第27話 届け、わたしたちの想い

*****


 魔族の集会が行われるのは、ヒイロが作った島——魔王城があった場所に近い海上になる。この世界には太陽の恩恵を受けない場所がある。最北端にある極夜の大地だ。人間が住むには適していない未開の地。

 魔族にとっては、人間に荒らされていないというだけで、隠れ里として充分価値のある場所だった。

 ヒイロが魔法で海底の土地を海上まで隆起させた。当然、まだ人間の地図には描かれていない。整地されておらず、荒々しい表面がそのままになっている。

 ドラゴンでも居住可能な広さ——もっともドラゴンは気位が高い生物で巣から動こうとしないが——で、既に小さな村ができていた。

 そこに集会場を作り、魔族たちに移住を認めてもらうための演説をしなければならない。


*****


 当日、ベルとヒイロは衣装を着替え、里からとうとしていた。アオがやや落ち着きなく、二人の周りを彷徨うろつく。

「あとは任せたぞ」

「はっ!」

 背筋を伸ばして返事をするアオに対し、アカは怪訝な顔をしている。すぐに遠慮なくヒイロに人差し指を向けて声に出した。

「それはなんの魔方陣だ?」

「うん?」

 ヒイロは指が示す方向を視線で辿り、上腕を顔の高さまで上げて衣装の袖を見えるようにした。

「これか? これは魔法陣ではない。ベルが施した装飾だ。魔力はこもっているが、戦闘に使うものではない」

「なるほど。ベルが身につけている宝石は主が?」

「ああ。返礼品としてな」

 二人のやり取りをベルは首を傾げて見る。細かいことを気にしなさそうなアカが衣装について随分と気にしている。この世界の掟に疎い自分が作ったものだから非常識だったのだろうか。ベルは不安に襲われた。アカに事情を訊いた方がいいかもしれない。口を開きかけたが、

「主様! そろそろ出かけませんと……!」

 アオが焦ったように口を挟み、喉奥まで出かかった言葉は飲み込まれた。


    *


 怪鳥ロックに乗って人工島に向かう道すがら、ヒイロはベルに白色の柔らかい生地の羽織を渡した。毛皮ファーだろうか。手触りがよく、温かい。

「雪ネズミの毛でできた防寒具だ。雪ネズミは北国に住む獣で耐寒能力がある。服を着込むより、これ一枚を羽織った方がずっと温かい」

 以前、最北の地を訪れたときは、氷狼ワーウルフを倒したことで耐寒性が上がり、寒さを乗り越えることができた。今回も多少の我慢を覚悟はしていたが——。

 肩にもこもことした素材を羽織ると、こたつに入ったかのような温かさに身体が包まれる。優しい感触もあって、自然とベルの顔から力が抜ける。

「あったかい」

 緊張感で固くなっていた心も身体も解けていくようだった。


    *


 人工島には大勢の魔族が集まっていた。血気盛んな者たちが多いことが離れていても分かる。そのそばには平らな岩棚があり、舞台のように設置されていた。

 ロックは岩棚の裏に着地し、大人しく翼を畳む。ヒイロはベルを連れて背から飛び降りる。

 そこには長老が立って待っていた。片側の口角を上げて挑戦的な笑みを浮かべる。

「よく逃げずに来たな」

「逃げるなど浅はかな行動をすると思ったのか?」

 牽制し合う二人の間にベルが飛び出す。

「こんにちは! 皆さんを集めて下さってありがとうございます」

 緩衝材かんしょうざいになるように、意識して明るく振る舞った。張り詰めた場の空気が柔らかくなる。その甲斐あって長老は相好を崩し、牽制どころではなくなった。

 集まった魔族たちは人型の者から半獣の者もいた。中には巨大な狼のような獣の姿の者もいる。闇の者の特性からか、威圧的な荒々しい声が聞こえてくる。今にも暴れ始めそうだ。

「集まったのは二百。一族の代表で来た者もいる、巣から出ない者もいる。穏健派は大体集まって、中立派も多い。上出来だ。あいつらを納得させることができたら、お前たちの移住案に協力してやる」

