異世界生活5日目
5日目
「洋司は、仕事だって言えば何でも許されると思ってる。夫婦になる前の方が一緒にいられた。もう疲れた」
ある日、会社勤めの元妻が店の定休日の火曜に家にいた。突然、休暇を取った彼女を不思議に思っていたら、そう離婚を切り出された。
俺は言われる直前まで「じゃあ、娘を親に預けて、二人で久しぶりにどこかに行こうかな」などと浮かれていた大馬鹿者だったわけだけれど。
***
変な時間に寝たせいで変な時間に起きてしまった。ついでに、嫌な夢も見た。この世界に来てからの日数を、指を折って数える。今日で五日目だった。
俺、向こうでどうなっているんだろう。ずっと寝ている状態なのかな。
店から家まで身長百八十センチを超える俺を運ぶのは、母と娘だけじゃ無理だろうから、ずっと店のスタッフルームにいるんだろうか。
いや、さすがに五日も起きなきゃ、救急車を呼ばれているかもしれない。親父に続いて俺まで入院じゃ、医療費ヤバイなぁ。
そんなことを考えつつ起き上がる。寝ている間にネコが部屋を清掃してくれたようだ。衣類も清潔な新しいものに替わっている。シャワーを浴びて、着替えると俺は調理台の前に立った。
結局のところ、惚れた腫れたで突っ走るには俺は大人になりすぎていた。なにより俺の一番大事なものは娘なのだから。
チョコレートを刻む。スキルを使えば、すぐに出来上がる工程をずっと包丁とまな板を使って、手動で延々とやってみる。そして、刻んだチョコレートの山が出来上がると、俺は丸椅子に腰かけてその山をしばらく眺めた。
……テンパリングの練習でもするか。
ウルフからもらったオレンジをドライフルーツにして、チョコレートかけてオランジェット作るのもいいかもな。
チョコレートを溶かして、スキルで温度を上げ下げしテンパリングしていく。
チョコレートはテンパリングすることで固まった時にツヤがでて美しくなり、口どけも柔らかくなる。やっぱ、スキルで温度調節も自動でやると成功率いいなぁ。
テンパリングマシン買おうかな。バレンタイン商戦もあるし、今日はオランジェットのレシピを仕上げるか。
こうやって、俺は今も昔も答えが出ない問題にぶつかると、すぐに菓子作りに逃げる。
オランジェット作りに熱中していたら、背後から急激な冷気が流れ込んできた。俺は振り返らずに、部屋を寒くした張本人に悪態をつく。
「おい、シロクマ。マジで寒いから、俺の部屋ン中に直接来るんじゃなくて、部屋の前の廊下とかにしてくれよ」
「それは、すまなんだ」
予想外の声がして慌てて振り返ると、ノルンが立っていた。後ろには、ノルンの威光に隠れるかのように、シロクマが「ボク悪くないもん」といった顔で控えている。
「いや、ごめん。ノルンだと思わなくて」
ノルンは全く気に留めていないようで、俺のすぐ横にくると勝手に出来上がったオランジェットを拾い上げて口の中に放り込んだ。
「ほう! これは美味しい。余はこれも好きじゃ」
オランジェットを褒められたのは嬉しいが、ノルンは何故か俺の袖を少しつまんで引っ張っている。そのため、距離がやたら近い。
ノルン絶対無意識だよなぁ、これ。あー。もう、可愛いな。
娘の元に帰ると決心したそばから、グラグラし始める意志薄弱な俺。
「……それで、今日は何用で」
俺はそっぽを向いて、照れ隠しで質問を投げかけた。
「せっかくじゃから、そなたが帰る前に、城の外を……この世界を見せてやろうと思っての」
帰るって決めているくせに、彼女から「帰るのを前提」で話をされると、なんだか寂しく感じてしまう。勝手だな、俺。
悔しかったので、オランジェットを一つつまむと、ノルンの唇に押しつけてみた。だが、彼女は全く意に介さずに、「ん?」といった顔でそれをパクリと俺の手から食べたので、結局また俺の方が負けたわけだけど。
その後、シロクマをタクシー代わりに、ノルンは色んな所を見せてくれた。北は氷河、南は砂漠。城の周辺は森林に山に湖。
ただ、氷河については輪の外から眺めるだけで、現地に行くのは丁重に辞退した。
また、この世界には、シロクマ達以外の生物はいないらしい。
「この世界を作った時に、
