20,ひそやかに迫る破滅の足音
刀身だけで150cm近い刀娘の大太刀は、重量にしても約4kgもある凶悪な兵器だ。
銘はない。無銘である。しかし人間の女の子が携行し、武器として振り回すとなれば、甚だ不適格であるのは火を見るよりも明らかというものだろう。
だがここに至るまで、大太刀を持ち歩いていた刀娘に疲弊した様子は一片もなく、槍にも等しい刀剣を晴眼に構えていても、刃先に至るまで微動だにしていない。並の成人男性と比しても図抜けた膂力を有しているのは自明である。
立ち止まって見守る天使の視線を背中に受け、大太刀を晴眼に構えたまま摺り足で進み出た刀娘は、迫る死霊――ゾンビの群れを無言で見据える。始動したのは先頭の一体と会敵する直前、体幹と目線の高さを揺らすことなく、掴み掛かるゾンビを躱して後退した。
そうしてするりするり、するりするりと蛇行しながら後退し、先頭のゾンビと後続がなしている列を整理する。斯くして大群ほぼ三列直線――斬り易し。斬り放題。
「フッ」
足捌きのみで整頓された群れを視認後、滑るように後退していた刀娘が突如進撃を再開する。
晴眼に構えていた大太刀の切っ先を、僅かな腕の振りと手首の捻りだけで操作し、先頭のゾンビの喉を深く割いた。群れが突進する勢いは止まらない、しかし刀娘は呼気鋭く歩を進め、先頭のゾンビを躱し様に二体目の腕を肘から断ち落とし、返す刃で首の半分を斬った。左右に素早く動きながら蛇行前進することで、ゾンビの群れの中を掻き分けるように進みながら、悉くを最小の動作のみで進軍するのに邪魔な腕を、首を薙ぎ、あるいは心臓を刺し貫いていく。
――鮮やかな手並みだった。さながらまな板の上に乗せられた魚を捌く、料理人の熟達した包丁捌きを彷彿とさせられる、まさしく職人技という他にない光景である。
殺気はなく、殺意もない、淡々とした作業を熟しただけの姿勢に乱れなし。一度も大振りすることなくゾンビの群れの中を泳ぎ切ると振り返り、眼前に翳した手の中に一枚の御札を形成した。
紫の光が虚空から集まり、御札となったのだ。幻想的な現象に天使が目を見開き、若干の興奮と共に見詰める先で、刀娘は人差し指と中指で挟んだ御札を地面に倒れるゾンビ達に投げ放つ。
「ここに晒すは不浄の
祝詞。
厳粛な面持ちで唱えられた文言により、効力が発揮された御札が溶けるように四散して、慈愛の雨の如くゾンビの群れを包み込んだ。効果は即効、たちまちゾンビ達の姿が薄まり消えていく。
そうして残されたのは小さな金粒だ。ゾンビの群れが僅か三つの金の粒に変じてしまった。刀娘はそれを拾いながら天使の許に歩んでくる。金粒は彼女のポケットの中に収められた。
「――とまあ、お手本はこんな感じですかね」
フフンと得意げに胸を張った少女に、天使は惜しみない拍手を送る。
「凄い。メッチャ格好良かった。刀娘センパイは剣術の達人だな!」
「へっへへぇ。褒め過ぎですってばぁ。まあ? アタシと同年代の奴には早々劣らない自信はありますけど? 雑魚処理がアタシほど上手い奴はあんまりいないんじゃないですかね?」
「流石だなぁ。憧れちゃうなぁ。まだ高校生なんだろ? それなのにあんなに立ち回れるなんて、リアルでアニメの戦闘シーン見せられたみたいで興奮しちまった! 天才じゃんか!」
「へへへ。……弱い者イジメが得意なだけなんですけど、そこまで褒められたら照れますなぁ」
赤らめた頬をポリポリと掻く様は、本当に年相応だ。――尋常でない修練を積んだのだろう。素人のエヒムにも察しがつくほどに、病的な鍛錬の痕跡が彼女の立ち回りにはあった。
花の女子高生なのに、だ。元一般人としての感性で、痛ましい気持ちになったエヒムだが、無思慮に触れていい領域ではない気がした。故に表情には出さず褒め称えた後に質問を投げる。誤魔化すためでもあり、この一幕を見たことで気に掛かった点もあったから。
「勉強になりました。全く真似できる気はしませんでしたが、幾つか先生にご教示いただきたく」
「うむ、苦しゅうない。何が聞きたいのだね、エヒムくん」
「はい。先生はそのでっかい刀を爪楊枝みたいに軽く操ってましたが、実際重くないんですか?」
