第14話

「なんなんですか? 急に呼び出したりして。ジジイが犯人なんでしょ? 俺、関係ないよ」


 和治の孫――明彦あきひこは下が黒色のジャージ、上が灰色のパーカーという姿で現れた。肌の艶からいって年齢は律と同じくらいだろうか。迷惑そうな顔で頭を掻いている。


「君が今回の件に関して無関係なわけないんだ。だって、和治さん――君のおじいさんは黒い軽自動車に乗れるわけがないんだから」


 律の言葉に、明彦と和治が息を呑んだ。その一方で、佐々木と愛奈は不思議そうに首を傾げている。佐々木が律に尋ねた。


「どういうことですか? この家には車が2台ありますし、二人とも車を運転できるのでは?」


「この家にある黒の軽自動車はアルトワークスという車種でね。ターボエンジンを搭載した軽スポーツカーなんだ。今販売されている最新型のワークスはAGSというオートマタイプもあるけど、ここのは初代アルトワークス。1987年に発売されている当時にはそんな技術ないから、あの軽自動車はマニュアルタイプでしかありえないんだ」


 そう首を横に振った律を見て、愛奈が納得したように数回頷く。明彦はそんな二人を横目に顔を歪めた。


「だからなんだよ。うちには軽トラックもある。ジジイだって軽トラック運転できるんだ。マニュアル運転できるだろ」


 律はそれに答えようと口を開きかけたが、視界に首を横に振る愛奈が映り口を閉ざす。愛奈も状況が読めたのだろう。ここは助手へ任せることにした。


「それはないでしょう。この村の方が言っていましたよ。元田さんの奥さんは運転が上手くマニュアル車を運転していたけど、旦那さんは運転が下手でオートマ車しか運転できないって。奥さんが亡くなられてからはオートマタイプの軽トラックに買い替えたそうですね。あと、奥さんの車にはお孫さんが乗っているとも言っていました。これらが黒い軽自動車をおじいさん――和治さんが運転できない理由で、孫である明彦さんしか運転できない理由です」


 愛奈から視線を向けられた和治は顔を強張らせる。明彦が小さく舌打ちをした。


「え、軽トラックにオートマタイプなんてあるんですか?」


 驚いたように言う佐々木。興味津々な様子を見せる彼に、律が微笑みながら頷いた。


「ありますよ。最近はオートマ限定免許の人も増えていますし、時代の流れですね」


 へえ、と佐々木は意外そうに家の外へ視線を向ける。恐らく、軽トラックを見ているのだろう。律は表情を真剣なものに戻すと、明彦と和治に視線を戻した。


「今の話を聞いても否定をするんだったら、お二人の免許証を見せてください」


 律の言葉に言い逃れできないと思ったのか、明彦が「ああ、そうだよ」とぶっきらぼうに言った。


「ジジイが街の方まで連れてけっていうから、俺が車で乗せて行った。だけど、俺はそこでジジイが何をしていたのかは知らない。暗かったから服に返り血がついているとか気づかなかったし。殺人事件のことなんて、今日初めて知ったんだよ」


 ――ここまで問い詰めても罪を認めないのか。


 律は深くため息を吐くと、未だに外を見ている佐々木に声をかけた。


「佐々木刑事、確認です。防犯カメラに車の乗りこむところが映っていたと言っていましたが、その人物は運転席に乗ったんですよね?」


 佐々木は意識を律に戻すと、「あ、はい。そうです」と真剣な表情で頷いた。愛奈がわざとらしく「あれ、おかしいですね」と首を傾げる。


「おじいさんをあなたが送って行ったというなら、どうしておじいさんは助手席や後部座席ではなく運転席に乗ったんでしょう」


 愛奈の言葉に余裕がなくなったのか、明彦の顔が少し青ざめている。律が畳みかけるように、和治に話しかけた。


「可愛いお孫さんを庇いたい気持ちは分かります。でも、家族だったら、過ちを認めて罪を償うよう導くべきではないですか。あなたのお孫さんは、他人の命を奪ったんですよ」


「余計なことを言うな!」


 明彦が声を荒立て、律を睨む。和治は崩れ落ちるようにして膝を床につけると、両手で顔を覆った。


「……正直に話します」


「ジジイ!」


 和治につかみかかろうとする明彦を、佐々木が抑える。和治はその様子に両手を顔から離し、少し明彦から距離を取った。その顔は恐怖で固まっている。


「彼のことは大丈夫。あなたに危害を加えさせませんから、続きをお話しください」


 笑顔で言う佐々木に安堵したのか、和治は態勢を整えると先ほどの続きを話し始めた。


「私は今日まで、何も知りませんでした。孫が夜外に出ていることも、うちに殺人犯が着ていた服があることも。しかし、今日刑事さんに話を聞いてうちから証拠となる服が出てきたとき、悟ってしまったのです。孫が私の服を着て、私になりすまし、人を殺したのだと」