ノルンが最後に俺を連れてきてくれたのは、虹色の海が眼下に広がり、オーロラのカーテンが満天にはためく崖の上だった。とんでもない断崖絶壁だったが、高所恐怖症の俺でも不思議と怖くはない。
彼女は、この場所を『この世界の果て』と呼んだ。
「余の
俺は宇宙になんて興味がないし、俺のいる宇宙がどんだけ広いかも知らないけど、ノルンの作った世界が美しいことだけはわかる。
崖の上に胡坐をかいて俺が座ると、ノルンも隣に座ってくれた。
「キレイだな。この世界。俺は好きだよ」
ノルンのことが好きだ、とは言えなかった。
「また、来れるかな」
無理やり連れてこられた世界だけど、帰りたくない気持ちはどんどん強まっていた。
「フフッ……それは、余の
「じゃあ、猛プッシュで頼むわ」
二人で笑い合う。身体をノルンの方へ向けると、彼女もこちらを向いてくれたので、勇気をだして彼女の手をとった。
「……ノルン、覚えておいて。シロクマもネコもウルフもパンサーもみんな、君のことが大好きだ。でも、アイツらは自分が造ったから、そう思ってるって考えちゃったら、俺のこと思い出して。君が『
学のない俺には、これが精一杯だ。ノルンの話は難しすぎたし。
「ヨージ。その言葉、大切にすると約束しよう」
俺はその大仰な言い方が面白くて思わず笑ってしまう。そしたら、ノルンもつられて笑った。
ノルンが仕事に戻るというので、シロクマは俺を自室まで送ってくれた。別れ際に、シロクマに「寂しいな」と言われる。
俺の帰る日が決まった。明日、送別会をしてくれるみたいだから、俺もせっかくだし、お菓子を振舞おう。お菓子パーティーだな。
それから、思いついたアイデアがあったけど、俺の頭じゃどうせ実現に向けての妙案は浮かばないのは確実なので、
〔 『長い時間』の定義を問います 〕
相変わらずな奴だ。こいつとも、あと少しだと思うと寂しく感じるから不思議だ。
一年以上は、保存したい。
〔 不可能です。当世界では、演算リソース節約のため、スキル使用時以外は標準物理法則パッケージを使用しています 〕
スキル使用時以外ってことは、スキルで、それは解決できるのか? その物理なんとか。
〔 否定します。『
それなら、保存じゃなくて、俺がいなくなっても俺の菓子を出すスキルが発動するように、予約はできるか?
〔 スキル発動の『予約』について構築可能か検討します。しばらくお待ちください 〕
〔 …………………… 〕
いつもは即答の
〔 『予約』について、『
何言ってるのか、全くわからんが、やっぱダメなのか?
〔 非表示化された『
何を言っているのか、サッパリわからんが、できそうなのか?
〔
おい。MMO! 俺のことを勝手に呼びつけたんだから、願い事くらい叶えろや。
〔 "Many-Worlds Order" です 〕
なんでもいいよ!
〔
解除項目を『
〔 …………………… 〕
俺は丸椅子に座って、腕を組んで右膝をガタガタと貧乏ゆすりして待った。
〔 『
どういうことだ? 俺でもわかるように言ってくれ。
〔 無条件での反復代行使用許可は下りませんでした。スキルが発動する条件と何回まで発動するか、を事前に設定ください 〕
最大何回まで発動できるんだ? それこそ無限なくらいの数は登録できないのか?
〔 多倍長整数の変数は、演算リソースに負荷がかかります。スキル発動時に出力エラーとなる可能性が高いです 〕
それは、あんまり回数が多いと、予約失敗で出力できずに終わる可能性が高いからやめておけって意味か?
〔 肯定します 〕
発動する条件……ノルンが不安になった時だけど、少し不安になったくらいで発動していたら、きっとすぐに無くなってしまう。顎に手を当てて、人生で一番頭を使って考える。
わかった。じゃあ、条件は『ノルンが悲しくて泣いた時』で。
〔 承知しました 〕
発動回数は、これはもう賭けだな。百回が多いかわからないけど、レシピの改良の際にそれくらいはポンポン出せた感覚はある。
〔 『
〔
〔 …… 〕
〔 特殊スキル『レシピスキル発動予約』の構築完了 〕
そうして、俺は置き土産の準備を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます