エピローグ

 アトラルの首都にある教会の聖堂。最奥の内陣で一人の女性が祈りを捧げている。聖職服の上に特徴的な教会のシンボルが縫われた羽織。司祭の証だ。司祭にしては若い。二十代前半に見える。長い濡羽色ぬればいろの美しい髪の楚々とした女性。

 祭壇に飾られているのは壮麗なステンドグラス。そこには教会の信仰対象である神族が描かれている。原初神、天使、精霊、神獣、妖精——。太陽光が透けて絵が色彩豊かに光り輝いている。

 彼女は魔王討伐を成し遂げた功績により役職を得た。とはいえ、若さゆえにまだ名目上の意味合いが強く、教会内の地位は低い。腫れ物とまではいかないものの、同じ年頃の修道士たちは扱いに困っている様子だ。

 しかし、彼女にとっては、それは些細な問題だった。旅路を共にした妖精が姿を消してしまったことがいつまでも心から離れない。時折、体調を悪くしていたようだった。少しでも助けになればと思って聖水を精製したが、それだけでは不十分だったのかもしれない。今さら悔やんでも仕方がない。彼女は祭壇に毎日聖水を供物として捧げている。どうか、妖精に届くようにと——。

 魔王を倒したことで、魔族たちはほとんど姿を消した。魔獣は相変わらず各地で見られるが、その程度になると魔法使いでなくても退治することはできる。世界から脅威は去ったのだ。

 アトラルにはもうすぐ新しい王が立つ。英雄として平民から慕われる王だ。魔王討伐に貢献したアトラルは諸外国から一目を置かれるようになった。すべては円満だ。

 それでも、女性司祭の心は晴れない。例えようのない不安感が渦巻いている。世界が平和になったにもかかわらず——。

 彼女は一心に祈り続ける。消えた妖精を想いながら。

 そのとき、頭の中で何かが弾けるような感覚があった。頭が冴え、思考が広がる。続いて天から朧気おぼろげな声が降りてくる。

 それは一瞬だけ。時間にして数秒。我に返ったときは、いつもの彼女だった。辺りを見回す。天井を見上げる。聖堂には彼女以外に誰もいない。

 女性司祭は立ち上がり、扉に向かって走り出す。長い髪をなびかせ、羽織をひるがえし。

 扉を出たところで高齢男性にぶつかりそうになる。彼は彼女の育ての親である大司祭だ。大司祭はよろめき、ずり落ちた眼鏡を直す。そして、女性司祭に対して溜息をつき、「いい加減に落ち着きなさい。あなたがそれでは——」と苦言を呈そうとする。

「お養父とうさん! 天啓てんけいです!」

 しかし、興奮した声に遮られる。

 大司祭は女性司祭の態度に呆れて言葉を呑み込んだ。

「せめてお養父さんはやめなさい。誰もいないからいいものの……。それで、どうしたんだい?」

「天から啓示がありました! 皆に広めなければ」

 女性司祭は輝いた顔で両手を組む。喜びに満ち溢れた笑顔。聖職者というより、年頃の女性のものだ。

「司祭館で話を聞こう。少しは落ち着きなさい」

「はい!」

 二人は雑談をしながら聖堂をあとにした。


 後日、教会から王城に意見書が届く。司祭が受けた天啓の内容が書かれており、大司祭の言葉で補足されていた。

『自然は人間の者であらず。この世界そのものである。自然を壊すことなかれ。これを守らざるものならば、天よりいかづちが降り注がん』


*****


 大司祭と司祭が退出した教会の屋根にわずかな気配があった。生き物には見ることができない半透明の姿。風に吹かれて彼らを見下ろしている。巨大な鳥と角の生えた男、そして、男の肩には小さな妖精がにこりと笑って乗っていた。

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