37,そうして月の姫へと刃を向ける (上)







 1+1は2となるように、至極当たり前の現実が立ちはだかった。


「家具屋坂刀娘! 我らの同胞の仇、ここで取らせてもらう――!」


 路地裏を疾駆する刀娘の行く手を阻む、三人の男たち。黒い戦闘服は革製の鎧。不本意なことにすっかり見慣れてしまった【輝夜】の戦闘員諸兄だ。

 そりゃそうなる。先程の襲撃の一件を鑑みると、彼らは明らかに刀娘を狙って襲ってきた。組織が意図して攻撃してきた以上、たったの三人しか刺客がいないと考えるのは浅はかだろう。

 急制動を掛けて足を止めた刀娘は、大太刀を肩に担いだまま苦笑する。三人ともが打刀を装備し、腰に拳銃と手榴弾を、胸元にナイフを装着しているのを確認しつつわざとらしく惚けた。


「あらら、こいつは魂消たまげた。天下の【輝夜】様がアタシみたいな小娘になんの用なの? さっきもそうだけど、アタシはアンタ達に襲われる理由が分かんないんだけど」


 ――わぁーお。さっきの三人ほどじゃないけど、それでもアタシぐらいのレベルじゃん。

 流石は日本最大手の国防組織。これで単なる一般戦闘員だというのだから、層の厚さと自身の弱さにうんざりしてしまいそうだ。

 相手は刀娘の言葉に柳眉を逆立て、怒りを滲ませ糾弾する。


「戯言を。訳は知らないが、貴様が罪もない市民や我々の仲間を襲い、殺傷していることは調べが付いている。既に我々だけでも四十七名が、貴様によって殺害されて――」

「よせ、くだらん口舌を交わす意味はない。ここに奴がいるということは、賀島ガトウ隊長の班ですら取り逃がしていることになる。油断するな、全力で、早急に始末するぞ」


 最初に誰何し、糾弾してきていた男を制して、リーダー格らしい男が刀を抜いた。それを見て他二人も刀を抜き、刀娘に向けて殺気を放った。

 張り詰める空気の中、刀娘は吐き捨てる。言っても無駄だと分かっているから心の中で。


(アタシが殺して回ってんのは虫けらに寄生されてる奴だけだっての。アタシに仲間ヤられてんのを恨むんなら、しょーもない虫にヤられた自分達を呪うのが筋じゃない?)


 とはいえ、だ。この三人は見える位置にムカデ形の痣はないし、虫の気配もしない。つまり刀娘の標的足り得ない相手なのだが、そんな甘いことを言っていたら普通に殺される。

 残念ながらやるしかないだろう。標的じゃないからって大人しく殺されるぐらいなら、敵を殺してでも生き残るのが家具屋坂刀娘の信条だった。

 しかし悠長にしていたら増援が駆けつけて来かねない。かといって大技を使おうものなら、この三人を倒したところで追っ手は撒けないだろう。戦闘の気配を探知し損ねる手合いではない。

 せっかくここまで逃げてきたのだ。鮮やかにキメてしまいたいところではある。できるなら速攻で、陰陽術も必殺技も使わず、他の派手な手札も切らずに倒してしまいたいが……それができるなら苦労はしないわけで。あれ、詰んでない? と少女は思った。


 格上ではないが、格下でもない敵が三人。油断と慢心がない同格三人を向こうに回して、こちらは全力を出さずに短時間で決着を付ける……なんてことは不可能だ。


 そのことに気づいた刀娘は一瞬で意識を戦闘から逃走へと切り替えた。

 大太刀を正眼に構え、切っ先をリーダー格の男に向けつつ目を閉じる。五感を強化し、第六感とも言える霊体の触覚を周囲へと引き伸ばした。

 拾う音は表通りの雑多な足音やパトカー、救急車などのサイレン。通行人や公共機関の人の気配。刀娘の超人的な集中力はそれらを遮断し、必要な情報だけを取得する。


(アタシの方に向かってくる強い霊力の持ち主は……探知できる範囲だけで9つ。向かって十時の方向から3つ、六時の方向から3つ、三時の方向から3つ……と。うーん、退路塞がってんね)


