ワードとナナシ(2)

 ナナシがワードと暮らす事を決めてから一か月程すぎた。朝食の時間、パンを切り分けているワードを横目に新聞の見出しをナナシは読み上げる。


「えっと、『盗賊団の残党、未だ行方掴めず捜査難航中』、これワードが前に言ってたお仕事の話?」

「そうですね。……一か所にまとまらず散り散りになって潜伏してるのかもしれませんね」

「うん、そんな感じの事が書かれてるみたい」


 ナナシが記事をざっと読んでワードの予想を肯定する。ワードはナナシに追従して文章を読んで頷いた。


「問題なく読めてるみたいですね、他にはどんな記事がありますか?」


 毎朝の日課として、ワードが食事を準備する間にナナシは新聞をある程度音読する。公用語を間違いなく読めているか確認しつつ、彼女の認識にズレが起こっていないか確かめる事もできる、一石二鳥の手としてワードが考えた物だ。機嫌よく紙面を読み上げるナナシの声を聞きながらワードが朝食の準備を終える直前、彼女から戸惑いの声が出た。


「スライオム区は明日雨だって、それから、んん、え、なにこれ?」

「おや、読めない文字でもありましたか?」

「いやちがくて、『竜人ドラゴニア族らしき若者、目撃される』、これ読み間違えてる?」

「えっ、何ですかその記事は」


 信じられない内容にワードも戸惑った。飲み水をコップに注ぐ作業を中断して彼が新聞に目を移す。


――本当にそう書いてある。


 ドラゴニアは当に絶滅したはずだ。


「道の窪みに嵌まった商人の馬車を持ち上げ、手助けをしてお礼も聞かずに走り去った?」


 記事を読んでみると同じようにドラゴニアに助けられたという人が同じ地区で複数人いる様だ。ドラゴニアの祖先として爬虫人リザードと言う種族が居るが似通う所がありながら異質な見た目をしていたという。


「これってものすごい事なんじゃないの?なんだか平和に書かれてるけど……」


 被害に遭った経験を持つナナシが思わず恐怖を滲ませてワードに所感を求めるのは無理のない話だ。ワードは首を傾げて唸った。


「ううん、この文面だけだと何とも言えませんね、ドラゴニアだと決まった訳じゃないですし」


 文面を読む限り、人が困っている場所に現れては手助けして風のように去っているだけで、決して暴れているとは書かれていない。件の内容はリノ村があるスライオム区での話ではなく、隣接したコタラゲッティー区で起こった事で現場とは単純にかなり距離がある。隣の区画での真偽不確かな話が、こちらの公共新聞に小さくとも乗っているのだ。十分大きく取り上げられている方だと言えなくもないが、ナナシの感覚的にはもっと真剣に取りざたされるべき事なのだろうなとワードにもわかる。


「……本当に問題を起こす人なら騎士団が対応している筈です、今のところ人助けをしているだけのようですし、あまり気にしなくていいと思いますよ」

「そういうものかなぁ」


 納得できなさそうなナナシ、その髪色が紫色になっている。


――その色は見た事がないな!


 今の話から得る感情が良い気持ちであるはずが無いのでワードは少し焦る。


「さぁ、ご飯にしましょう、音読はそこまででいいですよ」

「……うん」

「今日も間違いがなかったのでベーコンを一枚追加です」

「わーい、ありがとう」


 紫色になっていた髪は見間違いですよと言わんばかりに薄い黄色に変わった。朝食を食べながら二人は今日の予定を話す。


「お昼前に屋敷の外壁を綺麗にしてくれる業者さんが村に到着するので迎えに行ってきますね」


 屋根の傷んだ部分の張替えはもう終わった。壁が済めば内装を綺麗にして、家具を整えたら、後は庭をある程度整備して終わりだ。


「昨日も言ってたね、私は特訓するから屋敷に居たいかな、いい?」

「はい、勿論かまいませんよ、頑張ってみてください」


 ここ一カ月の間にナナシが不意に変身してしまった回数は少なくない。片腕がどう見ても男性の物になったりした事があるが、幸い変身してしまった時に近くにワードが居て深刻な事態にはならなかった。腕が自身の物と似た形になっていると彼が気付き間違い探しをしようと二人で遊んでいる内に元に戻った。


――ちょっと怖いけど、いつでもワードが居てくれる訳じゃないからそこも含めて特訓しないと。


 不意に変身する度、深刻な事態にならない様に彼が手助けしてくれているのだとナナシは理解している。今も穏やかに応援をしてくれているが、内心で心配してくれているのだろうというのも分かってる。特訓に対してあれこれ言わないのもきっと自分の意思を挫かないためだ。


