取引

 早朝の静けさとは打って変わって、市場は活気で満ち溢れていた。


 国内外を訪れる人間が多く行き交い、民の元気な声で市場はより華やかに彩られる。


 何年か前に比べれば随分と減った方らしいが、王都から出ないラトスたちには十分賑やかに見えた。


 ロスィカの不況は当然他国にも知れ渡っており、宝石商以外は立ち寄る価値もない、と揶揄されているという。


 隣に立つ少女を見る。深紅に染まっていた髪はクリーム色と混ざり合い、赤茶色の鮮やかな発色をしている。


 服装もこれまでの煌びやかなものではなく、薄い布地を切り取って繋いだような、そして申し訳程度の腰に巻いた水色のリボン。

 とても王族には見えない完璧な変装だ。


 幾分か動きやすそうにはなったものの身を守るという観点では不安が残る。

 にもかかわらず、本人は今にも走りだしそうな勢いで町並みを眺めている。


「ラトス、ラトス! 町が、人がこんなに!」


「あまり大きい声を出さないでください」


 ラトスは極めて冷静だった。人混みの中に紛れて衛兵が巡回しているのを見逃さない。


 いくら姿が変わったといえ危険は避けるに越したことはない。


「俺たちが向かうのはあちらです。行きましょう」


 エリーゼを誘導しながら大通りを一本二本と抜ける。

 だんだんと人通りは減っていき、やがて道路や建物の劣化が顕著に現れてくる。


 陽光を遮るように薄暗い道は細く、その傍らには蹲った人の影が散見される。

 貧民街は日々拡大する一方だ、というゼタの言葉も今なら少し信用できる。


 ついさきほどまではしゃいでいたエリーゼも、空気に飲まれてか声を失っている。


 改めて突きつけられるロスィカの現状。偽りのない姿を見せられ、彼女は何を思うのか。


「まずは換金してくれる質屋を探しましょう。俺の手持ちももうありませんので」


 エリーゼは黙って後を歩く……視線は真っ直ぐ前を向いている。

 しかし、どうしたって視界の端には貧民の姿が映る。


 帰る家があるのならまだいい。彼らのように人の寄りつかない、壁と壁の隙間を家とするような生活は想像するよりもずっと苦しく惨めなのだろう。


 子どもからは好奇の、大人からは憎悪の視線が向けられる。

 気にせず前進するが、エリーゼに掴まれている袖口がぎゅっと引っ張られる。


「どうかされましたか」


「……ううん。大丈夫、この人たちは悪くない。私たちのせいなんだから」


「エリーゼ様のせいではありません。これは現国王の作った現状です」


「でも私は他人事だとも思わない……思いたくないわ」


 彼女は同情している。万人を尊ぶ姿勢はきっと現国王よりも良い印象を抱くだろう。


 しかしラトスは、その素晴らしい志に共感はできない。

 同情したところで彼らの境遇は変わらない。つまり無駄だと感じてしまう。


 共感できないのはラトスが今まで受けた教育のせいなのか。それとも根本的にエリーゼとは考え方が違うのか。それはまだ判断できない。


 重苦しい日陰の道を進むと、妙に人が集まっている路地に差し掛かる。

 身なりのいい者、悪い者が入り混じっている。


 店らしき区画の前には商品らしき珍物が展示されているが、値段はとても適性とはいえない。


 闇市だ。ラトスも初めて訪れたが、肌でそう感じることができた。


「このあたりで換金してくれる店はないでしょうか」


「うちがそうだよ。リスタルシア幣はないけどいいかい」


「構いません。この剣はいくらになるでしょうか」


 ラトスは腰に携えた剣を差し出す。それに驚いたのは商人よりも先にエリーゼだった。


「い、いいの? 大切なものではないの? それに、なければ戦うこともできないんじゃ」


「問題ありません。ナイフが一本あれば事足りますので」


 この剣を失ったとて、ラトスには胸ポケットに、袖に、そして靴の裏に一本ずつナイフを仕込んでいる。

 ゴロツキや腑抜けた衛兵程度ならこれで十分。

 それに、この剣は死神の証として贈られたラトス専用の剣。

 死神を名乗れない今なら持つ資格もない。


「こりゃすげぇ。今時黒鉄で鍛造された剣なんざそうお目にかかれねぇ。しかも純正、相当腕の立つ職人が打ったんだろうなぁ」


「いくらになりますか?」


「ふむ……儂はここらでもっともケチな商人として有名だが、こんな業物に安い値段は付けられん。よし、小金貨二十枚でどうだ」


 わっと後ろから小さな歓声が聴こえてくる。流石に王族でもこれが大金だとわかるらしい。


 この町の宿相場であれば一か月は贅沢三昧で暮らしていけるだろう。

 しかし──


「小金貨五十枚。それ以下は有り得ないでしょう」


 低い声音で放った台詞は周囲の温度を急激に下げた。

 商人の笑顔がやや引きつったものに変わる。


「お客さんよぉ、それはいくらなんでも無理があるってもんだ。黒鉄の価値は高いさ、でもそれはロスィカ以外の話であって」


「いいえ。黒鉄の生産量は年々減少しています。数字にすれば毎年二から三パーセント単位で。故に黒鉄の相場は上がり続けており、先月の相場ではついに一グラムに銀貨が付くようになりました。この剣の重量であれば妥当かと」


 薄ら笑いを浮かべていた商人の表情が強張っていく。

 ラトスの言ったことはすべて事実であり、商人もまたそれを理解している。


「あーそうだったか? でもなぁ、他に出したところでこの量の黒鉄を買い取ってくれる連中なんていないぜ?」


「であれば他をあたります。近くに質屋はありませんか?」


「ま、待て待て。少し上げるから」


 慌てて引き止める商人を薄目で睨む。

 騙そうという魂胆は見え透けている。貴重な財源をここで搾取されるわけにはいかない。


「あまり悪質であれば、今ここで衛兵を呼ぶこともやぶさかではありません」


 闇市ではもっとも圧力のある脅迫。とはいえ実際に衛兵を呼べばラトスたちにも危険が及ぶ。


 しかし目の前の商人を怯ませるには事足りるようだった。


「三十枚でどうだ?」


「四十。これ以下となればこの話はなしとします」


「……さ、三十六だ。頼む、これ以上はもう商売ができなくなっちまう」


「ラトス。もういいでしょう」


 エリーゼが慈悲を込めた目で訴えてくる。

 いったいどっちの味方なんだと言いたいが、今はそんな揉め事を起こしている時間はない。


「今回は彼女に免じて取引成立とします」


 金貨三十六枚を目の前で数えさせ、半ば奪い取るようにかっさらっていった。


 去り際、すっかり顔を青くする商人に言う。


「何を見て判断したかは存じませんが、俺は世間知らずの子どもではありません。騙す相手はよく選ぶように」


「……肝に銘じておくよ。毎度」

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