「重くないですねぇ。だってアタシ、こう見えて握力は300kgありますし。腕力もそれに釣り合う程度はあると自負してますよ」
さらりと告げられた握力数値に、エヒムは一瞬目が点になった。
刀娘が身構えるのに、ポツリと溢す。
「……ゴリラ?」
「はい言うと思ったぁー! けどこれぐらい普通だから! アタシは平均ぐらいですぅー! ちなみに絶対エヒムさんの方が腕力ありますからね、アタシがゴリラならエヒムさんは鬼ですよ」
「マジ? ウホウホ言ってるのが平均値とか、この業界って動物園なのかよ」
「言い方! 言っときますけどね、アタシ達の世界には神様から品種改良された天才と、その子孫しかほとんどいないんですからね? 突然変異で出て来る天然物の天才とか一握りですから!」
「品種改良とかガチで闇深い発言だな……」
「常識ですよー。神話の頃から続く伝統ですからね。ギリシャのヘラクレス、インドのアルジュナ、北欧のシグルド、日本のウガヤフキアエズノミコト――全部品種改良の成果なんです。アグラカトラ様ふうに言うと、神様は強いユニットを作ってたんですよ、戦いに勝つために大昔から。そんなとんでもユニットと比べたら、アタシの身体能力は普通でか弱いもんでしょ」
分からん。刀娘のか弱いという基準が全然分からん。だが本当に刀娘の身体能力が平均だというのなら、いちいち気にするべきものでもないのだろう。若干引きながらも、続け様に質問する。
「あとは三点ぐらい気になってる。刀娘がヤッたのって死霊なんだよな? ゾンビでいいのか? どちらにしても首とか心臓潰されただけで動かなくなったんはなんで? 素人の偏見だけどそれだけで死ぬイメージないんだが。刀娘も最後は魔法みたいなの使ってたし、おまけになんか金色の石みたいなの拾ってたし。あれってなんなの?」
「……めんどい! めんどいんで簡潔に纏めると、アタシのが特別製だから人型特攻が入って、人型の奴は人と同じ急所を突かれたら死ぬ仕様になってるんです。あと魔法じゃなくて陰陽術! 金の石はマモ! 裏社会の通貨みたいなものでマモが結晶化したものです!」
オッケー!? と本当に煩わしそうに言われる。
流石に場を弁えてなかったなと反省して淡白に応じた。
「オッケー、把握した。ちょいちょい疑問とかあって納得はできんけど、まあ理解はしたよ。悠長にお喋りしてる場合でもなさげだし、残りは社長に聞いとくわ」
「そうしてくれると助かります。アタシ、説明とかホント苦手なんで」
考えてみたら年下の女の子、それも女子高生を捕まえて質問攻めにする成人男性とか、絵面的にたいへんよろしくない。おまけに、
二人して秋葉原の大通りを見遣って、鬱陶しそうに目を眇めた。処理が面倒だから『言霊』で一掃してやろうと、使用する単語を脳内で検索していると、見咎めた刀娘が待ったをかけてくる。
「待ってください。エヒムさん、『言霊』とかいうの使おうとしてます?」
図星だったので素直に頷いた。新たに現れかけているのは、60近いゾンビの群れ。先程の倍だ。これで打ち止めになるならいいが、このまま際限なく現れてきたら面倒でしかない。
「ああ。あれぐらいならきっと一言で消せるぞ」
「それやめて」
なんで? エヒムが横目に刀娘を見遣る。すると刀娘もまた真摯に告げた。
「エヒムさんの『言霊』で片がつかない奴は少ないと思います。それぐらい強力な武器ですけど、それしか武器がないといざって時に手詰まりになっちゃう危険性がありますよね。これテストに出ますけど格上相手に異能はほぼ無力ですからね? 『言霊』が効かない相手と交戦することになったとしたら嬲り殺されちゃいますよ。そういう時に備えて他の武器を作っといた方がいいです」
「……なるほど?」
「なんでフォローはしますんで、その撲殺丸でやってください。最初は雑魚を相手にして経験値を稼いどくのがベストかなって。近接戦闘のスキルは持ってても腐ることはないですよ。ぶっつけ本番で同格か格上相手に殴り合いたくないでしょ、エヒムさんも」
「
理屈は理解できたし納得もした。だがエヒムは元々一般人だったのだ、殺さなきゃならない敵と殴り合うなんて経験、あるわけがない。精神的な怯えとかは笑えるほどにないが戸惑いはあった。