 キャッチできた気配だけで9つもあるが、それだけとは限らない。刀娘の超感覚を掻い潜れる手練がいる可能性も想定できた。となると、率直に言って詰んでいる。

 遅ればせながら気づいた。

 どうやらビル一つ、中にいた人を丸ごと【月の虫】に寄生させていたのは、刀娘を炙り出す為の餌だったのだろう。そうして罠に掛かった刀娘を狙い【輝夜】の正規部隊を出してきたわけだ。

 あちゃあ。アタシって、ほんとバカ。ちょっと冷静になったら露骨な罠だと分かったのに。

 微かに悔やむも、時既に遅し。罠に掛かった哀れで愚かな獲物は狩人に狩られてしまうだろう。こうして正規部隊を堂々と送り込める以上、【輝夜】はもうダメになったのだと判断できるが、いまさらそれを知れたところでどうしようもない。


 しかし刀娘は絶望していなかった。なぜなら刀娘は運が良い・・・・

 諦めさえしなければ、必ず活路は開けるのだと確信しているのだ。

 そしてその確信を裏付けるように、聞き知ったが路地裏に響く。


「不穏なメールを送ってくるから何事かと思えば……これはどういう状況なんですか、家具屋坂さん」


 人間は身体構造の都合上、普段は真上を意識して見たりはしない。故に死角となりがちだ。

 だからこそ突如として響いた玲瓏なる声に、戦闘員達はギョッとして上を見上げ。そして刀娘は笑顔を浮かべて声の主にリアクションを返した。両手を上げての大歓迎である。


「やたっ! 待ってましたエヒム・・・さぁーん!」









  †  †  †  †  †  †  †  †









 エヒムは背中に展開した非実体翼エネルギー・ウィングにより浮遊しつつ眼下を見下ろした。

 知己を結んだ恩義ある少女、刀娘と相対する三人の男達。どんな因縁があるのかは知らないし、どちらに非があるのかなんて知りようもない訳だが、【曼荼羅】の正社員としては……やはり自社に勤めるバイト戦士側に立つべきだろう。

 男達が突然現れたエヒムの姿を、驚愕の眼差しで見詰めたのは一瞬だけ。明らかな人外、明白な脅威を前にすぐさま警戒態勢に移り、困惑を交えながらも睨みつけてきた。


 この世に於いて人外の人型はほとんどが人間よりも優越した種だ。鍛錬せずとも、経験を積まずとも、ただその種に生まれたというだけで手練の戦士を容易く屠れる化け物である。

 故に警戒されて当然なのだ。不用意に先制攻撃を仕掛けないのは常識的な判断である。なんせ男達からするとエヒムは、存在すら想定していなかった未確認の仮想敵。自分達が狩りの最中に、虎の巣穴へ入り込んでしまったのだと気づいてしまえば、優秀な者ほど慎重になるものだ。通常、人外を相手にするには相応の準備と対策を練るのが当たり前なのだから。彼らにとって遭遇戦など最悪極まるのである。だから男達のリーダー格は言葉短く誰何した。


「……何者だ」

「これは失礼。私は――」

「エヒムさん、所属を明かしちゃダメ。事情は後で説明するから!」

「……いいでしょう。状況が理解できませんが、貴女の判断を尊重します」


 律儀に名乗ろうとしたところ、刀娘から制止が入る。

 何があったのか把握できないままだが、現場の判断を誤るようなバイト戦士ではあるまい。そう信じる程度にエヒムは刀娘の能力を信頼していた。

 だから失礼と弁えつつも男達へ告げる。


「というわけです。勝手な都合で申し訳ありませんが、この場はお開きとさせていただきたい。あなた方はどうなさいますか?」

「ふざけるな。貴様はその外道に味方する者なのだな? ならば、もはや問答無用。外道に組するならば諸共に討ち果たすまで!」


 遭遇戦は避けたい、情報を持ち帰り対策を練るべき。そうした後ろ向きな思考はあるものの、それを度外視してでも戦うことを男達は選んだ。

 要因は二つ。一つに、超危険人物である家具屋坂刀娘を逃がすわけにはいかないこと。二つに、戦闘に入れば間もなく増援が駆けつけてくれるだろうと判断が出来たこと。危険な選択だが、刀娘を逃がすぐらいなら冒してもいいリスクだと考えたのである。


