第12話 勇者と魔王
蔓や菱形が刻まれた重厚な扉の奥にはがらんどうの空間が広がっていた。中央に赤い絨毯が引かれている。その両隣には
存在する魔族はただ一人。玉座に悠々と腰を下ろし、ボッカたちを待ち受けていた。
部屋に足を踏み入れた途端、びりびりと人間たちに威圧感が襲いかかる。攻撃を受けているわけではない。魔王は指一つも動かしていない。背中に汗が滲む。
音量が大きいわけでもないのによく通る声が響いた。
「よく来たな哀れな人間どもよ。害虫の分際でここまで辿り着いたことは褒めてやる。しかし、この我の前に現れたことを後悔させてやる」
尊大な態度で朗々と喋ってから、魔王は立ち上がった。
ボッカは剣を抜いて天井に向ける。
「魔王! これ以上、人間たちを苦しめることは俺が許さない!!」
「いいだろう。返り討ちにしてる」
それが開戦の合図だった。
先手を打ったのはボッカ。地を蹴り、玉座に猛突進をする。
そこへライオネスが呪文を詠唱し、強力な魔力を解き放つ。火の魔族が使った魔法を真似たもの。もちろん、人間が魔族と同等の魔法を操れるわけはない。これは火の魔族の技に着想を得たライオネスのオリジナル魔法だ。
「
炎が床に広がり、一気に天井へ向かって複数の細い火花が噴き出す。ボッカのフードの中に隠れているベルは、「ナイアガラみたい」と噴き上がる炎に目を奪われた。
ボッカは器用に火花を避けながら、魔王に向かう。
残念ながら、人間では最大級の魔法でも、魔族にとっては大した攻撃ではない。魔王は噴炎を一つずつ人差し指を突きつけるだけで消していく。
「子どもの遊びだな」
ライオネスはさらに炎を発生させる。消されたそばから噴き上がる。もぐら叩きのようだった。
ボッカにはクレアの強化魔法が重ねがけされ、さらに防御魔法がかけられているため、炎によるダメージはない。もちろん、自身の身体能力の高さがあってのものだ。
炎の間を縫うようにして走るボッカ。魔王から見れば、ハエが飛び回っているようで煩わしいのだろう。冷静だった表情が少し歪んだ。
ライオネスの炎は攻撃用途ではなく目眩ましだ。ボッカに攻撃が集中しないように繰り出し続けている。尋常な魔力消費量ではない。優秀な魔法使いだからこそ成せる技だ。額から汗が流れて息が上がっていく。
「小賢しい」
魔王は床に向かって腕を大きく横に振り、床に広がる炎が一度で吹き飛ばされた。
「……くっ」
発していた魔法が掻き消されたことにより魔力が逆流し、その衝撃でライオネスは床に膝をついた。
「頼みます……ボッカ殿」
魔法対決としては破れたはずのライオネスの口元には、珍しく
ボッカは魔王が広範囲の魔法を使った瞬間、高く跳躍し、被害を逃れていた。クレアの身体強化により、魔王の遥か頭上だ。剣を下方に向け、翡翠色の魔力を全身にまとわせ、そのまま落ちる。
ボッカの気配に魔族の王たる魔王が気がつかないはずはない。すぐに頭上を見上げ、右手に揺らめく黒い玉を生み出す。
「これで私に勝ったつもりか?」
魔王が生み出した闇の塊はそこにいるものを戦慄させるほど力が満ちていた。食らえば確実に死——。それでも、ボッカは魔王に突っ込んでいく。
そのときだった。ボッカのフードからベルが飛び出した。
「——この者に聖なる祝福を」
ベルから溢れ出した黄金の光がボッカを包み込んで輝く。
「な……に……?」
魔王が感情を剥き出しにしたのはこれが始めてだった。黄金に輝く人間を目の当たりにして目を見開く。動揺しつつもボッカに向かって闇の塊を掴んだ手を突き出す。
「魔王ーッッ!!」
ボッカの剣が迷いなく魔王に下ろされる。光と闇が真っ向からぶつかる——。
二つの力がぶつかった瞬間、破裂した魔力の欠片が
後方にいたライオネスとクレアにまで届き、二人は腕で顔を庇った。それも数秒で、魔力を感じなくなった二人が再び玉座に視線を向けると——、
玉座に仰向けに倒れた魔王と覆い被さるように剣を突き刺すボッカの姿があった。
ボッカは肩を揺らしながら息をぜえぜえと荒く吐いている。魔王は天井を見上げたまま動かない。
