35,昼に月明かりが落ちるのは






「――ようこそ、我々【曼荼羅】はあなた方を歓迎します」


 魅惑の微笑みを湛えて言ったエヒムだったが、三人の若者達が浮かべる表情は困惑一色――いや、自惚れでもなんでもなく、陶酔も入っているようだ。

 ナルシズムとは無縁であるが、客観的に見てもエヒムの美貌は人の域を超越している。人には決して有り得ない完璧なシンメトリーを成すパーツ配置と、磨き抜かれた宝石よりも端正な印象を受けるそれぞれのパーツ配色。そして目や鼻、口や耳、眉や髪質、どこを切り取って見ても文句の付けようがない完全な美を体現しているのだ。エヒムとて自分の顔でなければ永遠に見詰めていたくなるほどに、『エヒム』という人型の存在は美しい。

 故に無理もない反応なのだ。理解の及ばない話よりも、理解しやすい埒外の美の方が、自然と意識を吸い寄せてしまうもの。三人の若者達が気もそぞろな様子なのは仕方がないと言える。


 が、それはそれ、これはこれだ。こちらとしてはちゃんと話を聞いてもらわないと困る。

 今まで彼らが生きてきた世界とは、全く異なる条理が支配する業界へと、彼らは進出することになるかもしれないのだ。そんなところへ唐突に放り込まれて、即座に適応できる道理はない。

 たとえ日本の誇る豊富なサブカルチャーに触れていようと、現実と空想を混同しているような間抜けではあるまい。空想に憧れていたとしても、空想が現実だったと知れば、程度の差はあれ少しは動揺してしまうはずだ。その点を踏まえ、責任者として話をするべきだ。


「――とはいえあなた方をいきなり現場へ放り出すつもりはありません。まず我々の業務内容、勤務時間、給与などがどのようなものか口頭で説明します。その上で新人教育を行い、試用期間を設けますので、期間中に働いていく自信がなくなったならいつでも遠慮なく申し出てください。無理に引き止める真似はせず、いつでも辞職の申告を受け付けます」


 ここまで言って、ようやく曖昧な相槌がある。はぁ、とか。うん、とか。

 学生に対して少し事務的過ぎたかなと自省しつつも説明責任は果たそう。


「まず弊社での業務では拘束時間が不定です。一日、一週間、一ヶ月と休みなく働き通しになる可能性は常に付き纏います。また死傷するリスクも高く、私が言うのは可笑しな話ですが就職はオススメできません。無論ですが危険手当てや時間外労働への手当て、各種保険は充分なものをお約束しましょう。書面での契約も詰めておりますので、後ほど配布する資料や契約書にはよく目を通すことを強く進めます。また副業や学業に集中したい場合も、緊急性の高い仕事がない場合はそちらを優先して下さっても構いません」


 ブラックだ。いやブラックというより暗黒である。紛争地帯の企業かと思ってしまいそうだ。

 ここまでなら普通に考えてお祈り不可避だ。もちろん面接に来た側からのお祈りである。しかし若者達があまりにあんまりな話にポカンとしている今の内に、一気に畳み掛けておこう。


「次に業務内容ですが、これは多岐に亘ります。専門用語を交えての説明になり申し訳ありませんが、まずは近隣や遠方に発生した異界の排除、民間人に危害を加える悪魔や天使、妖怪、魔物、神仏の類い、これらを【曼荼羅】の社長の判断により捕縛、あるいは交渉、排除が主な業務内容になると思われます。状況によっては異なる対処をする必要があるかもしれませんが、その場合は現場の判断を優先しても構いませんし、私に判断を仰いでも構いません。そして最も肝心な給与面での待遇となりますが、基本は週休二日が約束されております。暇な時間も発生し、もし仕事がなければ一ヶ月間、もしくはそれ以上に休日が発生するケースもあるでしょう。弊社での業務は拘束時間が不定だというのは、こうした閑散期などがある為に存在する規定です。しかしご安心ください、たとえ年間を通して一度も出勤することがなかったとしても、月々に振り込まれる給与に変動はなく、最低でも月に三十万円は手取りで得られるように調整されております。また業務が嵩み多忙となれば、月に一千万円以上を稼ぐのも決して不可能ではありません。身の危険を顧みず金銭を稼ぎたいのなら、是非とも正社員として就職することをオススメします」