 エヒムは背中に非実体翼を展開しているが、頭上に天使の環は浮かべていない。戦闘モードになっていないからだ。だから黒髪黒目のままであるし、纏う天力も微弱なものでしかない。

 男達にはエヒムの正体が分からないだろう。見たことのない翼、黒髪黒目という外見的特徴からしか情報を取得できていない。天力も表面化していないから感じ取れていないのだ。

 それでも敵と判断したなら躊躇はしていなかった、。男達は殺気も露わにエヒムを睨み、睨まれたエヒムは嘆息して天力を練り上げた。ほんの数秒だけ、身に宿る天力が瀑布の如く迸る。

 男達に戦慄する時間的猶予はなかった。


「『この場での遣り取りを、全てなかったことにして忘れなさい。あなた方はここで、私や家具屋坂さんとは出会わなかったのですから』」


 『言霊』が奔る。すると莫大な天力の発生に仰天する暇もなく、男達はぎくりと身を強張らせ、その場で立ち尽くして沈黙してしまう。呆けたように虚空を見上げ、固まってしまったのだ。

 一瞬の間を開けて、男達は自身らが抜刀していることに戸惑う様子を見せ、納刀すると何処かへと駆け去っていく。刀娘はポカンとして一連の流れを見届けて、何が起こったのかを理解すると笑いだしてしまった。


「……ぷっ。なにそれ、とんでもないチートじゃないですか、エヒムさん」

「自分より弱い人にしか通じませんよ。なんらかの対策をしている人や、天力とは正反対の性質である魔力の保有者にも効き目は薄い。そんな様だとチートとは言えないと思いますけどね」

「んー……? あのぉ、ちょっといいです? そのバカ丁寧な喋り方やめてくれません? アタシのことは呼び捨てでイイって、この前も言ったじゃないですか。言いましたよね?」


 刀娘の抗議を受けてエヒムは眉を動かす。言われてみればその通りだ、先程まで面接官をしていたから意識が仕事モードになっていたらしい。苦笑を浮かべたエヒムは刀娘の傍に降り立つ。


「すまん、他所様の人がいたから気を張ってしまった」


 刀娘の姿を見渡し鞘を持っていないのを認識すると、ピッと人差し指で大太刀を指した。

 すると刀娘の大太刀が鞘に収まった状態になる。刀身を覆う形で鞘が出現したのだ。


「あっ。ありがとうございます」

「……今の奴らもそうだが、随分と物々しいな。何があったのか詳細に説明してくれ」


 言うと、刀娘は気の抜けた笑みで口端を歪めて頷いた。


「もちもちですよ。むしろエヒムさんには是非とも手伝ってもらいたいっていうか? 【曼荼羅】的にも避けては通れない話になっちゃってるっていうか? 嫌だって言っても聞いてもらいます」

「もちもち……? ……ともかく、話をするにしてもここではアレだ。周りの奴らがこっちに向かってきているからな、河岸を変えよう。場所はシニヤス荘でいいか?」

「はい。ついでにアグラカトラ様にも話しときたかったんで、そこで一緒に話させて下さい」

「分かった。それじゃあ刀娘、私の手を取ってくれ」


 手を差し伸べる。

 刀娘は差し出されたその手を一瞬見詰め、一拍の間を開けてから自らの手を重ね合わせた。

 はわっ、スベスベだぁ! なんて感嘆する少女の声を無視し、エヒムはここに来た時と同様に空間転移を行なって、一瞬にしてシニヤス荘まで移動する。

 空間転移を経験したことはないのか、刀娘はきょろきょろと辺りを見渡して苦笑した。


「……やっぱズルいぐらいチートですよ、これ。なんでも出来ちゃうんですもん」

「私に言われても困る」

「あーあ、アタシもチートほしいなぁ。楽してズルしてイージーモード、そういうのって素敵じゃん」


 冗談めかして溢しながら、刀娘はシニヤス荘が一階分高くなっているのを見咎め首を傾げる。それからエヒムを一瞥して嘆息すると、アグラカトラの部屋へと脚を向けた。


「僻むのはこれぐらいにして、さっさとアグラカトラ様のとこに行きましょ」








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る