いや、魔王の震える右手が魔法を収束させていた。それは先ほどに比べると弱々しいものだったが、人間にはとても敵わない威力。
魔王の動きに気がついたボッカは、最後の力を振り絞って剣を振り上げる。
しかし——魔王の魔法はバキンッという硬い音を発して掻き消えた。右手から力が抜け、今度こそ動かなくなる。
ボッカはもちろん、ライオネスもクレアも臨戦態勢のまま、唖然とした顔をしていた。
魔王から気配はまったくしない。床に伏したまま、ぴくりともしなかった。
「やっ……た……?」
ボッカは動かない魔王を目の前にしても信じられないような顔をしている。肌に突き刺さるような強大な魔力だった。身体が粉々にされると思うくらいに。しかし、組み敷いているのは、他ならぬ自分自身だ。脈動を感じない。確実に倒した。火や水の魔族と違い、身体がそのまま残っている意味は分からなかったが。
「やりましたね!」
クレアがボッカに向かって走り出す。続いてライオネスも。三人は汗を拭うのも忘れて満面の笑みで飛び上がるようにして喜んだ。
ベルだけは魔王を見下ろしたまま、「——どうして?」と呆気に取られていた。
*
ボッカは緊張した面持ちで魔王の髪を掴んだ。魔王討伐の証明のためには、首を持って帰らなければならない。ボッカの手は微かに震えていた。恐れではない——今まで何体も魔族を討伐してきたのだ。ただの村の少年だったボッカには、戦士たちには当然の行為が、死者への冒涜だと思えたのだ。
ボッカは一度だけ目を瞑り、次に開いた瞬間に剣を振るった。手には魔王の夜より暗い一房の黒髪が握られている。
「ボッカ様……」
背後に立つライオネスはボッカの心情を汲み取り、「魔法使いには監察に長けた者もおりますので、身体の一部でも問題ありません」とそっと話しかける。
その言葉でボッカの肩から力が抜け、
「そっか。いくら魔族でもあんまりだもんな」
少しだけ顔を和らげた。
魔王討伐隊はこうして魔王の遺体を残し、部屋を立ち去ることにした。
「ベル?」
クレアは後ろを振り返り、魔王を見続けるベルに気がついて声をかけた。
石膏のように動かなくなってしまった魔王。震え上がるほど恐ろしい力はもう感じない。ベルはそんな彼を凝視し、戦闘中の言葉を思い出していた。
『人間ども引け!』
『ここで立ち去れば命だけは逃がしてやる』
『お前たちの国へ大人しく帰れ!』
魔王から発せられていたのは、心のない怪物の言葉ではなかった。人間と変わらない感情があるように感じた。
その言葉を聞いていたベルに戸惑いは生まれたが、人々を救うために迷わず役割を果たした。
——が、最後に使った魔王の魔法。魔力を正確に目視できる妖精のベルだけが気がついたのかもしれない。魔王の魔力はこの城周辺に薄く広がり、複数の何かを覆うようにして吹き飛ばした。
ベルの目から一筋の涙が零れる。もしかしたら、それは仲間ではなかったのか? いくら妖精でも詳細は分からない。感じ取れたのは、微かな命たちが移動する気配のみ。
魔王が残った力を振り絞ったのは、自分が助かるためでも、敵を攻撃することでもなく、同胞を逃がすためだったのかもしれない。
ベルは考えもしなかった。凶悪な敵だと思っていた魔王が仲間を救うなんて——。
——もしかしたら、話し合えたのかもしれない……。
ボッカたちは他の魔族相手にも嫌悪感を抱いているようだった。人間と魔族は分かり合えない。前世で人間だったベルも、魔族の味方をすることはできない。
今のベルにできることは、寂しげにも見える魔王の亡骸に目を閉じて祈りを捧げることだけだった。
「あなたが安らかに眠れますように……。ごめんなさい……」
淡い金色の光が魔王に降り注ぐ。ぱらぱらと光の粒が舞い落ちるようだった。
祈り終わったベルはもう一礼すると、クレアの元へ飛んでいった。玉座には魔王が眠るように横たわっていた。
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