第4章 抗えない運命
第23話
愛奈が倒れて、1時間経った頃。
「う……ん」
微かな声が聞こえた律は愛奈事務所のソファーで横になる愛奈の元へと向かった。律が顔を覗き込むと、愛奈は薄目を開けている。
「目を覚ましたかい?」
起きたばかりの愛奈を気遣って、律は控えめな声でそう尋ねた。愛奈はゆっくりと体を起こすと、緩慢な動作で左右を見渡す。
「あれ? ここは?」
「事務所のソファーだよ。君は突然倒れたんだ。最後に次の事件のことを口にしていたけれど、何か思いだした?」
愛奈は律の言葉に顔を歪めると、右手で額を抑えた。苦しそうなその表情に、律は優しくその背中をさする。
「そうだ。私は……」
「無理に話さなくてもいい。もう少し記憶が整理されて、落ち着いてからでいいから」
「ありがとうございます。でも――」
愛奈はそう言うと額から手を離し、真っ直ぐに律を見つめた。律はさする手を止めると、愛奈の瞳を見つめ返す。彼女はゆっくりと、言葉を続けた。
「それじゃ、手遅れになる気がして。今、お伝えしてもいいですか?」
律は震える愛奈の手を見て止めようか迷ったが、真剣な瞳から覚悟を感じ取り静かに頷く。その返事を確認した愛奈は深く呼吸をすると、伏目がちに続けた。
「次の被害者は――私です」
愛奈の言っている意味が分からず、律は思わず「え?」と聞き返す。愛奈は視線を再び律に戻すと、切なげに目を細めた。
「この前の通り魔事件の時、律さんが怪我を負っていたら安くて狭いオンボロアパートへ引っ越すことになるっていう話をしましたよね。さっき思いだしたんですが、それ、私の住んでいるアパートの名前と同じなんです」
律は彼女の言いたい内容が分かり息を呑む。
「もしかして、そのアパートでも事件が起こるって言っていたのは――」
「そうです。同じアパートの住人である私が殺される事件です」
信じがたい話に、律はしばらくの間呆然とする。愛奈は視線を布団に向け、何も言わない。沈黙がその場を支配していた。
数分後、ようやく整理がついた律は一呼吸おいて口を開いた。
「犯人が誰かは分からないんだよね?」
愛奈は頷くと、視線をそのままに話し始める。
「犯人は分かりません。どこで殺されるのかも、思いだせないんです」
愛奈の声は若干震えており、今にも消えてしまいそうなほど儚く思えた。律はそっと彼女の足元付近――ベッドに腰掛ける。
「そうか。それは怖い話だね」
「はい。……あともうひとつ、思いだしたことがあって、聞いてもらえますか?」
律は「もちろん」と返すと愛奈の言葉を待つ。愛奈は深呼吸をすると、口を開いた。
「私の前世なんですけど、私、前世でも殺されていたんです。また殺される運命だなんて、本当おかしい」
自嘲気味な様子で笑う愛奈に、律は眉間にしわを寄せる。
「前世でも殺された?」
「はい。前世では、私に男友達ができたことをきっかけとして、嫉妬深い幼馴染に殺されました。その幼馴染とは恋人同士だったわけではないんですよ。それなのに……意味分かんないですよね」
乾いた笑いを見せる愛奈。律はそんな彼女の頭を優しくなでる。愛奈が驚いたように顔を上げた。
「一方的な愛は時として相手を傷つける。その幼馴染は己の持つ愛の暴力性を知らなかったのだろう。もし僕がそこにいたら、君をその暴力性から守ってあげられたかもしれないのに……。随分と怖い思いをしたね」
律の優しい言葉が愛奈の涙腺を刺激したのか、愛奈の目から涙がこぼれる。律はそれを右人差し指でぬぐうと、さらに言葉を続けた。
「今世では、僕が君を守るから安心して。君を殺させやしない」
愛奈は頷くと手で顔を覆い、小さく嗚咽を洩らし始める。律は唇をかみしめると、目の前で自分の運命を嘆く助手の頭をもう一度優しくなでた。
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