八章 本宅殺人事件
日出 卯の刻
八爪
深い霧に包まれた夜霧の屋敷を
朝日がふわりと照らしていた。
子の宅の戸口がガタガタという音を立てて開いて、
半分寝ぼけた顔の孤独が顔を出した。
孤独は背伸びをすると
口を大きく開けて欠伸をした。
と同時に「あへっ」という間抜けな声をあげて
その場に尻餅をついた。
次の瞬間、
「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃ」
と甲高い悲鳴が漏れた。
家の前に置かれたモノに
孤独のぎょろりとした大きな目は
釘付けになっていた。
それは仰向けに転がった全裸の二郎だった。
深い霧の中でも
二郎の命の炎が消えていることは
明らかだった。
その太鼓腹の上に二郎の生首が
自身の両手によって固定されていた。
二郎の大きく見開かれた目が
孤独の方をじっと見つめていた。
その生首は
驚きと喜びが入り混じったかのような
複雑怪奇な表情をしていた。
孤独はしばしの間、
その場にへたり込んでいた。
それから頭を左右にぶるぶると振ってから、
よろよろと起き上がった。
そして警戒するように周囲に視線を投げた。
「へっ、脅かしやがって。
陰陽!
てめえ、
随分とふざけた真似をしてくれるじゃねーか!
だがな。
生き残るのは俺様だ。
今日中に片ぁ付けてやる、
首を洗って待ってろ!」
そう叫ぶと孤独は本宅の方へ向かって駆け出した。
雀が「チュンチュン」と騒がしく啼いていた。
孤独が茶の間に膳を並べ終わった丁度その時、
障子戸が開いて闇耳が部屋に入ってきた。
闇耳の面が今朝は真蛇の面に変わっていた。
「お、早、う」
「へっ、まだ生きてたか?
ま、本宅にいる限りは安全だからな」
膳の前に腰を下ろした闇耳が
部屋に並んだ三人分の膳に小さく首を傾げた。
「ちっ、今朝に限って親父が寝坊かよ。
話しておきたいことがあるっていうのによ。
まったく、呑気なもんだぜ」
そう言って孤独は口を尖らせた。
それから四半刻が過ぎようとしていた。
霧が晴れて朝陽が茶の間に射し込んでいた。
焼き魚と納豆汁の香りが
部屋の中に立ち籠めていた。
孤独と闇耳はお互いに口を閉じたまま
無言で座っていた。
二人はまだ料理に手を付けていなかった。
茶の間に不穏な空気が流れていた。
その空気を察したのか、
闇耳が徐に腰を上げた。
「待て、お前はここにいろ。
俺様が親父の様子を見てくる。
嫌な予感がするぜ」
孤独が闇耳を制して部屋を出ていった。
酉の間の襖の前で孤独は逡巡していた。
孤独は一度ゴホンと咳払いをしてから
中へ向かって呼びかけた。
「親父、飯の支度ができてるぜ。
闇耳も待ってるから早く来てくれよ」
しかし、返事はなかった。
孤独がもう一度、
今度はやや大げさに咳払いをした。
「・・親父、入るぜ」
そして孤独は大きく息を吸い込んでから
襖を勢いよく開いた。
部屋の奥の聚楽壁に背を持たせて座っている
八爪の姿が目に飛び込んできた。
「お、親父・・」
孤独は襖に手を掛けたまま
その場に立ち尽くしていたが、
我に返ると八爪のもとへと駆け寄った。
白装束に身を包んだ八爪が
生気のない目で畳の一点を見つめていた。
両腕はだらりと垂れて、
両足は畳の上に投げ出されていた。
そして何よりも孤独の目を引いたのが
その心の臓に突き刺さっている長い槍だった。
孤独は震える手で八爪の亡骸を丹念に調べ始めた。
致命傷となったのは
心の臓に刺さった槍であることは明らかだった。
「兄貴の『蜻蛉切』がなぜここに・・」
孤独がごくりと唾を飲み込んだ。
その時、
槍の刺さった傷口を見た孤独の目が
大きく開かれた。
孤独の額に浮かんだ汗が頬を伝って畳に落ちた。
孤独はゆっくりと腰を上げると
無言のまま部屋を出た。
「闇耳!てめえ、昨夜何か気付かなかったのか!」
茶の間の障子戸を開けるや否や
孤独が怒鳴り声をあげた。
孤独の只ならぬ気配に
闇耳はぶんぶんと首を振った。
「・・親父が死んでる」
闇耳がハッと息をのんだ。
真蛇の面が微かに揺れた。
「誰、が?」
それから面の下から小さな声が漏れた。
「そんなの決まってんだろ!