「屋敷に住んでからもう一月も経つんですね。……名前、まだ決められなくてごめんなさい」


 新聞に書かれた日付を見て改めて結構な時間が経っている事を実感し、申し訳なく彼は思う。謝罪を受けたナナシは目を丸くしていやいやと首を振った。


「私は待ってるだけだから、謝る事なんてないよ」

「そういってもらうといくらか気楽になります」

「むしろいっぱい考えてくれてるんだなって嬉しくもあるから」

「なら遠慮なく、もう少し考えさせて貰いますね」


 人の名前を決める事の何と難しい事かと彼は思う。自身の名付け親はほぼ何時でも楽しそうに飄々とした人だったが、裏では今の自分と同じように悩んでいたのだろう。二人が食事を終えると食器類がおもむろにふわふわと浮かんで一か所に集められていく。


「ガーディアン殿、いつもありがとうございます」


 汚れた食器類を二人の近くで静かに佇んでいたガーディアンが洗い場に持っていくのもいつもの事になった。一回チカリと瞬いて返事をした魂はふよふよと移動していく。お皿達を見送りながらナナシはふと思いついた事を話す。


「ガーディアンさんも名前があってもいいかも」

「うん?」

「名前が無いのは寂しい事なんでしょう?」


 言われてみればワードもガーディアンという呼び方が無機質に思えてきた。生前の名前を憶えている可能性もあるが、そうでないならこれから長く一緒に暮らす同居人に愛称があってもいいかもしれない。


「なるほど。そうですね、本人に聞いてみて同意が取れたら考えてみましょうか」

「私も一緒に考える!」


 発案者として張り切るナナシに気が早いですねぇとワードは微笑んだ。

 その後、二人はナナシのスキル特訓に勤しむ。特訓は髪の色を意図して変化させることができるかどうか、逆に精神が揺らいでいない基本の色である白い髪を維持できないかという内容だ。


「……」


 一か月の時間を過ごす中で、ナナシの感情が善悪どの方向にせよ高ぶれば色が変わるというワードの憶測が間違いない物だと互いに自信を得る事が出来た。椅子に座り目を閉じて集中する彼女の髪は白。ナナシ曰く、集中しているというより意識的に何も考えないようにしているとワードは聞いている。これが精神がフラットな状態である時に髪色が白くになるという根拠だ。

 ちなみに、このまま放置しておくとナナシは昼寝するのだが、寝ている間も髪が白色である。そして今目の前で、ぼーっとしている彼女に悪戯をするのがワードの役割だ。


「さてどうしますか」


 さも悩んでいるように呟きながら、彼は事前に準備していた水筒に指を一本入れる。中の水に魔力を伝わせて、そうすることで彼の思った通りに掴んだ物が動く。素早く水滴を移動させて、彼女に悟られぬように首の後ろ、うなじのあたりに配置する。

 配置完了後にワードはいきなり大きな拍手を一度響かせた。パァン!と大きな音が鳴るがナナシは一切動じなかった。


――二個目はどうだ?


 大きな水滴がナナシのうなじにぶつかった。


「ほわっ」


思わずナナシが驚きの声を上げる、その瞬間に彼女の髪は濃いオレンジ色にグンッと染まった。白に戻ったのはその三秒くらい後、特訓を始めてから始めの頃は些細な事で驚き色が変わってから戻るまでたっぷり三十秒は掛かっていた、これだけでも目覚ましい位進歩してる。ワードは確認のつもりで彼女に伝える。


「驚いたらオレンジ色になるのは間違いないでしょうね。ナナシさんが何かに興味を引かれている時も薄くではありますけど同じような色身になってるみたいですし」


 語りかけてくるワードに頷くでもなく、ナナシは質問してきた。


「今、私の髪、白いよね?」

「ええ、そうですよ」


 そう答えると髪が薄く黄色になった。その様子を見てすぐさま白に戻せたことが嬉しかったのだろうとワードは思った。ナナシはでもう一度質問する。


「今、少し黄色が混じった」

「はい、そうですね。うわっ!?」


 黄色がかなり濃くなり、先ほどの薄い黄色ゴールドと呼べる色からずっと見ていると目が痛くなりそうなイエローへと髪が変化する。今まで見た事もない濃さに驚いてワードは声を上げてしまった。ナナシはカッと目を開いてわなわなと呟いた。


