24,TOKYO危機 (中)






(――左腕が失くなった)


 錯乱し、狂乱し、恐怖と激痛により真っ白に染まったはずの頭の中。

 白濁とした意識は薄く、視線は像を結ばず、今に掻き消える蝋燭の火のような命。

 だが不気味なまでに冷静な自分が、頭の中心に居座っている。

 まるで別人だった。

 自身の体が機体と化し、脳というコックピットに他人が乗り込んだかの如き客観性。

 肉体という軍組織の総司令として、冷静な誰かが状況把握を命じた。

 レスポンスは全身から。続々と上がる情報が集まり、脳が淡々と処理する。


(左肩から出血。顔面からも。鼻が詰まってる。口呼吸も覚束ない。血がせり上がっている……喉が裂けているのか。肋骨が折れて肺に刺さってもいる。内臓……心臓が破裂している? 致命傷だが即死はしていない。この体にも人間みたいな臓器があるらしい)


 朧気な視界の中、誰か――おそらくアタミさん――が悲鳴を上げるが耳に入らない。


(俺の体は天使だ。天使の肉体構造は人間と同じなのか? なら心臓が破裂してるのに即死していないのはなぜだ? 体が人間と同じ構造なら俺はもう死んでないとおかしい。なのに生きているということは、これだけじゃ致命傷にはならないのかもしれない)


 刻一刻と迫る死の感覚は、途方もなく深く、冷たく、悍しいものだった。命あるモノなら抗えない恐怖であるはずなのに、停滞する体感時間の中で掻き集めた意識の断片が深化し、明晰な思考を紡いで事細かに分析する誰かがいる。何者なのかを追求する必要はない、余分な思考は全てカットされ、純化していく思惟は最適の解を導き出していった。

 自らの肉体が訴える信号を、俺の脳がキャッチして正確に読み解いている。全身が死にたくない、生きるための方策を出せと頭脳に要求しているのだ。そして、俺はその要求を叶えられる。


(――傷が蠢いている。傷が……塞がろうとしている? 再生しようとしているのか。だが思ったように再生できていない。何かが阻害しているみたいだ。起点はあの男に殴打された鼻の下――人中と喉と鳩尾。そこから何かが流れ込んでいる。俺の天力とは正反対に感じるな……ならこれが魔力という奴なんだろう。体の自動修復機能は用を為さない。ではどうやって治す?)


 エラー。脳が欲する知識が欠落している。魔力らしきものまで体内に入り込んだ以上、『言霊』も満足のいく効力を発揮するか怪しい。即座に治癒しなければさらなる追撃でトドメを刺される。

 早急に意識と体を回復させないといけないが、効果的な対応ができない。停滞した時間は理外の集中力が齎しているに過ぎず、実際の時間が遅くなっているわけではないのだ。


 ではどうする?


(フィフ――)

「追撃が来るわ! 早く起きなさい! その程度で参るあなたじゃないでしょう!?」


 懐から出てきたヌイグルミが、必死の形相で俺に何かを言っている。だが聞こえない。

 聞こえないが、問題ない。何が必要かは明白だからだ。

 俺は自分の手に触れるフィフに意識を傾ける。そうして、俺は自身の欺瞞を悟った。


(知識を外部に置く、思うように取り出せないから――そんなものは嘘だ。願いを叶える俺の力が、俺という人間性を維持したいが為に、天使という余分を摘出することで隔離していた。出来る限り精神性に影響を及ぼさないようにしていたんだ。『言霊』という形にしていても無意識の願いを汲み取っていた。そして俺はそれに気づいていなかったのか……ダサいな)


 だが。脳が欲する答えは切り離した知識の中にこそある。

 機械的に最適の公式を当て嵌めるようにしてヌイグルミを握り潰す。

 何をされたのか理解できないという顔のまま消えたヌイグルミに対して強く命じた。


(――帰ってこいフィフキエルの知識。頭の外に知識を放り出す馬鹿は死ね。俺が、生きる為に)