 長老は熱気が高まる集会場を親指を立てて示す。ベルの耳には様々な種族の声が届き、自動的に翻訳される。罵詈雑言といっても差し支えない言葉ばかり。

 顔を曇らせるベルに、ヒイロは手のひらを向けて「待ってろ」の合図を送る。一人で岩棚の元へ向かう。自分の背丈よりも高い岩棚に軽々と跳躍して乗る。

 すぐに魔族の罵声が大きくなった。「負け犬が!」「もうお前の時代じゃねえんだよ!」「誰がお前の話を聞くかッ!」ベルは耳を塞ぎたくなるのを耐える。ここで逃げてはヒイロの決意に背を向けることになってしまう。

 ヒイロは島に到着する前に述懐じゅっかいした。「権力を失った私は罵倒されるだろう。今の権力者は幽玄渓谷の当主なのだから当然だ。驚くとは思うが、私に任せて欲しい。今引けば、誰もが二度と私の言葉を聞かなくなる。これは私に課せられた試練なのだ」決意のこもった表情。ベルが口出しをする余地はなかった。今も背中を見守っていることしかできない。

 ヒイロは岩棚の中央まで歩くと、魔族たちの方を向き、怯む様子もなく背筋を伸ばして立ち止まる。その佇む様子は、力を失っても魔王だった頃の威厳があった。後ろから見ているベルにさえ、その覇気が伝わる。

 魔族たちが気圧されて静まると、ヒイロは口を開いた。

「荒野の偉大なる捻れ角の一族の主だ。よく集まってくれた。幽玄渓谷の当主から話は聞いているかもしれないが、改めて私から説明する——」

 そこからヒイロは低くよく通る声で朗々と語る。魔族の置かれている状況、人間の脅威、移住案——。黙っていれば浸りたくなる耳心地のよい口調。

「このまま黙っていれば、この世界は滅ぶ。我らの役目はまだ終わっていない。影から人間をいさめ、創造神から授かったこの地を守るのだ」

 最後まで堂々とした調子で話し終える。

 聞いていて不自然なところはなかった。非の打ち所のない演説だ。魔族たちに分かってもらえるに違いない。ベルは胸を撫で下ろす。

 その隣で長老が「まずいな」と小さく呟いた。ベルが真反対の意見に驚いて長老を見ると、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。

「……オレはアクの強い闇の者たちに『光の者の意志を尊重するべき』と煽ることでまとめた。失った片割れのため、という分かりやすい大義を掲げた。坊主の言い方だとそれを否定と捉えられるかもしれないぞ」

 長老は腕を組んで指で自身をとんとんと叩く。

 その予想は正しかった。すぐに魔族たちが口々に喚き出した。「なんで俺たちが追い出されなきゃなんねーんだ!」「光の者たちを見捨てるのか!」「上手いこと言って、それは結局は逃げだろ!」殺気立った声ががわんわんと響く。それがまとまり、大きな波となってうねる。一帯に不満が溜まり、今にも暴動が起きそうな空気だ。

「ヒイロ……!」

 飛び出していきそうなベルを長老の大きな手が遮る。

「ここが正念場だ」

 魔族たちの罵詈雑言を渦中で黙って聞いていたヒイロは、片足をゆっくりと上げてから力強く床を踏んだ。バキッ、ガラガラ——。頑丈なはずの厚い岩にヒイロの足を中心として大きなヒビが入る。

「静まれ同胞たちよ」

 先ほどより低く威圧感のある声。かつての支配者としての姿を思わせる猛々しさ。ベルには紫色の魔力が炎のようにヒイロから放出されているのが見えた。

 魔族たちは言葉を失う。目の前にいる男は、力を失ったとはいえ、いまだ有力者であり、由緒ある一族の末裔なのだ。それは実力主義の魔族にとって重要な因子。

「私は光の者を軽んじることは言っていない。彼らは今でも大地の中でこの世界を見守っている。ならば、我らのやることは一つ。虚空から支えようではないか。人間たちを見張り、時にいかづちを落とし、この世界の行く末を見定めるのだ」

