三、乾村の姫(二)
その土地に雨が降らない場合、まず相談するのはそこの土地神だ。彼等は土地を任され管理する神で、その土地の事なら何でも知っている。
この村の土地神の祠は、村の中央に広がる広場に鎮座していた。
「……あら?」
祠の上を飛び回る土地神を見て、宝劉は疑問の声をあげる。
(どうして飛魚が、こんな陸地に……?)
海が近い訳でもないのに、村の土地神は海の上を飛ぶ魚の姿をしていた。
宝劉が声をかけようとして近付くと、それに気気付いた土地神の方から近寄ってきた。
否、突っ込んできた。
「あらあらあらあら、劉家の方じゃないの! ちょうどいいところに来たわ。頼みたい事があるのよ!」
宝劉が挨拶する間もなく、土地神は早口で喋り出す。
「あのね、この村には、二月も雨が降ってないのよ。あたし困っちゃってねえ。田植えができないなんてもう最悪じゃない。土地神としてもやってられないし、王家としても困るでしょう?」
「左様でございます。私はその解決のために参りました」
矢のように降り注ぐ言葉をぬって、宝劉はやっと口を挟む。
「申し遅れました。私、朱倭国王女、宝劉と申します。この旱魃問題解決のため、土地神様から詳しくお話を伺いたく存じます」
この言葉がいけなかった。
「ありがとー助かるわ。村の人たち、みんな私のところに雨を降らせてってお願いに来るんだけどね、あたしじゃないのよ! この地域の天気の調整は、あたしにはできないの! もう誰か助けてよって感じで、でも普通の人間には、あたしの姿は見えないじゃない? ほんとにもうどうしようって、思ってたのよー」
情報を与えてくれるのはありがたいが、できれば言葉のやり取りがしたい。しかし、この言葉を投げ続ける神様相手には、難しい願いかもしれない。
「あたしね、一面の田んぼが好きなの。初夏の青田もいいけれど、それが秋になって一面黄金色になったらもう、言葉に出来ないくらい綺麗じゃない? その上を飛ぶのが大好きなのよ。あれを初めて見た時にはもう感動してね、尻尾の先まで震えたくらい。なのに今年は雨が降らないせいで、田植えができなくて……」
(そこまで詳しくは聞かなくていいんだけど……)
宝劉は適当に相槌を打ちながら、言葉を挟むタイミングを探す。詳しく話を聞きたいと言った事を、後悔し始めていた。
「あたしだってやる事はやったのよ。山を一つ越えた辺りの滝にいらっしゃる水神様が、この辺りの天気は調整してらっしゃるの。わたしはこの土地を離れる訳にはいかないから、直接様子は見に行けないんだけど、手紙を書いて何通も送ったわ。もうほんとに何通も! なのにあの神様、何をなさっているのか音沙汰も無くてね……」
宝劉は相槌にも疲れ始めながら、そのヒレでどうやって手紙を書いたんだろう等と考える。
王女の後ろで待つ彩香と舜䋝は、笑顔で神の対応をする劉家の娘を、気の毒に思い始めていた。
「分かりました。詳しいお話、ありがとう存じます」
飛魚土地神の村に対する熱い思いが一段落したところで、宝劉は何とか一言ねじ込む。
「つきましては、私が土地神様の遣いとして水神様の所へ参りたいのですが、いかがでしょう」
「あら、いいの? それならぜひお願いしたいわ。いくら神っていってもね、土地神なんかじゃ位も低いし、できる事なんて限られてるのよ。一度その土地の神になったら、よっぽどじゃないと外には出られないもの。ほんと不便よねえ、どうにかならないのかしら、この制度。なんて、一介の土地神じゃ上に意見も言えなくて……」
今度は何だか愚痴のようだ。しかし、神の言葉を無視する事もできないので、宝劉はそれから先もしばらくの間、笑顔で相槌を打ち続ける羽目になった。
「疲れたわ……」
結局、宝劉が矢継ぎ早に飛んでくる言葉から逃れたのは、社に着いてから一刻近く経った後だった。
「ずいぶん長くお話されていましたね。土地神様は何と?」
飛魚土地神に見送られながら、祠から少し離れたところで彩香が訊いた。
「この村の天気を管理しているのは、あの土地神様じゃないらしいわ」
宝劉は二人に必要な部分を伝える。
「あの山を越えた所にある滝に、水神様が住んでらっしゃるって。雨を降らせる事ができるのは、その方だそうよ」