 流れ込んでくる膨大な知識の中から、現在最も必要な知識を探り出そうとする。氾濫する大河の如き知識の奔流――ひとつの図書館を引っくり返し、蔵書の全てを頭の中に落とし込まれているかのような感覚の中、桁外れに優秀な脳が求める情報を整理して把握し、閲覧して最善の答えを導き出した。迷う余地はまったくない、即座に実行に移す。


「『魔……力、排しゅ……つ』」


 掠れた声で呟く。最短の語句で纏めた『言霊』だ。すると僅かに操作が能う範囲にあった天力が、全力で俺の体内から魔力という毒を、傷口から血とともに排出した。

 穴だらけの意識が、暗い穴の中に落ちていくように薄まる。時間がない、急げ。


「『全、快』」


 更に『言霊』を行使。魔力が俺の天力に抵抗したせいか、予想より多く天力を消費してしまっていたが問題ない。言葉に込められた願いが、即座に俺の傷を塞ぎ流血した分の血を補填した。無惨に折れた骨と内臓を元通りに復元する――だが左腕は戻ってこない。

 急速に色づいた視界。左腕が失われたままなのは予想通り。

 跳ね起きた俺を見て、傍らの女が唖然としながら尻餅をついているのを無視し、素早く健在な右腕で如意棒をホルスターから抜き放ちながらロイの姿を探す。ロイはどこにいる――いた。飲食店の店舗の方から音速で駆け付ける、人外に等しい運動性能を発揮する神父だ。

 致命傷を負わせたはずの俺が立ち上がっているのを見て目を見開くが、動揺は殆どしていない。冷静なままだ。両手に嵌めたメリケンサックを握り締めたまま近づいてくるのを直視し、現段階で接近されるのは不安要素が勝ると判断して呟いた。


「『上空転移』――ッ。『天使化』」


 一瞬で俺に致命傷を与えたところからして、現時点の俺が接近戦を演じるのは不都合だ。

 故に一旦上空に退避目的で移動しようとした。だが得体の知れない力場のようなものに阻まれる。感覚としては冬場に静電気の溜まった金属のドアノブに触れたようなもの。

 転移できない。襲撃者は俺に対する対策を万全に整えている?

 いや俺の能力がこんなに早く露見しているとは考え辛い、襲撃者の対天使を目的としたハラスメント行為が、偶然俺の能力に刺さったと考えるのが妥当。形態変化が解除され、黒髪黒目に戻っていた為、次善策として『言霊』により瞬時に自らの性能を極限まで高めた。すると金の髪と銀の瞳に変じ、天使の羽根が背中に生えて、黄金の輪が頭上に形成される。


「フッ――!」

「チィッ……」


 俺の戦闘形態を見ても動揺することなく迫った神父が、カソックの裾を翻し拳を振るわんとする。安いストリートファイトではない、素手の殴り合いに付き合う義理はないのだ。俺は舌打ちしながら伸長した如意棒を振るって懐に入れまいと試みるが、的確に握り締めるメリケンサックで如意棒を殴り返され、淀みなく接近されてしまう。

 白兵戦での技術の差を理解する。如意棒に返ってきた打撃の威力から膂力に差がないと関知する。一朝一夕で埋められるものではない、殴り合いになればサンドバッグにされかねなかった。

 故に跳び退く。徹底的に相手の土俵には上がらない。神父の瞳は凍えるほど冷たく、冷徹にこちらを分析している。そして間合いを詰めながら機を窺っている気配を肌で感じ、地上にいるのは下策と見做して羽根を動かした。一気に飛翔して人間の手が届かない空に逃れようとしたのだ。だが、そうはさせじと彼方から飛来した銃弾が俺の周囲を制圧する。


「なっ――」


 咄嗟に如意棒を短縮して、俺に当たるものだけを弾くことには成功したが、俺が驚いた要因は不意の制圧射撃にはなかった。もっと根本的なもの、周りにいた多くの人々が音速戦闘を認識できず立ち尽くしていたのに、それに構わず銃撃してきたから驚愕したのである。

 銃弾の直撃を受け、血飛沫を上げて倒れる人が多数。死にはしなくとも手足や胴体に鉛玉を食らい平気な人間などいない、俺や神父が通り抜けた後、遅れて悲鳴が上がるのを見て歯噛みした。