「わ、私」

「へ?」

「目を閉じてても、今、髪の色が、どうなってるか分かるようになった。……かも?」


 出来る事が増えたかもしれないとナナシは喜び、大した事でもないかと不安になって首を傾げた。対して本人より興奮したのはワードである。


「……おお、凄い、天才が居る、天才だ、ナナシさん、貴方は天才だ!」

「そこまで言うのっ!?」

「まだ一カ月しかたってないのに出来る事が一つ増えたのですよ!マジ半端ないです!」

「マジ半端ない」


 そんな言葉がワードから出てくるとは思いもよらずナナシはオウム返しにしてしまった。


 その後もワードはナナシを褒めまくり持ち上げまくりで、そうするうちに彼女の髪の色が初めてピンク色になった。照れたらピンク色になるようだとワードは一発で確信したらしい。


◆◆◆


 午前中を二人で騒がしく過ごしてワードが業者を迎えに外に出て行った。屋敷に一人残ったナナシは息を大きく吐いてもにょもにょとしている。


「褒められすぎてる、絶対褒められすぎてる」


 ワードは基本的に穏やかに自分に接してくれている。そしてついさっきのやり取りで確信したが、大変自分に甘い。

 彼女が思い出すのは屋敷に住んで初日だ。朝起きた時、ナナシはワードとガーディアンの二人におはようと告げた、特になんら考えていない当然の挨拶だった。彼はそれに『良い挨拶ですね』と微笑んで褒めてきた。他にも掃除を手伝っても、洗濯を手伝っても、特訓に進展がなかった時でも何か褒める理由を見つけては伝えてくる。

 今日だって毎朝やってる新聞を間違いなく読めたからといって朝のご飯がちょっと増やしてきた、この調子では例え読み間違いがあろうとも、努力しているから偉いと言って来るだろうと自然に思う。

 新しい事を出来る様になったら天才の連呼で、ああまで言われると照れる。


「また新しい事が出来る様になったらなんて言われるんだろう」


 まず間違いなく滅茶苦茶褒めてくる。子供扱いされてるのかもと、ナナシは思うがこれと言って嫌でもない。

 こうしてワードと離れて気付いたが目覚めた時に脳裏にいた冷たい誰かの声が全く持って聞こえない、あれは一体何だったんだろうと他人事の様に彼女は疑問に思った。ただ、あれが消えていないという感覚だけは未だナナシにはある。


――よし、ともかく一人の内にやってみよう!


 ワードが居ると逆にやりにくい特訓が一つある。疑問を脳内から蹴り出してナナシは服を脱ぎ始めた、下着も何もかも脱ぎ捨てて全裸になる。彼女が試したいのは全身の変化だ、腕が太くなったり足が変形したりと言った事は不本意であるとはいえ経験がある。


「胴体はできるのかな」


 まずはやれるかやれないか、例えば胸の大きさや腰回りのサイズを変えられるのかどうか。この特訓はちょっとワードの目の前ではやれない、いくら寛容な彼でも対応に困るだろうとナナシからしても想像に難くない。ガーディアンの性別は分からないが魂だけの相手に羞恥心を抱いても仕方ないだろうという感覚だ。実際、今もガーディアンは近く居るがナナシが脱いだ服を畳んでふよふよと何をするでもなく浮いているだけの様だ。


――まず体の大きさを変えれたらいいのだけど。


 せっかく買ってもらった服をダメにするのは申し訳ないと考えてとりあえず脱いでおいたが、大きさを変えるという変化をはたしてどうやったらいいのか見当もつかない。ワードならどう考えるだろうかと思う。


――どんな時に私がどういう髪の色になるか、彼は本当によく覚えている。


 変化しているナナシ本人より彼女の事を把握しているのではないかという程だ。自分の身に起きている事ではないのにそれほど理解しているのは観察をして記憶に留めているからだろう。


「どんな時に、身体が変わったっけ」


 ナナシが思い返したのは一番最初の変化。悪い意味ではあるがあの体験は深く鮮明に彼女の記憶に残っている。


――そう、自由そうで羨ましい、って思ったの。


 あの時は完全に地に足が付かず、自分の事も訳が分からない状態だった、自分が自分であるのかも確信が無かった。今はあの時と違う、名前は無くても現在に至る経歴が分からなくても、絶対に違うとナナシは胸を張って言い張れる。


「猫になっても良いんだよね」


 身体の形を変化させるという目的には沿っている、これが成功すれば間違いなく全身の変化はできるという事だ。


――例え猫になろうが、どんな外見になったって私は私。


「そうだよね、ワード?」


 問いかけると、自分を理解してくれる、理解しようとしてくれる人が心の中で頷いた。

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