#043 ネ―ベルのマネージャーという仕事

 今日も無事にネーベルの配信が始まった。


「ふう⋯⋯何とかなったか」


 普段はおとなしい手のかからないネーベルだが、時折トラブルの種になる。

 もう2年ほど前になる話だが──。


 我が芸能会社『ポラリス』は新規事業の一環として、Vチューバー事業の展開を業界でいち早く取り入れた。

 しかし全くの未知の分野だったため、集めるタレントの中には個人Vチューバーで既に大きな実績を持つ者もピックアップした。

 その中の一人が今のネーベルである『霧島紫音』だった。


 その頃から紫音はモンスター配信者で、かなりのニートだと思われていたのだが⋯⋯。

 まさかあんな家庭環境を持つ少女だったとは思わなかった。


 まず驚いたのは当時わずか15歳の中学を出たばかりの少女だったことだ。

 そして身寄りもない。

 ⋯⋯むしろ害悪な親戚しかいなかった。


 そんな彼女を我が社が取り込むことは簡単な話だった。

 紫音自身も個人ではなく、我が社のような大企業に身を寄せるメリットに魅かれたようだ。


 それから1年後⋯⋯今から1年前の事だ。

 その紫音の親戚が現れた。


 彼女の両親がその命と引き換えに残した財産を奪ってギャンブル三昧の日々。

 それも使い切り今度は紫音の収入に目を付けた、というところだった。


 紫音には昔の記憶が無い。

 正確には記憶があってもそれが自分の事だという実感が失われている、という障害を負っている。

 両親を失った事故に彼女自身も巻き込まれた結果だった。


 そんな紫音を引き取りたいとその叔父夫婦は現れたのだ。

 この夫婦の薄汚い狙いなど明白だった。

 その叔父夫婦を一瞥して紫音はただ一言だけ言った。


「お引き取り下さい、お金はもう返さなくていいので今後は私に関わらないで」


 そしてその後の対応を我が社の法務部が引き継いだ。

 紫音には保護者が必要だとゴネるその叔父夫婦に我々は『真摯に対応』させてもらった。


 その結果その夫婦には海外へ行ってもらい、我々の『紹介』した仕事をしてもらっている。

 けして逃げられるような環境ではない。

 なにせ周りは全て海なのだから。


 その叔父夫婦には存分にギャンブルを楽しんでもらっている。

 命をすり減らしてお金を稼いで、少しでも紫音に返済させるために。


 それを紫音に伝えたら。


「そう⋯⋯ありがとう」


 それだけだった。


 そこには何も感情が無い。

 きっと怒ることもできないのだろう。

 亡き両親への思い出も無いのだから。


 それ以来紫音は、Vチューバーネーベルを今まで通り続けている。

 それはずっと、今後も変わらないと俺は思っていた。


 俺に出来ることは、彼女の仕事をやりやすくするために調整することだけなのだ。

 いつか紫音が引退するときに、その後の人生を苦労せずに済むだけの退職金を出せるように。

 高校にも行けないどころか中学すらまともに通えなかった紫音に、今後まともな金稼ぎができる保証は無いのだからな。


 そしてその後は安定した日々に戻った。

 しかし変化が訪れる。

 それは『アリス』が現れたからだった。


 俺はわりとすぐに、このアリスはネーベルにとって危険な相手になりかねないと懸念していた。

 アリスはネーベルと同じタイプのVチューバーだったからだ。


 事実ネーベルの客はアリスへと流れ始めた。

 そしてその事実はネーベルも知るところになる。

 ここで焦ってしまえばネーベルが自爆して、今まで築き上げてきた地位が消し飛ぶ恐れさえあった。


 Vチューバーなんてそんな不安定な仕事なのだ。

 たった一時のスキャンダルでキャリアが終わることもある。

 俺は嫌な予感を覚えた。


 今まで何も関心を示さなかった紫音が、やけにアリスに固執し始めたからだ。

 しかも今まで休めと言っても聞かなかった仕事まで休んだくらいに。


 紫音は仕事をしていないと不安なのだろう。

 そうでないと自分がこの世界に居る実感が無いのだろう。

 そのエゴイズムが彼女を業界最強の地位にまで押し上げたのだ。


 ここまではそれが上手くいっていたが、この先はどうなるかわからない。

 他社のVチューバーとのコラボなんて危険な賭けだ。

 それでもネーベルになってから『我儘』を言う紫音は初めてだった。

 そのくらいこっちの言いなりだった、手のかからない子供だったのだ。


 俺は重い腰を上げてライバル企業の『ヴィアラッテア』に連絡を取った。

 アリスとネーベルのコラボを持ち掛けるために。