「見境なしか……!」

『さあ、どうする救世主の再来。伝説通り人を救ってみせろ』


 天使の【聖領域】や悪魔の【侵食域】が展開されていないと、やっと察しがつく。襲撃者は無関係な人間の被害なんて度外視して俺を殺そうとしているらしい。

 反吐が出る。

 俺の注意が僅かに逸れた途端、神父が一気に加速した。

 銃弾より速い。神父が駆け抜けた後に衝撃波が発生し、近くの人間が藁のように吹き飛ぶ。反射的に如意棒を横薙に振るって牽制するが、跳躍して躱した神父が強烈な回し蹴りを見舞ってきた。


「グッ……!」


 如意棒で受けるも、重い。先日交戦した単眼の巨人よりも響く。人間サイズであんな化け物より力が強いのか。

 どう考えても人間に搭載可能な筋力ではないが――大型車に撥ねられたかのように地面を転がされるも、瞬時に地面に手をついて体勢を整え、残った慣性をなるべく殺さず両足で地面を滑る。そうしながらマルチタスクで状況を整理して、現実に迫る神父を迎撃した。

 右腕で操る如意棒を旋回させ神父へ連撃を叩き込む。変幻自在と言えるほど達者ではないが、自身の力と手の速さで牽制を繰り返し、とにかく間合いに入れないことに注力した。まともにやり合う気はないのだ。そうしながら頭の後ろで思考を走らせる。


(化け物みたいな力と速さ。どちらも人間離れしている。だがこれだけとは思えん。情報を暴け)


 上下左右縦横無尽に振るう如意棒を、神父は淡々と機械的に拳で打ち払い続ける。やがて周囲の人々が俺や神父が戦闘に入っているのに気づいたのか、目玉を零さんばかりに目を見開いたり声を上げたりしていた。耳を傾ける余裕はない、一打、ほんの一打だけ強振して俺の如意棒を強く弾いた瞬間、神父が地面を滑るようにして一瞬で間合いを詰めてきた。

 銃弾をも容易く見切る動体視力ですら残像しか捉えられない速さ――刹那、俺の肉体は待ってましたとばかりに反応する。左半身を後方に捻じり、呟く。


「『腕部形成』」

『――ッ!?』


 『言霊』が外部に作用させられなくとも、自身には効力を齎せるのは確認済みだ。

 失くした左腕が突如として再生し、俺の動作に連動して神父へとカウンターとなる拳撃を放つ。正面切っての不意打ちは意趣返しである。ないはずの腕に殴りつけられた神父の拳が頬を掠める、対して俺のカウンターは見事に神父の顔面を捉えていた。


 風に巻かれた藻屑のように飛んでいった神父がビルの壁面に激突する。当然あれぐらいで死にはしないだろう、だが明確に時間の余裕ができた。


(状況整理。一、外部に働きかける『言霊』が阻害され、効果が著しく弱まっている……対天使を想定した未知の道具が用いられていると想定。二、無関係の人間を巻き込む攻撃を受けている。非常に目障りだ。三、人造悪魔がいたはずだが攻撃に加わってこない。何を目的として設定しているかは不明、警戒は解かない。四、【曙光】幹部ロイ・アダムス。知識の中にある限りだと【救世教団】を裏切り多数の信徒を殺害した裏切り者。戦闘スタイルは知識通り、だが今見せた加速能力は未知。【曙光】の悪魔による加護を授かっているのか。加護の詳細は不明、あの不自然な加速現象からして――時間系・・・か? だとしたらロイに加護を授けているのは大悪魔メギニトスだな。なぜ俺を狙うのかは――今は考えなくていい。五……出力を上げれば『言霊』を強引に外部へ作用させられる)


 この間一秒。直後、降り注ぐ銃弾の雨を睨み、如意棒で捌きながら大きく息を吸った。


「スゥ……『天力最大出力』『銃弾停止』『死ね』」


 狙いは遠くからチマチマと豆鉄砲を放つ雑魚共。最大の力を込めて放った俺の『言霊』が、周りの人達にも当たりそうな銃弾を虚空に静止させ、さらには射撃した当人達を爆散させた。