すると刀娘は微笑して言う。
「殴られる前に殴れ、殴った後も殴れるようにしろ。アタシの先生からの受け売りですけど、極意ってのはシンプルなもんです。とにかく一方的に殴り続けられる立ち位置の確保が肝ですよ」
「……喧嘩は度胸的な?」
「そです。怯んだら負け、鈍ったら負け、止まったら負け。細かい技術なんか後から身に着けたらいいんです、気をつけるべきなのは一方的に殴れる立ち位置を確保すること、とにかく止まらないことだけですねぇ。そしたら格下相手に死ぬことはありません」
「分かった。下手こいたら怖いんでフォロー頼みます、センパイ」
「任されましたっ」
にっこりと笑いかけてくれる少女に苦笑して、エヒムは密かにズルをする。大人ってのはバレないように楽をするもので、デキる男は楽をした上で効率よく成果を出すものである。
密かに呟くのは『言霊』だ。ただし対象は自分にする。
天力の消費は抑えたいが、かと言って使い惜しんで痛い目を見るのもアホらしい。目に見えているリスクを回避せず、怪我は勲章、失敗は成功の母などと言ってはいられないだろう。
「『戦闘終了まで勇気100倍。雑念カット』」
心の中で祈る相手はエヒムが個人的に崇めるアクションアニメーターの神、NAKAMURA様だ。
アニメで見た神戦闘シーンの数々をイメージしての突発的な精神操作は、果たしてエヒムの精神から余分な感情を切り離してのける。
――そうして現れたのは、剥き出しの、【聖偉人】という才能の権化。
エヒム自身が知らずにいて、世界中の誰もが見たこともない、理不尽なまでの
† † † † † † † †
濡れ羽色の髪が、金に染まる。黄金の環が頭上に形成され、解放された天力が総身を染め上げた。
白銀の瞳が出現せし無数の死霊を睥睨する。争いとは無縁だった者の臆病な心は勇者のそれへと変貌して、無造作に如意棒を自身の身の丈に並ぶものへと伸長させた。
引き寄せられるように押し寄せる死霊の軍勢。
くるりと手の中で
「ッ――!?」
驚嘆は少女のもの。戦慄は退魔師のもの。
怯懦など知らぬとばかりに始動したエヒムは、知能なきゾンビと化した死霊が己を捕まえようと伸ばした腕を、如意棒の先端で軽やかに叩いて弾き飛ばし――旋回させた勢いそのままに、ゾンビの下顎から跳ね上げた。爆散するゾンビの頭部、纏われた天力の余波のみで遺骸も浄化され消滅した。直後である、先頭の両脇から飛びかかってきた二体のゾンビが同時に頭部を喪失する。
エヒムが回転させた如意棒は止まることなく、流れるようにして左右のゾンビの頭部を殴打したのだ。右を頭頂部から、左を下顎から。恐るべきはその流麗さ、先頭のみならず後続も視野に収めて連撃を意識し、恙無く処理してのける鮮やかさである。
少女の助言通りにエヒムは止まらない。死霊の大群へと向かう様には一切の無駄がない。刀娘の驚嘆の在り処は、止まることなく押し寄せる大群との距離をエヒムが測り損ねず、適切な間合いを保持し続けていることにあった。大群とはいえ所詮は連携なき個、数の利も活かせず襲い来るだけとはいえ、それぞれの優先順位を誤らず的確に叩いているのだ。驚愕の所以もまたそこにある。
さながら棒術の達人、対多数戦闘にも習熟した歴戦の勇士だ。フォローを入れる余地などなく、完璧な技量は素人の付け焼き刃とは思えない完成度を誇った。
(ゴスペルさんの見立て……間違ってなかった。このヒト、やっぱり……)
戦闘経験のない白紙の状態、初戦闘にして文句の付け所がない実力。磨けば光る原石どころの話ではなかった、磨くまでもなく莫大な光を放つ宝石そのものである。
幼少の頃から戦闘訓練に従事してきた刀娘には分かる、エヒムは今その身が宿す才能だけで暴威を振るっているのだ。嫉妬を通り越す恐怖の念が少女の胸に去来するほどの、人智を超えた才能の光に心が折れそうになる――だが、退魔師としてじゃない、一人の少女としての家具屋坂刀娘は確信した。考えるのは苦手でも、目の前で見せつけられた真実まで見誤るほど馬鹿じゃない。
(