 自分だったらこんな説明をされて、就職します! なんて即答はできない。

 むしろなんだこの意味不明な会社!? とドン引きするだろう。妖怪だの異界だのなんだの、こんなことを馬鹿真面目に説明されては正気を疑う。

 案の定、微妙な空気にはなった。だが事前にエヒムから送信された動画を見ているからか、彼らはエヒムが天使であることを信じている。そのお蔭で正気を疑うまでにはなっていないようだ。


「より詳細な労働条件、雇用契約に関する話は、また個別に面接の場を設けますのでその席でさせていただきます。このまま野外で簡素に話していては、とても理解できないでしょうからね」


 四月一日五郎丸ワタヌキ・ゴロウマル熱海景アタミ・ケイ春夏冬栗落花アキナシ・ツユリ。成人しているのは五郎丸だけで、残り二人の女性にいたっては20歳未満。面接に来てくれたのはこの三人だけである。

 だが【曼荼羅】とかいう上場もしていない零細企業、常識外れの業界だという条件を鑑みれば、三人も面接に来てくれただけ快挙と言えるのではないだろうか。


「さて、ここまでで何かご質問は? ないようでしたら場所を移して、個別での二次面接を行おうと思うのですが」


 言うと、ハッと我に返ったらしい五郎丸が声を上げる。

 おや、と眉を動かし応答した。


「あ、あのっ! ちょっと待ってくれないっスか!?」

「はい。なんでしょうか、ワタヌキくん」

「今朝に見た動画での話なんスけど、えっと、願いを叶えてくれるって……」


 確かに言った。エヒムは今からか? と少し不審に感じつつも首肯する。

 まだ面接も終わってはいないのだし、別に後でもいいだろうと思うが、五郎丸は切羽詰まっているように見える。ここで仕事の話を優先するのは情に欠けるだろう。円滑に話を進める為に、また多少の好感度は稼いでおこうという打算も含めて応じることにした。


「ああ……いいでしょう、どうやらお急ぎのご様子ですし、今から約束通りに願いを聞きましょう。しかし事前にお話した通り、私に可能な範囲での願いにしてください」

「えっ……と、エヒムさん? に出来るかどうか分かんないスけど……その、昨日のあの事件の後、オレのツレと連絡が付かないんス。なんで、コイツが今どこにいるか教えて下さいッ!」

「は……?」


 そんなことでいいのか? と言い掛けて口を噤む。

 エヒムに頼らずともそのうち分かるだろうに――なんてこと、断じて口にするべきではなかった。

 友人の安否を心配する、実に素晴らしい願いであるはずだ。エヒムは五郎丸の、外見に似合わない真摯な友情に好感を覚えつつ質問した。


「そのツレというのは、先日私と顔を合わせた際にいた、もう一人の男性のことですか?」

「そうです! ソイツです! 名前は――」

「いや、名前は結構ですよ。少し待ってください」


 エヒムの記憶力は優れている。関心のない相手だろうと、一日前に会ったばかりの人間の顔はすぐに思い出せた。

 目を閉じて、『奇跡』の力を『言霊』という形にして唱える。口の中で、あの時のあの人は今どこで何をしているか知りたい、と。すると閉じた目蓋の裏に、薄く遠くの景色が映った。

 見覚えのある青年が、港区の瓦礫の山に埋まっている。しかも下半身がほぼ潰れ、右半身も瓦礫で強く圧迫されているようだ。これは死んでいるなと思いかけたが、幸いにもまだ生きてはいるらしい。生きているだけで虫の息だが、たった今自衛隊が救助したようだ。

 このままなら辛うじて生き残る目はある。だが病院に搬送されるまでに息絶える可能性はあるし、奇跡的に助かったとしても五体満足とはいかないのは見ただけで分かる。

 ここはサービスして、彼に少しばかり願いを掛けた。無事に生き長らえろ、と。ついでに回復後は後遺症なく健康になれ、と。途端に顔色が良くなるのを見届けて、エヒムは目蓋を開いた。