 目で見える範囲にはいないが、肉体が内側から弾け飛んだのを確信する。

 しかし俺は眉を顰めた。


(――今の手応え。半分近く・・・・がレジストした? チッ、面倒な)


 遠くに作用した俺の天力が成果を報せてくる。肌感覚によるものだが半分は死んだ。戦果は甚だ不服ではあるが、作用した相手の数を正確に把握できただけ上等だと割り切ろう。

 俺に銃弾を浴びせてきていた奴らの総数は二十人。残り十人。位置も掴めたが、すぐに移動しないところを見るに『言霊』の作用で苦しんでいるらしい。死んでいないだけで暫くは行動不能だ。

 さあどうする。このまま俺がここにいれば、無関係の人達を巻き込んでしまいかねない。ならさっさと逃げてしまえば奴らの目的は果たされないだろう。撤退するべきか? ……するべきだな。

 怒りはある。殺意もある。だが余計なプライドはない。逃げる選択肢は最有力だ、合理的に考えて逃げの一手を打たない理由はないはずだった。


「――正気か、コイツら」


 しかし不意に、異様な気配を上空に感じ、見上げた視線の先にあるものを見咎めると、堪らず悪態が口を衝いてしまった。

 東京の空。それを埋め尽くすとまではいかないが、高層ビルに切り取られた空の景色を半分埋めるほどの、多数の人造悪魔が襲来してきていたのだ。

 パニックに陥りかけていた人々も謎の影が落ちてくるのに気づき、次々と空を見上げて絶句している。まるで映画ウソのような光景に呆然とし、隣り合う人とあれが何かを聞き合っていた。


 俺は懐から金の粒、マモを取り出す。それを口の中に放り込んで噛み砕くと無味乾燥とした味が口全体に広まった。言語を絶する美味のはずだが、以前の俺が自身に掛けた、マモの味を感じるなという『言霊』の効果が残っていたのだろう。底が尽きかけていた天力が回復していくのを感じながら、これを贈ってくれた社長に感謝を捧げる。


「……確かにラッキーアイテムだ」


 そして、再び息を吸う。今度は最大出力でなくてもいい。相手はただの人間だから。


「『もたもたするな! 脇目も振らずにさっさと逃げろォ!』」


 俺の声が辺り一帯に響き渡る。すると騒然としていた人々が一斉に走り出した。

 額に汗が浮かぶ。それを拭いながら天力の残量を認識して、次の瞬間。


『お優しいね。流石は慈悲深い天使様だ』


 神父の声が背後からするのに、振り向き様に如意棒を振るい――後ろにいたのが、アタミさんだと気づいて咄嗟に寸止めする。いや、させられた。

 アタミさんの姿で俺の視界を遮り、死角に回り込んでいたロイが嗤った。


『だが、甘い』

「ブッ……!?」


 ネイティブな英語での嘲笑。決定的な隙を突かれた俺の脇腹に、ロイの拳撃が抉り込まれる。

 動きが鈍った須臾の間に、次々に着弾していくロイの拳。瞬く間に血達磨にされ、しかし倒れることも吹き飛ぶことも赦さず、コンパクトに纏めた拳打で如意棒を振るおうとする腕の動きすらも事前に潰された。反撃もままならずにサンドバッグにされる中――ガチリと嵌まる心の箍。今、人の俺と天使の俺が合一したのを自覚する。


 血塗れの死化粧に染まった、天そのものに授かった美貌が歪み、凄絶な笑みを湛えた。


「――お前。楽に死ねると思うなよ?」









  †  †  †  †  †  †  †  †









 数奇な運命、という言葉がある。


 果たして今日この時、世の命運は終末に向けて加速の一途を辿り出す。


 神書の救世主の再来。それを狙う【曙光】の襲撃。


 そして――




『――フィフキエル様・・・・・・・ッ! 増援に参りました!』




 人造悪魔の存在を知り、その壊滅を企図して【教団】が送り込んだ、【下界保護官】たる天使フィフキエル直属の精鋭部隊。部隊長はゴスペル・マザーラントの副官だったエーリカ・シモンズ。

 人造悪魔の群れを見つけ、急行したエーリカ達【教団】の手先。その襲来を受け、東京は遂に戦場へと変遷してしまうのだ。









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