姉ちゃんの手みたいなもんよね」
僕の喉の奥でぐっと、なにか言葉が飛び出しそうになる。だけどそれは上手く言葉にならない。
そうしてるうちに階段を下りてくる音が聞こえてくる。
Tシャツにショートパンツ姿のハルは、まだ濡れたままの髪で僕の目を覗き込んだ。
肩まで伸びた髪がしっとりしている。
「ハル、シャワー浴びちゃえば? あんたいくらアキくんだからって、そんな格好で男の子の前に出ないものよ」
「はーい。だって暑いんだもーん。ほかの男子の前では気をつけまーす」
全然その気の無さそうな声でハルは答えながらまた階段を上っていった。ハル、とスミレちゃんは窘めた。もうまったくあの子ときたら色気のない、とブツブツ言葉を続けた。
母さんは僕たちがあの日、手を繋いだことを知ってるのに、まるでなにも知らないという顔で「このお茶美味しいわね」なんて言ってる。スミレちゃんが「もらったの。分けてあげる」と答え、二人揃うとやっぱり双子なんだなと思う。
同じ卵から生まれた二人はどこまでもそっくりなのに、どこかが微妙に違う。
結婚相手が違うからなんだとしたら、恋に落ちるとひとは変わるのかもしれない説が浮上してくる。
姉弟みたいな僕たちも、間に『恋』が入ったら関係性が変わるんだろうか? うちとは違う、白を基調にしたリビングで甘い牛乳でいれたココアを飲みながら、考えた。
それで『恋』ってほんとのところ、なんなんだ?
僕がハルに対して持ってる気持ちはそうじゃないのか?
ハルを想うと、心の中が嵐のように乱れることもあるのに。
――本当の『恋』ってなんだ?
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