「……ワタヌキくんのご友人は港区から逃げ遅れ、瓦礫の下敷きになっていたようです。しかし安心して下さい、たった今自衛隊に保護されました。ご友人はこのまま病院に搬送されます」

「マ……マジすか?」

「本当です。信じられないなら、そうですね……一時間後に都立OD病院に電話し、件のご友人が搬送されていないか確認を取ってください」

「い、いや、信じます! 信じられます・・・・・・! なんでかは分かんないスけど、エヒムさんが嘘言ってるとは思いません!」

「そうですか? なら良かったです」


 心底から安堵した様子の五郎丸に、エヒムは不思議に思いつつも微笑んだ。

 別にこちらの言うことを全て信じろとまでは言っていないはずだが……もしや今朝に送った動画の副作用でも残っているのだろうか。

 不都合はないから別に構わないが、フェアにいくためにもクリーンな状態に戻れと願うべきかもしれない。少し様子を見て、そうするかを決めよう。


 エヒムは五郎丸から視線を外し、栗落花や景を見遣った。


 こうして五郎丸の願いを叶えたのに、彼女達の話を聞かず放置するのは公平ではない。順序が前後してしまったが、今から彼女達の願いを聞こう。


「アタミさん」

「は、はい……」

「それからアキナシさん」

「……は、い」

「あなた達の願いを聞きましょう。約束通り、私の力が及ぶ範囲で叶えて差し上げます」


 こうして言ってみると胡散臭い宗教屋のようだ。非常に安っぽく聞こえて苦笑いしてしまう。

 しかし二人とも笑ったりはせず、真剣な面持ちでいてくれた。

 景と栗落花は互いの出方を伺っていたが、ややあって景の方から先に口を開いた。


「あ、あの……わたしは別に、叶えてほしい願いとかがあって来たわけじゃなくて……」

「そうなんですか?」

「はい……昨日そちらのシスターさんに助けていただいたので、エヒムさんが天使様? だっていうのを聞いて……ここに来たらエーリカさんに会えるかもと思ってお礼を言いに来たんです」

「ああ、なるほど」


 律儀で良い子だなと感心しつつ、ちらりとフルフェイスのヘルメットを被っている女を見た。

 昨日までは修道服を着ていたのだ、シスターと天使をセットで見てしまうのは自然だろう。

 エヒムの視線を受けて前に出たエーリカが、景をジッと見詰める。しかしそのヘルメットのせいで無駄に威圧感が出ていて、景は微かに気圧されたようにたじろいだ。


「……シモンズさん、ヘルメットを外しなさい」

「? はい」


 言えば素直に素顔を晒し、ヘルメットを脇に抱える。

 なぜエーリカは正装としてスーツにヘルメットの組み合わせを選んだのだろう。エーリカはこれが好みの格好だと言っていたが、センスが独特過ぎないだろうか。好きな格好をしていいと言った手前、やめろと言いづらいが、流石にこういう時は外していてほしい。

 TPOを弁えろと厳命しておくべきかもしれないが、そもそもエーリカの出自的に一般的なTPOを知らない可能性もある。もしそうなら暇な時間を見繕い、エーリカに教え込む必要があった。

 ともあれエーリカが素顔を晒したことで言いやすくなったのか、景は深々と頭を下げた。


「エーリカさん、あの時は危ないところを助けていただき、ありがとうございました!」

「お構いなく。罪なき人は能う限り救えというのが今は亡き主の意向です。そして私は主の命令を果たすことに喜びを得る下僕しもべに過ぎません。亡き主の望み通りに貴女を救えた……この喜びを報酬として受け取った以上、貴女からお礼までもらっては持て余してしまいます。故に感謝は不要だと言わせてもらいましょう」

「え……で、でも……」


 景はエーリカの物言いに困惑している。景は極めて一般的な感性で、命の恩人に感謝の気持ちを伝えたのだ。なのに独特な価値観を盾に感謝は不要だと言われたら戸惑ってしまうだろう。

 エヒムはエーリカの脇腹を肘鉄で軽く抉り、変なことは言うなと無言で制止した。するとエーリカは小さく呻いて、なんとなくエヒムの言わんとすることを察したのか言葉を足した。


