守護霊との約束(3)

 ワードはピエロであり傭兵である。いつ何時でもパフォーマンスを落とさぬよう気を使い、身体を鍛えている。一般人から見れば間違いなく足が速い方で、スタミナにも相応の自負が彼にはある。その彼が全力で走っているというのに彼女に追いつけない。


――滅茶苦茶足が速いなっ!?


 恐らく当てもなくひたすら先を走っているだけの名前を持たぬ彼女の足が速い。


――肉体強化ブーストを使ってるのか!?まさか、あり得ない!彼女が能力スキル持ちなら俺と同じく一般の魔術は使用できないはず!


 走りながらどうしても浮かんでしまう疑念を振り切ってワードはともかく走る。全力の追走劇を繰り広げる二人に何事かと固まる村人たち、その内の誰かに衝突しそうになると彼女は身軽な動きで飛びこしたり、あるいは身を捻って縫うように避けてしまう。


――サーカスうちの軽業師達でもあんな動きができたか!?


 必死になって追うワードが疑うレベルの妙技だ。

 すぐに村の出口付近まで近づいてきた、息を乱せばそのまま振り切られてしまう、助けを求める声を上げる余裕がない。村に駐在する騎士は近くにはいない、一般人では咄嗟に彼女を捕まえる事はできないだろう。向かって左に騎士団の駐屯所をワードは目の端で捉えた。


――気付くかどうかは運次第だけど、何もしないよりマシだっ!


 懐にある小さな魔石、それを走りながら乱暴に撃ち出して駐屯所の扉に当てる。シクラスに向けたメッセージが拾われるかは分からない、魔石が拾われて意図を察してくれたとして、はたして手助けが来るまでどのくらいかかる事か。

 村を抜ける、つまり村人が居なくなり、逃げる彼女を邪魔するものが無くなる。


――このままでは追いつけない、振り切られそうだっ!


急な全力疾走を行って彼のスタミナが限界に達するのはそう遠くない。


――あの人もっと足速くなってないかっ?


もはや後がないと、ワードは切り札を切る。自分を弾丸に見立てて、目的地に導く、スキルを応用した技の一つ。


――――跳躍ジャンプ、スタート!


◆◆◆


 ドアをドア、椅子を椅子だと区別できるようにこの身体は名無しの自分の身体であると彼女は確かに理解していた。だが、仕切りに身体を摩ったり腕を見つめたりしてしまうのがなぜなのか、彼女自身理解できずにいた。思う通りに動くのに、それが自然であることは確かなのに、どうしようもなく不自然な感覚。

 コクータにはとりあえず寝ていろと言われたがそんな気にもなれず、そわそわと落ち着かない身で彼女はベットから立ち上がった。床の固く冷たい感触が裸足の皮膚に伝わる。医師がワードを連れて再度訪ねて来るまでにも一度立ち上がったが、床が次第に自身の体温で暖まる感触が妙に気味が悪く、すぐにベットの中に戻ってしまった。


――今は、大丈夫。


 大した事ないじゃない。何をそんなに怖がっていたのだろうと彼女は思う。

 名前という言葉の意味を聞かれた時。二人は戸惑っていた、自分を理解できていない様だった。名前がない自分はちょっとおかしいらしいと、彼女は理解した。


 だから、言葉は通じていると示す事にした。目につく物の名前を全て言葉にすることがその証明になると思った。物の名前は正しい物であると確信があった、次々に答える事が出来て舞い上がっていたのだ。

 だが、違った。名前の分からない物があって、それについて質問した時二人が怪訝な、気味悪がるような眼を向けられていると彼女は思った。何かがズレている、何かが違う。


 次第に気味の悪い自分は攻撃されるのではないかと頭はに想像し始めて身体が震え始めた。それもまた、違った。コクータとワードは優しい人だった。怯える彼女を二人は宥めた、殴られたり蹴られたりするどころか向けられる言葉にすら攻撃の意図が一つもなかった。