お前じゃなきゃ陰陽しかいねえだろ!」
孤独の言葉に闇耳が首を傾げた。
「・・そうか。
お前はまだ二郎のことを知らねえんだな。
二郎は殺られた。
奴の亡骸が今朝、
俺様の家の前に置かれてたんだよ」
「・・本、当?」
闇耳の声が僅かに震えていた。
「お前が殺ったんじゃなけりゃ、
陰陽しかいねえんだよ」
闇耳は恐る恐る頷いた。
「親父が死んだ今、
ここも安全とはいえねえぞ。
恐らく陰陽はお前を殺すために
親父が邪魔だと考えたんだろ。
まったく、イかれた野郎だぜ」
外で雀が「チュンチュン」と啼いていた。
二人は箸を手にしたまま
呆然と膳の前に座っていた。
「お前、陰陽のことをどれだけ知ってる?」
孤独は箸を置くと腕を組んで闇耳の方を見た。
少し遅れてから闇耳は首を振った。
「はっきり言って
俺達兄妹の中で一番不気味なのは陰陽だ。
奴の瞳は嘘を見抜く。
でもそれだけじゃねえ。
陰陽っていう男には得体の知れねえ何かがある、
そう思わねえか?」
闇耳はこくりと頷いた。
「たしかに殺しの技術に関しては
一槍斎の兄貴は抜けてた。
だが一槍斎の兄貴は駆け引きなんてしねえ。
真っ向勝負がその信条だ。
そして。
そんな一槍斎の兄貴が
最も警戒していたのが陰陽だ。
やはり一槍斎の兄貴を殺ったの・・」
そこで孤独は口を噤んだ。
闇耳は首を捻った。
雀が騒がしく啼いた。
孤独が箸を手に取ったが、
何を食べるでもなくふたたび置いた。
そして徐に口を開いた。
「・・それに奴の扱う妙な術だ。
一槍斎の兄貴の
『神出鬼没』とはまた違った恐ろしさがある。
一槍斎の兄貴の場合は、
その脚力を活かした神速の移動と考えれば
一瞬で別の場所に現れることにも
ある程度は納得できる。
だがな、
陰陽の術は理屈じゃ説明が付かねえんだよ。
俺様は以前、
奴が雨を降らせたのを見たことがある。
陰陽は『占術』とか言ってるけどな。
そのカラクリは誰も知らねえ。
奴は恐ろしいほどの秘密主義なんだよ」
闇耳はふたたびこくりと頷いた。
「たしかにいずれ殺し合う兄妹に
手の内のすべてを晒すのは馬鹿だ。
それにしても限度があるだろ。
お前、奴が実際に殺ってるところを
見たことがあるか?」
闇耳は首を振った。
「俺達は陰陽のことを何も知らねえんだよ」
孤独が納豆汁を一口啜った。
それから闇耳を真っ直ぐに見た。
「・・お前に話しておくことがある。
・・一槍斎の兄貴を殺ったのは俺様だ」
闇耳がごくりと唾を飲み込んだ。
見えてないはずの真蛇の面の奥の暗い瞳が
真っ直ぐに孤独を捉えた。
「驚いたか?
ま、俺様の前じゃ
一槍斎の兄貴も赤子同然だったわけだ」
闇耳は何も言わずに湯呑に手を伸ばした。
「だが問題はそこじゃねえ。
どういうわけか親父の死体の
心の臓に刺さっていたのは
死んだはずの兄貴の『蜻蛉切』だったんだよ」
湯呑に触れたところで闇耳の手が止まった。
「大事なのはここからだ。
たしかに親父の死体の心の臓には
槍が刺さっていた。
だがな。
あの傷は槍でできたモノじゃねえ。
ありゃ刀傷だ。
刀で心の臓を貫かれて親父は絶命したんだ。
そのうえで、
ご丁寧に白装束へ着替えさせてから
槍を突き刺しやがったんだよ」
「ど、う、し、て・・?」
そこでようやく闇耳が口を開いた。
「わからねえよ。
だがな。
陰陽なら・・そう思わねえか?」
闇耳は躊躇いがちに小さく頷いた。
茶の間は静寂に包まれていた。
時折、
「チュンチュン」という雀の啼き声が
聞こえていた。
「・・闇耳。
お前は俺様に協力しろ。
陰陽を殺ってしまえば、
お前は生かしてやる」
闇耳は躊躇いがちに首を傾げた。
「お前は知らねえだろうが、
夜霧の掟には例外があるんだよ」
そう言って孤独はニヤリと笑った。
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