縦横無尽に振るわれる紅い棍棒の軌跡が目で追えない。変幻自在の棒術を、真後ろから見ているのに予測できない。沸き起こるのは圧倒的な歓喜、初戦闘でこれなのだ、さらなる経験を積めばどれほど化ける? 単純な性能は上級天使という肉体が保証してくれる、生まれ持つ属性の数々が伸び代を確約している、肉体を駆動させる魂が人の側に寄り添ってくれる。まさに天恵だ。沸騰する狂喜に打ち震え、雑魚に過ぎない
「――そういやぁ、聞き忘れてた」
コンッ、と音を発して地面に撲殺丸を立てたエヒムが、白銀の瞳を刀娘へと向けるのに、ゾクリと腹の底から痺れるのを少女は自覚した。
「異界って、どうやったら消せるもんなんだ?」
「……シンプルですよ、エヒムさん。異界を維持するリソース分を削ればいいんです。方法は主に三つほどで、湧いてくる魔物を殺し続けるか、異界そのものを物理的に破壊して回るか、ここのどこかにある異界の核を破壊してしまうかですね」
「そっかぁ。なら、
「どぉーぞっ。雑魚相手の試運転も済んだでしょうし存分にやってください――あ、アタシはちょっと外しますね。
「オーケー。チャチャッと済ませて戻ってきてくれな? ちゃんと俺のこと見て、後で講評してほしいから」
「はーい」
新たに出現せしは虚空に渦巻く巨大なマモ。急速に成した形は――単眼の巨人だった。
一軒の家屋ほどの身の丈と、それを支えるに足る重厚な筋肉。数本の丸太を束ねたかのような太腕は巨躯に見合う大槌を掴み、腰蓑を巻きつけた姿は巨大な原始人と言っていい姿である。
それが十体。虚空から産み落とされた巨人達が地響きを立てて着地する。ゾンビを象った死霊を遥かに超える危険度の個体が群れを成していて、刀娘はその様を見ることでこの異界の本質の一端を理解した。
この異界には特有のルールがない。たとえば左腕を動かそうとしたら右腕が動く反転現象や、特定の条件を満たさないと一定の範囲から出られないといった、理不尽な法則が存在しないのだ。
死霊から巨人へ一気に魔物のグレードが上がったのがその証拠。普通の異界なら出現する魔物の種類は統一されているもので、ゾンビの魔物の最上位個体は吸血鬼である。その法則を無視している以上は、出現する魔物の種類が操作されているのが明らかだ。――人為的に形成された異界とはこういうことなのだろう。おそらくこの異界の製作者は、今もこちらを観測している。
どうあれ製作者が手出しをしてこないならエヒムを心配する必要はない。刀娘はそう見切り、この異界へ新たに足を踏み入れた者達の許へ向かうため、単独行動を開始した。
探す必要はなかった。刀娘達が通った入り口から入ってきているのは分かっている。
「――もしもぉーし。もしかしてなんですけど、アンタ達って【輝夜】の人達ですかぁー?」
異界の入り口である路地裏には二人の男がいた。
肢体に張り付くような黒い防護服を着込んだ男達は、刀娘を見るなり身構えたものの、その顔を見ることで驚愕し目を見開いている。その反応で刀娘は破顔した。
「あっ、あんた……まさか、刀娘様――」
「やっぱり【輝夜】の人達でしたか! 奇遇ですね、それともお久し振りの方が? ともかく――」
警戒心を失い驚いた反応をした相手達に、親しげに歩み寄った刀娘は。
「――
大太刀を無造作に一閃し、男達の首を一振りで刎ね飛ばした。
切断面から鮮血を吹き出し、首を失った体が倒れ伏す。その遺体すらもが溶けて消えていくのは、彼らのマモが異界に吸収され養分になったからだ。
人間を二人も不意打ちで殺したというのに、刀娘の顔に罪悪感はない。「虫を入れられてたら見逃せませんよね」と。害虫を駆除した程度の感慨しか懐いていなかった。
「まったくもう、ダメですよー? 【輝夜】を名乗るなら、
仕方ない人達ですねぇ、組織の名前が泣いてますよと嘯いて。大通りに再び顔を出した刀娘は、棍棒を片手に巨人達と戯れる天使を見て口元を歪めた。
「……へへへぇ。やっぱりバケモンだったかぁ。うんうん、最初からアタシより強いとか、本当に素敵なヒトだなぁ……エヒムさんは」
うっとりと呟いて、刀娘は不意に何もない上空を見上げる。
だから、満面の笑みを浮かべた少女は独り言のように囁いた。
「
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