「怖い事なんぞなーんもないぞ、だって」


 コクータの去り際の言葉を一人で呟いて笑う、あえてそういう言い回しをしたのだろうけど緩すぎやしないだろうか。ワードもまた会えて話せたらと言っていたではないか、気味の悪い相手に再会を願う事があるだろうか。部屋を少し歩き回ってみる。彼女は水差しからコップに水を注ぐと、グイと一息に飲み干した。


「冷たい」


 喉を通る感覚を言葉にする。


「まだ明るい」


 窓の外の空を見て表現してみる。


「灰色?灰色、でいいよね?」


 鏡に映る自分の髪を色合いで表現する。灰色というには黒の要素が強いと思うが、まぁコクータやワードに聞いてみればいいかと思う。すると、窓の外側の近くに何か飛び乗ってきた、音のした方向に振り向く。四つ足で身軽に窓の縁に飛び乗って来たのは黒い猫だった。


「猫、可愛い」


 猫はこちらを一瞬伺って興味無さそうに通り過ぎた。なんだか自由そうで羨ましいなとふと彼女は思った。首の角度を戻して、視界に戻ってきた鏡には顔の右半分近くが猫の様になっている女が居た。


「ぁ?」


 信じられない虚像を見て、彼女は間の抜けた声を上げると掌で自分の頬を確認し始めた。ふわりとした触り心地、さっきまでに散々確かめた自分の皮膚とあまりにも違う感触が手に伝わる。これは自分だ。


――理解できない意味が分からないさっきまでと違う。


 違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。


 攻撃される。また勝手に考えが浮かぶ。違う。これは声だ。誰かが頭の中で囁いている。


『この世に、理解などない』


 知らなくて知っている誰かの、あまりに冷たい声。


「い、ひ、ぎゃあああああぁ!!」


 逃げないと、逃げないと、彼女は悲鳴を上げて飛び出した。


――誰かが私を殺しに来る前に!


◆◆◆


 地を蹴り、駆ける彼女を追いかけてワードは跳ぶ。

 盗賊団と戦うの際にブーストを使った戦士ガルーが、間合いを一息に詰めた時のような動きに似てはいるが質が違う。ワードは自信を弾丸よろしく見立てて、。走り幅跳びを片足で連続で繰り出しているのがブーストだとすれば、前に飛び跳ねる自分を転がらない様に足で方向を補正しコントロールするのがジャンプだ。

 ブーストマジックを疑似的に真似たスキルの応用技で、使用者の多さから幾多の実験による下地と改良が加えられているそれに比べればワードのジャンプは余りに燃費が悪い。


――チャンスは少ない!


 走る負担は軽減され呼吸は楽になったが、代わりに魔力がどんどん減っているのを実感する。村からもそれなりに遠ざかっている、何としても彼女を止めなければならない。


「待って!ください!落ち着いて!」


 ワードが跳ねながら声を振り絞ると行く当てもない逃走者は動揺して振り返る。彼女の顔を見てワードは混乱した。


――顔が半分猫に!?


 髪の色だけでなく体毛や輪郭まで変わるのか、と驚きはしたが今はどうでもいい。彼女がこちらを振り返った事によって少し走るスピードが緩やかになった、チャンスは今しかない。手を伸ばして彼女の貫頭衣越しに右肩を掴む。


「嫌だぁ!」


 何もかもを敵と誤認している彼女は絶叫し、左に大きく身をよじり勢いそのまま一回転する。ワードの手が派手に弾かれた。


――捉えたっ!停止ストップ、ストォォォップ!!