「うぐっ……ど、どうしても私に感謝したいのなら、私が救ったその命を可能な限り長らえてください。そして善行を積み、誰からも敬われる価値ある人になるのです。貴女が徳のある素晴らしい人になれば、私も貴女を救ってよかったと誇りに思えます。いいですね?」

「は……はいっ!」


 これでどうですか? と、ドヤ顔でエヒムを見るエーリカ。エヒムは癖の強い奴だなと思いながらも曖昧な顔をした。ギリ及第点、といったところだ。

 しかしこっちを見ている場合ではないだろう。景はきらきらとした目でエーリカを見ているぞ。完全に眼中にナシなんて態度はやめてやれ。

 嘆息したくなるのをグッと堪え、今度は栗落花に目を遣った。すると女子高生の彼女は待ってましたとばかりに身構える。


「アタミさんの願いは保留ということにしておきましょう。それでは次の、アキナシさん」

「はいッ!」

「……元気があるのはいいことです。アキナシさんの願いを聞きましょう」


 ぱっつんの前髪、さらりと首筋を撫でる程度の後ろ髪。黒縁の眼鏡と小柄な体躯。見るからにインドア派で、暗い雰囲気の少女が目を輝かせている様は、なんというか変な圧力がある。

 エヒムが内心引いているのを知ってか知らずか、栗落花はズズイと迫ってきた。興奮しているのか小鼻を膨らませ、鼻息も若干荒くしてしまっている。


「あの、エヒムさんは天使なんですよね?」

「……ええ。それが?」

「そして悪魔がいて、妖怪もいて、色んな悪い奴と戦ってる人……いや天使なんですよね? そしてそして、悪い奴と戦う為にウチらに協力してほしいんですよね!?」

「いいえ」

「……あれっ?」


 否定を入れると、栗落花はズッコケそうになった。


「誤解しないでください。確かに人手はほしいですが、『協力』してほしいのではなく弊社の従業員になってほしいのです。そして従業員として加わったのなら私やシモンズさん、そして社長などの指示に従い働いてもらいます。働き手となるのですから『協力』と言っては語弊があるでしょう? 給与等での対価を与えるのですから、従業員には雇用契約に反しない程度の労働力を提供してもらいます。ですのでお客様にでもなるつもりでいるのならお帰りいただきたい。我々はあなた方を接待する為ではなく、弊社に就職してほしいからこうした場を設けているのです」

「は、はぁ……」


 何やら香ばしい思い込みがありそうだったので訂正する。その言動に浮ついたものを感じたのだ。

 えてしてそういう・・・・人は、非日常に強い関心を持ち、非日常に関わるキッカケを得たら高揚して周りが見えなくなるかもしれないな、と。自分も若ければそうなるかもしれないのだ。

 栗落花もそういう・・・・タイプなのかもしれない。夢を見ていると言い換えてもいい。

 仕方ないと言えば仕方ない。自分は特別なチャンスを得て、乞われて秘密組織に入るのだと思いたがる気持ちは理解できる。だがそれではいけないのだ、一度正式な雇用関係が生まれたら、通常業務には忠実に従ってもらう必要がある。従業員と会社側は対等なのだ、断じて『働いてやっている』なんて意識でいられたら困るのである。