 声に力強い意思が灯っている。何者にも退かない堅牢な風格。それは王の資格を持っているように見える。

 魔族たちは今度こそ完全に沈黙した。ヒイロの言葉に圧倒されている。ただ、まだ戸惑いがあるようだった。諸手を挙げるまでには至っていない。互いに視線を合わせ、どうするべきか迷っている。今までの主義主張をすぐに変えるのは難しいかもしれない。

 ベルを引き止めていた長老の手が、今度は背中に回って優しく押す。それまで耐えていたベルは、考える前に舞台へと飛んでいった。首元にある赤橙色の宝石に手を当て、息を整える。心臓がうるさい。演説などしたことはない。それでも身体が勝手に動いていた。

 舞台の中央に到達する。ヒイロと目が合った。小さく頷いてベルを後押しし、自身は後ろに下がる。

 舞台からは大勢の魔族が見渡せた。二本足の者もいれば四つ足の者もいる。毛、角、歯、皮膚——それぞれが違う。物語の中では全員が悪役で獰猛な生き物だ。しかし、今のベルには恐ろしくはない。全員が共に生きる仲間だからだ。

 魔族たちはベルの姿に気がつくとざわめいた。絶滅したはずの妖精が目の前にいる。中にはベルと会ったことがある者もいて、「あの子だ!」という声も上がっていた。

 舞台に上がると、胸の鼓動が大人しくなった。ヒイロが後ろで見ていてくれる。目の前にいるのは敵ではない。

 ベルは大きく息を吸い、全員に聞こえるように声を出した。

「こんにちは!!」

 しっかりと喉の奥から声が出た。人前でも問題はない。自信がつき、続けて話し始めた。

「初めまして! わたしはベルです。今日は皆さんにお話があって来ました」

 日本人らしい仕草の挨拶。流れる風に魔法で声を乗せる。ベルの明るく澄んだ声が春風のようになって近隣に広がった。

「わたしは皆さんに比べるとまだ生まれたばかりです。分からないことは沢山あります。だけど——」

 そこで言葉を区切り、人の心を解きほぐすような柔和な笑みを浮かべて続ける。

「わたしの生まれ故郷は素敵なところなの。豊かな森でたくさん動物がいる。そんな場所を守りたい。まだ間に合う。枯れてしまった場所だって取り戻せるかもしれない。ここが分かれ道だと思う。この世界を諦めるか、挑戦するか。わたしは失いたくない。だから、わたしたちに力を貸して!」

 両手を前に広げて、祈るように乞う。呼吸を取り戻すために肩が上下している。顔が熱い。言いたいことはすべて言った。

 沈黙を破ったのは、爬虫類族の男だった。

「力ならいくらでも貸してやるぜ!」

 それをきっかけに後から後から賛成の声が上がる。

「任せろ!」

「何もせずに終わるのは俺たちらしくねえよなあ?!」

「子どもたちのためにもやりましょう!」

 最初は少なかった声が広がっていき、大きな声援になる。腕を上げる者、こぶしを握る者、小刻みに跳躍する者。いつの間にか、全員がベルとヒイロの後押しをしていた。

 ベルは嬉しさに涙を浮かべて、後ろを振り返った。ヒイロが微笑んで拍手をしている。

——よかった……!

 今だったら不可能なことはない。移転は必ず成功する、とベルは心から思った。


 *****


 演説が終わった後、魔族たちは仲間たちに移転のことを伝えるべく、速やかに住み処へ三々五々帰っていく。

 ベルとヒイロは長老と話をしていた。これからの予定、転移について。長老の顔は肩から荷が降りたように晴れ晴れとしている。

「転移となったら全員集まって術をかけなければならない。一ヶ月は時間が欲しいな」

 そう言ってから長老は顎を撫でて考える素振りを見せる。そして二人に意味ありげな視線を送った。

「ところで……嬢ちゃんが身につけている宝石に見覚えがあるな。坊主の生まれ故郷で取れる石か?」

「はい! ヒイロに貰いました。わたしが服にお守りを入れたので、そのお礼に」

 長老の視線がヒイロの袖に移る。そして、頷き一つ。

「妖精の魔法か……」

「待て。ベルは何も——」

 ヒイロが何かを言いかけるも、長老の方が早かった。

「相手に自分の魔力を捧げるのは、求婚の意味があるんだぞ」

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