 何の防御も施されていない衣服程度であれば一瞬触れれば十分。乱暴に軌道をずらした直後、即座に体勢を立て直してなおも逃走をしようとする彼女の服をその場に


「わっ!?」


 彼女の足は前に進もうとしたが、服だけがその場に留まる。下半身は前に向かうも、上半身が動かない。結果強い力で後ろに引き倒された形になって派手にしりもちをつきに行く羽目になる。


「くぉおお!」


 このままではそれこそ頭を打ってしまう、ワードは自身を倒れてくる身体の下に何とか滑り込ませて受け止めた。何がどうなってしりもちを突いたのか理解できずに目を白黒させる彼女に、地面と人体でサンドイッチにされ空気を吐き出してしまったワードが息も切れ切れにもう一度声を掛けた。


「げふっ!……す、すいません、乱暴に止めました。はぁっ、大丈夫?俺が、誰かわかる?」


 ワードの掠れた声は唐突に空を仰ぐことになった彼女の意識に生まれた空白をうまく突いた。


「ワード……?」

「そうです。聞こえてるなら、とりあえず良かった、はぁ~ふぅ、怪我は有りませんか?」


 息を整えながらワードが質問すると彼女は自身の状況を思い出して顔の右半分を焦って隠した。唐突に顔を隠した彼女を座らせて、自分も体を起こして座って正面から向き合い努めて穏やかに伝える。


「スキルのコントロールが出来ないんですね、大丈夫ですよ。急に身体がそうなったら驚いて当然です、貴方はおかしくありませんよ」

「す、すきる?」


 この気味の悪い姿を見てもなおワードの態度は変わらない。それにスキルという言葉も理解できず彼女はオウム返しする。ワードが次に言葉を伝えようとしている間に、ふと彼女は先ほどまでと違う感覚になっている自身の足に目を向ける。


「わ、やだ、いやだ、何でぇ!?」


 足まで肉食獣の後脚の様になっている。ワードより遥かに彼女が速くなっていたのは足の構造的な違いで、こうして制止できてから素の身体能力では追いつけなかった訳だと納得したくらいだ。足の形が何時も間にか全然違う物になっている事に対し、ワードはスキルはそもそも千差万別でそう言う事もあるのだろうと鷹揚であったが、当の彼女は気が気ではない。


「何で、いや、戻って、戻してぇ!」

「ちょ、待って待って、落ち着いてくださいっ。何も自分を叩かなくてもっ!」


 涙目になって容赦なくバシン!バシン!と、聞いてるだけで痛くなるような音を立てて足を叩き始めた彼女に面を食らってワードは腕を掴んだ。彼女は誰に話しかけているのか、まるでワードがその場に存在しないかの様だった。


「戻して、戻してよぉ、殺される、殺されちゃう!」

「そんな事しませんよっ、大丈夫ですからっ、その尖った石をどうする気ですかっ!?」


 彼女は徐に近くにあった尖った石を振りかぶって自分の足に刺そうとし始めた。ギョッとしてワードは精一杯制止するが、彼女は酷く怯えている、まるでこの場に居ない誰かと戦っている様で、なぜそこまで怯えてるのか彼には心底わからなかった。

 出来る事と言えばもう、自分には敵意がないと只示すだけだ。自分を痛めつけない様に両腕を掴みながら、彼は地に頭を着ける。変な形の、ワードが何処かで聞いた『ドケザ』とかなんとか言う伏して許しを請う姿勢に似ていた。


「私に貴方を傷つける気はありませんっ、自分で自分を殴るのも痛いでしょうっ、どうかやめてくださいっ、落ち着いてください、どうか、どうか……!」


 余りに無様であった、矜持など何処かに投げ捨てた男が一人そこに居た。ワードはこれ以上敵意を示さない方法が思いつかなかった。大げさな動きと言葉が彼女の頭の中にいる誰かの冷たい声を塗りつぶした。


「殺さない?」

「しません」

「殴らない?」

「そんなことしません」

「何で?」


 攻撃の意図はないと断言するワードに彼女は聞く。名前がないと告げた時と同じだ、自分に名前がない様にこのような気味の悪い外見をしていれば攻撃されるのが彼女にとって当たり前だった。


「何で、とは?」


 その当たり前に相対しているのは傭兵として仕事を請けようと、なるべく出来るなら戦闘の意思確認を行い、無傷で済むならと降伏勧告を行い、幽霊相手にでも筋を通すピエロである。全力での追走劇を繰り広げ、魔力の大半が無くなってへばっているが被害らしいものもない、自分を殴りつけていた彼女の足の方がよほどワードにとっては気がかりだ。