 そうした社会人的な意識を、まだ女子高生でしかない少女に持てというのは酷かもしれない。だがたとえバイト感覚でも、しっかり働いているという意識ではいてほしいものだ。


 栗落花は冷水を浴びせられかけたような顔をしたが、気を持ち直したのか願いを口にした。


「じゃあ、就職します」


 えらくキッパリと言い切って、栗落花は手を差し出してきた。


「なので……ウチに、超能力をください」

「いいですが、そんなに早く決断しても構わないのですか? 一度話を持って帰り、ゆっくり落ち着いて考えてからでも遅くないと思いますが」

「……別にいいです、そういうの。どうせウチの家、失くなっちゃったし。みんな、死んだんで」

「………」


 栗落花は急に冷めた顔をして、吐き捨てるように言った。

 昨日の事件で家族と家を失くしたらしい。エヒムは言葉に詰まった。

 なんと言えばいいのか言葉を探していると、それに構わず栗落花は呟く。


「昨日、なんでああいうことがあったのか、なんて……割とどうでもいいんです。友達いないし、学校もなんか吹っ飛んじゃったし、まあやることなくなっちゃったんで……これからウチはどうなんのかなって、公園でぼんやりしてたら、エヒムさんの動画見て。あ、こんなことになったのって、悪い奴がいたからなのかなって、思ったんです。なら、別にいっかなって……悪い奴ブッ殺したら、パパとママも喜んでくれますよね。いや、仮に喜ばなかったとしても、ウチが喜びます。だから、ウチの全部を壊した悪い奴、ブッ殺してやりたいって、思うんです。……そういうの、ダメ、ですか?」


 たどたどしく言い募り、栗落花は掠れた笑顔を見せる。

 エヒムは呻いた。どうやら勘違いをしてしまったらしい、と。栗落花は確かにサブカルチャーにかぶれた趣味嗜好を有しているかもしれないが、夢見心地で遊びに来たわけではないようだ。

 明確な殺意がある。怒りがある。しかし性格上、それが表面化しにくいタイプなのかもしれない。ただし表に出にくいだけで、しっかりと恨み辛みを抱える性格なのだろう。

 暫し考慮して――エヒムの脳裏に、母や妹の顔が浮かんだ。

 これはダメだ。エヒムには栗落花を諭す言葉が見つからない。同じ立場になったら、きっとエヒムも栗落花と同様に殺意を燃やすだろう。そんな自分が栗落花の動機を否定してはならない。

 大人としてよくない道に進むなと諭すべきなのだろうが、そもそもの前提として相手は法律で裁ける相手ではない。法で裁けないのなら、個人の殺意で裁いても咎められる謂れはないだろう。


 もともと働く理由は人それぞれだ。やる気があるなら結構である。


「ダメではないですね。あなたが我々の指示に従う限りに於いて、ではありますが」

「従います。バイトですけど、働いたこともありますし。テンチョーの言うことも聞いてました。なので超能力、ください。……くれるんですよね?」

「ええ。どんな超能力がいいですか?」


 栗落花は高揚している。なのにどこかフワフワしていて、虚無の瞳をしていて、その上で自発的な意思の強さを宿していた。

 自暴自棄になっているのかもしれない。大切な家族を失くし、どうにでもなれと思っているのか。

 だからこんなにも思い切りがいい。

 そして行き場のない感情をぶつけられる、八つ当たりできる相手を探してもいる、と。


 ……ああ、ダメだ。頭の片隅で、可哀想にと上から目線で哀れんで。同時に都合のいい人材だと思ってしまう。受け皿として受け入れてやろうなどと、何様のつもりだ。

 エヒムは深刻軽薄な自己嫌悪に苛まれつつも、栗落花の希望を訊ねる。彼女の望み通りの力を、自分なら与えられるのだと知っているのだ。もちろん与える能力の規模や強度は、エヒムの胸先三寸で決められる為、如何ようにも管理できる自信があった。


 栗落花は一瞬考え込み、滴る悪意を込めて笑う。

 あどけない容貌の少女に似つかわしくない、破滅的な色気を醸した笑顔だった。


「じゃあ、とんでもなく痛い奴がいいです。……あ、痛いのは悪い奴だけで」

「細かいオーダーだ。ならこういうのはどうですか?」


 エヒムは瞬時に最適の能力に思い当たる。自身が上級天使フィフキエルから継承した、『浄化』の属性に起因した異能だ。

 ――人外の上位者は、何気ない所作で栗落花の肩に手を置いた。するとエヒムの有する『洗礼』『祝福』の力が発動し、栗落花の体を仄かな光が包み込む。


「わぁ……」


 目を輝かせて、栗落花は虚空に散る光の粒子に心を奪われ。そして唐突に彼女の脳が、自身に付加された新しい機能・・・・・を知覚した。

 まるで新しい手足が生えてきたような感覚。最初からあるのが自然で、当たり前のように使いこなせるという確信が芽生える。栗落花は自身から離れたエヒムを気にせず、空に手を掲げた。