 律は大きくため息を吐く。


「動きを老人らしくして防犯カメラに写っておけば、警察は犯人を老人だと推測するだろうしね。まさか、実の祖父を犯人に仕立て上げるとは思わなかったけど」


 愛奈が声のトーンを下げて律に続けた。


「それでも、あなたにとっては大切な孫だった。だから、庇ったんですね」


 愛奈の言葉に、和治が「はい」と答えた。律は視線を和治に戻す。孫に裏切られた祖父の表情は、どこか悲しそうだった。


「たとえ今無職で引きこもっていたとしても、私の大切な孫に変わりはありません。まだ未来のあるこの子に私ができることは、罪を庇うことだと思いました。……それも間違いだったんですね」


「本当に大切なら、罪を償うよう勧めるべきだった。また、同じ過ちを繰り返さないように、自分がどんな罪を犯したのか、教えるべきだった」


 そう話す律に、和治は力なく笑った。


「その通りです。私は、この子を甘やかしすぎていました。その報いが、今こうしてこの子に殺意に近い憎しみを向けられていることなのでしょう」


 律は明彦に視線を向ける。彼は仇でも見るかのような視線で、和治を睨んでいた。それは自分を庇おうとしてくれた肉親に対する態度でなく、律は呆れてため息を吐く。


「恩を仇で返すとはこのことだね。君は自分がどれだけ恵まれていたのか、守られていたのか、何も分かっていない」


「お前に何が分かる。仕事にも恵まれて、見た目もよくて、力になってくる人も傍にいて、一人でも十分自立した生活が送れているお前に俺の何が分かるんだ!」


 叫ぶように言い放った明彦。その声の大きさに、佐々木が肩を震わせた。


 律は明彦と視線を真っ直ぐに合わせると、淡々とした口調で――しかしどこか柔らかみのある声で言った。


「何も分からないよ。僕の苦悩が君に分からないようにね。それでも、君がおじいさんに愛されていることは他人の僕から見ても分かる。一人では生きていけないと絶望する君を、一人にしないでくれているんだ。傍から見て君は、見捨てられ追い出されたっておかしくない状況なのに」


 愛奈が「そうですよ」と律に続けて言う。


「私は正直、自分を守ってくれる家族を持つあなたが羨ましいです。私には家族と呼べる人はもういないですから。本当にあなたのことを大切に思ってくれる人がいて、あなたは幸せ者ですよ。それなのに、どうしてその人を傷つけるようなことをしたんですか。あなたに向けられた愛は期限付きかもしれないでしょう。それは寿命と共に尽きるのかもしれないし、愛想と共に尽かされるのかもしれない。いい加減、永遠は存在しないことを理解しないと、後悔することになりますよ。……もう遅いかもしれないけど」


 珍しく声色を荒げた愛奈に、佐々木も律も目を丸くした。普段温厚な彼女が怒りを露わにするのを見るのは、律にとって初めてだった。今回の事件は彼女なりに思うところがあるのだろう。


 愛奈は最後にため息を吐くと、佐々木に冷めた笑みを向ける。


「さ、早く彼を連れて行ってください。証拠が足りなくても、任意同行はできる状況のはずです。一刻も早くこの親不孝――いや、不幸者を視界から追い出したいので、なるべく早く」


 愛奈の怒りを抑えたような低い声に、佐々木が顔を強張らせた。明彦も顔を俯かせ、もう何も言う気はないように見える。


 律はしばらく様子を見るも、佐々木は動揺しているのか中々動かない。横目で愛奈を確認する。彼女は明彦を睨んでおり、今にも彼にとびかかりそうで危うく感じられた。


「……佐々木刑事」


 愛奈が何かしてしまう前に、と律が声をかける。


「は、はい。分かりました」


 佐々木は律の声で我に返ると、明彦の腕を掴んで玄関へと向かう。明彦は力が抜けたように、下を向いている。その背中を見ながら、ポツリと和治が言った。


「……あの子は就職までは順調だったんです。それなのに、新卒で入った職場がブラック企業で、心を病んでしまった。それからあの子は仕事を辞めて、引きこもるようになりました。うちへあの子を呼んだのは、親元では居心地悪く生きにくいだろうと思ったからです。何度か農業の仕事を一緒にやらないか誘ってみたり、外へ出かけるよう促してみたりしましたが、その後も引きこもりはひどくなる一方。その結果、人様の命を奪うような子になっていたなんて、今でも信じられません」


 呆然とした様子の和治に、律は言う。


「彼はきっと、誰かを傷つけずにいられなくなるほどに追い詰められていたのでしょう。まあ、どんな理由があれ、どんな生い立ちがあれ、彼がやったことは重罪です。その罪の重さに気づかない限り、彼はきっと変わらないでしょう」


 その言葉を受けて、和治は「そこまで追い詰められていることに気づかなかった自分が情けないです」と曖昧に笑った。


 愛奈は何も言わず窓の外を見ている。律がその視線を追うと、そこではちょうど明彦がパトカーにのせられているのが目に映った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る