「では、これからそこに?」
舜䋝が訊く。
「もちろん。水神様に直接、雨を降らせてほしいって申し上げに行くのよ」
「それがよろしいかと」
「参りましょう」
一応野宿の準備もして、三人は教えられた山に向かった。山道が続くとのことで、愛馬たちは置いていく。
「その滝の詳しい場所はお分かりなのですか?」
獣道、先頭を行く舜䋝が訊ねた。
「もうすぐ川に出るはずよ。それを辿って行けば、見つかるらしいわ」
土地神の言っていた通り、少し行くと沢があった。水は底まで透きとおり、その中を泳ぐ魚の姿も目視できる。
しかしその川は、豊かな環境だけでなく、旱魃の深刻さも物語っていた。沢に対して川の幅が異様に狭く、川辺に打ち上げられて死んだ魚が、太陽に当たって乾いていた。
宝劉は、厳しい顔でこぶしを握る。
「急がなきゃね」
三人は川の上流へと歩を進める。
「そういえば殿下、水神様がどのような方か、土地神様に訊かれましたか?」
彩香に訊ねられ、宝劉ははっとする。
「忘れてたわ」
言葉の雨を受け止めるのが精一杯で、大切な事を訊くのを失念してしまった。
「お願いに行くなら、捧げ物が必要よね。どうしましょう」
相手の事を知らなければ、手土産も用意できない。
「うーん……」
宝劉は脚を止めずに考え込んだ。
旅の途中、これから調達できるものは限られているし、会った事のない水神がどんな供え物を好むのかも分からない。さて、どうしたものか。
「うーん……まあいいわ。魚か鹿でも捕っていきましょう」
三人は河原を歩いていく。太陽が照らす中、所々で川魚が干からびていた。
「川原って、涼しくていいわね」
まだ四月なので暑い訳ではないのだが、やはり川の近くは涼しく感じる。
とはいえ、のんびりしている暇はない。一行は足裏に石の感触を覚えながら、せかせかと脚を動かしていた。
さらに上流へ歩いていくと、川原に岩が多くなってきた。
「あら?」
宝劉が、岩場に乗った茶色いものに眼を止める。大山椒魚であった。
「あら、野生の大山椒魚なんて、珍しいわね」
宝劉は顔をほころばせる。個人的にとある大山椒魚と縁があるので、それは彼女にとって心落ち着く生き物だ。旅の途中で出会えたとあって、何だか縁起が良い気がした。
「こんにちは」
宝劉は、まだら模様の茶色くのっぺりした生き物に声をかける。返事を待つが、国最大の両生類は、つぶらな瞳で少女を見上げるだけである。
しばらく見つめ合った後、宝劉は声を上げて笑いだした。
「そうね、野生の大山椒魚は、喋ったりしないわよね」
考えれば当たり前のことなのだが、どうにも先入観が抜けない。
宝劉はひとしきり笑ってから、大山椒魚にさよなら、と手を振ってその場を離れた。
少し歩くと、川原が途切れ山道になった。川のせせらぎを耳に、三人は土の道を歩く。
「馬を置いてきて正解だったわね」
「そうですね」
山道は細く、馬の脚より人の脚の方が楽に進める。所々に岩もあり、馬で越えるのは大変そうだった。
「今夜は野宿になりそうね……」
傾きかけた太陽を見て、宝劉がつぶやく。
「今のうちに、夕食を確保しておきましょうか」
「その方が良さそうですね」
「御意」
舜䋝と彩香も賛成する。
三人はしばし立ち止まって、狩の準備を整えた。
「さて、行きますか」
夕飯のために狙うは兎。鹿や猪は食べきれないし、捌くにも大きすぎる。何より運ぶのが大変なので、旅路の食料は兎に限る。
ただ、こうも草木の生い茂る中では獲物を見つけるのに苦労する。まして小さくすばしこい兎となると、その苦労は何倍にもなる。
「やるしかないわね……」
宝劉は覚悟を決めるが、隣に舜䋝がいることを思い出し、頬を緩めた。
「なんだ、舜䋝がいるじゃないの」
「はい、おりますよ」
舜䋝は宝劉を見てにっこり笑う。
「頼むわね」
「お任せください」
舜䋝は、人並外れた体力と鋭い感覚を持っている。森での狩猟は彼に任せるのが一番だ。
期待に違わず、舜䋝は西の空が染まる前に、兎を二羽も獲ってきた。
「ありがとう舜䋝」
「さすがですわ」
宝劉と彩香が礼を言うと、舜䋝は少し照れたように笑った。
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