 そしてその小さな手から、白い炎を燃え上がらせる。

 熱を感じない炎だ。当然である、これは栗落花が悪だと認識したモノだけを焼き払う『浄化』の炎なのだ。与えられた『祝福』により『浄化』の使い方を知悉し、授けられた『洗礼』によって彼女の体が異能に耐えられるように作り変えたのである。


「素敵、です……」


 うっとりと白い炎を纏った自身の手を見て、栗落花は陶然と呟いた。

 マジかよと五郎丸が呻く。景も信じがたい光景に目を見開いていた。人外の上位者はビジネスライクな笑みを湛えたまま、一応の筋として解説する。


「アキナシさん、それはあくまで私に起因する力です。ですので私はいつでもその力を取り上げることが出来ます。悪用しようとは考えないように」

「……悪い奴は、これで痛い思い、するんですよね?」

「ええ。死ぬほど・・・・痛いでしょうね。痛覚のあるなしに拘わらず、とにかく痛みを与えることに特化させましたから」

「なら、いいです。悪用なんか、しません。約束します」

「結構。では――」


 二次面接を行います、室内に場所を移しましょうとエヒムは言った。

 頭蓋の内側から、誰かがノックしているような偏頭痛を僅かに感じながら。

 コンコンコン無責任な真似を!コンコンコンふざけてんのか!。エヒムの行為を糾弾して喚く声は、エヒムの声だった。 









  †  †  †  †  †  †  †  †









 ぐちゃり。

 地に落ちたカボチャをプレス機で潰すように踵を落とし。


 ひゅん。

 鋭利な風切り音が野菜をスライス。


 ぐちゃり。

 単純作業のように踵が落ちる。


「あーあー、バッチィなぁ、もう」


 袈裟に振り払って血糊が流れ、刀身が蛍光灯の明かりを反射する。

 一房にだけ黄色いメッシュを入れた少女は、屍山血河の只中を愚痴りながら闊歩していた。

 ブーツの踵がピチャリと赤い池を踏みつけて、真っ赤にデコレーションされた高層ビルを一望する。

 一階のフロント。二階に至る通路。三階、四階、五階、六階、七階。全ての階層で、現在息をしているのは少女だけ。ここはまさしく死体だらけの死の棺桶だ。

 最上階は壁面がガラス張りになっているため遠くまでもがよく見える。港区の悲惨な景色もこれこの通り、気軽に遠望できてしまうのだった。


「みんな考えることは一緒なんだね。飽きてきた・・・・・からちゃぶ台返しでもしようっての? パンピーにまで虫さん潜ませちゃってさぁ、駆除する側の身にもなれってぇーの」


 ブツブツと不平不満を口走り。少女、家具屋坂刀娘は抜身の大太刀を背後に突き出した。

 ぐさりと手応え。背後から迫っていたサラリーマンの男を、顎下から脳天まで貫く切っ先。

 刀娘は振り返りもせずに大太刀を引き払い、刀身の峰で自身の肩を叩く。トントン、と。


「んー……これはもう、一人で頑張るのも限界かなぁ? 昼間だってのにお月様がよく見える・・・・・・・・・し。地上からの貢物に不満でもあるんかな? 引っ込んでりゃまだ可愛げがあるってのに、目障りったらありゃしないわ」


 もしかして。

 アグラカトラ様の言う祭りの主賓って、お月様のことなんじゃなかろうか……なんて。

 心の内で冗談めかして呟いてみるも、的を射ちゃってる可能性も無きにしもあらずな気がする。

 だとしたら願ったりではあるけれど。


「仕方ない。エヒムさんに助けてもーらおっと」


 流石に単独だと手に余ってしまうので、刀娘は躊躇なくヘルプミーとメールした。

 仕事中だったらごめんなさい、だ。刀娘は迫る神気を朧気に感じ取り、悲願成就の時が近いことを予感して、噎せ返りそうな血の臭いに身を浸す。

 為したのは殺人。しかれど成したのは救済。寄生虫にヤられてしまった人間は、一切の例外なく空の果てに吸われて消えるのだ。だから殺してあげるのが慈悲というものである。


「助けてー。このままだと東京の人達、マモを食べられちゃうよ。一人残らず、ね」

 








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