 客観的に見て、同じゲーム系Vチューバー同士シナジーはあると思った。

 向こうも業界最強のネーベルとのコラボなんてチャンスに違いない。

 そう思っていたのだがあっけないくらいに簡単に断られた。

 意外なくらいの取り付く島もない対応だった。


「アリスは誰ともコラボしません」


 ただその一点張りだった。

 この時点で俺はなにか、アリスにも事情のある可能性を感じていた。

 なにかこっちとコラボ不可能な理由があるのだと。


 まあやるだけはやった、これで紫音には諦めてもらうしかない⋯⋯そう思っていた俺は浅はかだった。

 この時の紫音の執念を読み間違えたのだ。


 いやむしろ、ここまで何かに執着する紫音を想像できなかったと言っていい。

 結果紫音は黙ってアリスに会いに行ったのだった。

 俺が『ヴィアラッテア』の責任者に呼び出されるのはその後の事だった。


 そこで知った衝撃の事実!

 アリスの正体が男だったという事だ!


 ⋯⋯ありえねえ、あの声で男だと?

 しかも中性的な顔立ちや体格といい、日陰のVチューバーなんぞやらせるにはもったいない人材だ。

 ウチなら絶対アイドル路線で売る!


 そんなアリス君は何とウチの紫音と昔の友達だったという事実まで判明した。

 マ・ジ・か・よ⋯⋯。


 結局『アリスには近づくな』という話になってしまったが、私生活までは干渉しないという対応だった。

 その帰り道、紫音が──。


「ありがとうマネージャー、私をVチューバーにしてくれて」


 もしも紫音が我が社のVチューバーになっていなかったら、この再会は無かったかもしれない。

 しかしその紫音に友達が現れた⋯⋯。


「⋯⋯Vチューバー辞めるのか、紫音?」

「なんで? Vチューバー辞めたら私、生きていけないよ」


 とりあえず引退という事は無いので安心した。

 ネーベルはもはや我が社のエースというだけでなく、Vチューバーという事業そのものの広告塔と言っていい。


 その彼女の引退だけは阻止しなければいけない。


「紫音、今後も何か困ったことがあれば相談しろ」

「はい⋯⋯いつもありがとう、マネージャー」


 この時ほど俺は紫音と距離を感じたことは無かった。

 あのアリスとそのマネージャーの木下という女とは大違いだった。


 俺はあそこまでタレントを守っていたのだろうか?

 信頼してもらっているのだろうか?

 そんな事を悩む、この1週間だった。


 そんな俺の悩みなんて関係なく、ネーベルの配信はいつも通りだった。

 そんな俺に部下から報告が来た。


「⋯⋯なに? ネーベルがアリスと同じゲームを同時に配信しているだと!」


 俺は慌ててネーベルとアリスの配信を見た。

 同じ時間に配信が始まり、同じゲームで競い合う二人の姿がそこにはあった。


「⋯⋯やられたな」


 おとなしいと思ったらコレかよ⋯⋯。

 コイツらただの悪ガキじゃないか!

 そんな俺のデスクに電話がかかる。


「はい、もしもし坂上ですが⋯⋯木下マネージャー!?」

『今回の配信に我が社は関わっていません、そちらではどうなのでしょう?』

「⋯⋯こっちもです」

『そうですか⋯⋯困ったわね』


 ほんとに困った、まったく面倒をしてくれる二人だ。

 ⋯⋯二人だけの友達⋯⋯か。


「あの、木下マネージャー。 明日お時間いただけませんか?」

『今回の事で?』

「それも含めての、今後の事を⋯⋯です」

『わかりました、お待ちしております』


 そして電話は切れた。


 まったく⋯⋯面倒な仕事を増やしてくれたな紫音。

 そう思いながら俺は急いで企画書を作り始めた。

 その内容は『ポラリスとヴィアラッテアのコラボ企画』だった。


「今夜は徹夜だな⋯⋯向こうの木下マネージャーもだろうけどな」


 だが悪い気分じゃない。

 俺は『霧島紫音』のマネージャーなのだから。




 その時つけっぱなしのパソコンからCMのピアノの音が聞こえてきた。


「お、木下宇佐子じゃん!」


 数年前引退したピアニストだが俺は大ファンだった。

 優れたアーティストは引退しても、こうして功績を残せるところが素晴らしい。


「⋯⋯ん? 木下?」


 俺はこの前もらった名刺を確認する。

 そこには『木下 宇佐子』と書かれていた。


 世界は広いようで狭い。

 その事をこの俺自身が実感するのは、これからの事になる。

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