「殴る理由なんてないですよ」

「ある、あるじゃない、だって私こんなにおかしくなってるのよ!?」


 常識外れの対応に彼女は大きく叫ぶ。頬を触り足を抱え込む、顔と足だけが獣であることは異常な筈だ。ワードは確かに彼女を見つめていた、視線が合った上で、言葉も理解して彼はこう返答する。


「……あの、だからどうしたんですか?」

「ぇ?」

「ごめんなさい、本当に分かりません。その外見になったから攻撃されるというのは意味不明です、少しは驚きましたが」


 診療所のガラスを壊してしまったのでその件について小突かれるくらいなら、まだわかる。だが恐らく、コクータは彼女の状態を鑑みて手を出すようなことはしないだろう。彼女はひたすら戸惑っているが、それが何故なのかワードには分からない。とは言えそれでも幾らか言葉を交わせたことによって彼に疑念が浮かんだ。


「何か、お互い認識に物凄くズレがありませんか?」

「……」

「貴方が怯えてるのは分かります、でも私は貴方を殴ったりしないし、嘘もついてません、断言できます」


 ワードはついでに感情だけでなく、理屈の方からも説いてみる事にした


「まぁ、信用できませんよね。えっと、もし今までの言葉に嘘があったら……そうですね、私はほぼ初対面の貴方を物凄く必死で追いかけてきて、わざわざ嘘をついてるって言う事になるんですけど。……そこまでする意味があるのでしょうか?攻撃するつもりがあるなら、こんな近くで私は何をやってるんですか?」

「……それは、そうだけど。じゃあ、何のために追いかけてきたの?」


 認識に酷いズレがあるというワードの疑念、その言葉を聞いてみれば彼女も確かになんだかおかしいなと思い始めていた。それでも脳裏に走る冷たい声の残響が彼の言葉をなんとか否定しようとしている。


「ほら、もうじき暗くなります、山賊や魔物だって出てくるかもしれません、貴方が被害に遭ったら嫌ですから」


 空を見上げてワードは答えた。自分で自分を殴るのも痛そうだからやめてくれと、必死に乞うていたのを彼女は思い出す。ついに脳裏にささやく声は鳴りを潜めて、彼女は自分の思考を取り戻した。


「そうなの?……いや、それはそうだわ……そうよね、私、さっきの村を出てどうするって言うの……?」


 こんな格好で?と自身の服を摘まんで首を傾げる。例え身体がワードたちと大した差が無くてもこんな格好をしていれば不審者扱いされて当然で、もはや自分から攻撃されに行っている様だ。ワードは彼女の髪色が薄くなり灰色になっている事に気付いた。


――感情で色が変わってるのか?


 ともかく落ち着いてくれたならそれに越した事は無い、ワードは一旦村に戻ろうと決める。


「ぉぉぉおおおおおお!」


 ふと遠くから何か雄叫びのような声が聞こえた、こちらに近づいてくるようだ。怯えた様に身を縮こませる彼女をワードは庇える様に引き寄せた。

 声の主は足に光を帯びた白いマントを羽織った誰かであった。猛スピードで村の方からこちらに駆け寄ってきた騎士は、ワードたちを見つけるや急ブレーキして地面を派手に滑って反転する。


「大丈夫っ!?」

「……まぁ、なんとか」


 シクラスだと確認するや警戒心を完全に解き、少し草臥れた笑顔共にワードは彼に手を振る。彼女はワードの腕の中で恐る恐ると振り返り、剣を腰に携える男を見て小声で呟いた。


「あの人は?」

「ああ、ただの面白善人です、全く無害ですよ」

「お、面白善人!?」


 シクラスは身体を捻った妙なポーズのままリアクションする、ピンチに駆けつけるヒーロー然としながら全く格好良くない。彼はワードから見るとどうしようもなく善人でしかも面白い男であった。

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