六章 一二三殺人事件

日入 酉の刻

二三

西の空が紅く染まっていた。


夜霧家の敷地から三本の煙が立ち上っていた。


そのうちの一つ。

卯の宅を覗くと、

炊事場に立つ一二三の姿があった。

一二三は鼻歌交じりに

小気味よく包丁を動かしていた。


不意に、戸を叩く音がした。


一二三は手を止めると、

そっと包丁を置いた。

そして式台に置いてあった茜色の鞘を手に取ると、

努めて冷静に

「誰です?」

と戸口の向こうへ呼びかけた。


「ね、姉ちゃん。

 オラだど、二郎だど。

 は、話があるど」


一二三は静かに太刀を抜いた。

それから足を忍ばせて戸口へ近づくと、

包帯の巻かれた左手をそっと引き戸に這わせた。

「どうしたのです、二郎?」

「姉ちゃん、中に入れてくれよ」


一二三は小さく息を吸ってから心張り棒を外した。

そして引き戸から少し離れて太刀を構えた。

「入ってもいいですよ、二郎」

一二三の言葉に続いてガタッと引き戸が開かれた。

「お、お邪魔するど」

満面の笑みを浮かべた二郎がそこに立っていた。



どこかで

雉鳩が「グーグーポッポー」と啼いていた。


一二三は正座をして、

二郎は胡坐をかいて、

二人はちゃぶ台を挟んで

畳の上に向き合って座っていた。


「二郎が訪ねてくるなんて

 珍しいこともありますね。

 一体、どうしました?」


二郎はその問いに答えずに

ちゃぶ台の上の湯呑を手に取ると

一息に飲み干した。

それから「ぶはー」と大きく息を吐いて、

目の前にいる一二三の目を真っ直ぐに見つめた。


しんと静まり返った部屋の中で、

二郎の規則正しい鼻息だけが聞こえていた。

時折、雉鳩の啼き声がその鼻息の音を掻き消した。


しばらくして二郎が徐に口を開いた。

「オラに協力してくれよ、狐狸姉ちゃん」



土間にある竈の釜の湯がゴボッと音を立てた。

戸口の隙間から西日が射し込んで、

土間に一筋の線を描いていた。


一二三が無言で

二郎の目を真っ直ぐに見つめ返していた。


「何を言ってるのです、二郎?

 狐狸は私がこの手で殺したのです。

 そのことは乾の宅の掃除をした貴方が

 一番よくわかっているはずでしょう?」

一二三は口元に左手を当てて「おほほ」と笑った。


「お、オラは知ってるど。

 その左手の白い布が証拠だど」

そう言って二郎は

一二三の左手に巻かれた白い布を指差した。

一二三の表情に緊張が走った。

「・・それがどうしたというのです?」

一二三は「コホン」と小さく咳払いをすると

白い布の巻かれた左手をそっと背に隠した。


「ひ、一二三姉ちゃんは

 怪我をしてもすぐに治るんだど」

二郎が胸を張って自信満々に答えた。

一二三の右手がそうっと畳の上の鞘に触れた。


「その刀がオラの体を斬るよりも先に、

 オラは狐狸姉ちゃんの首を折ることができるど」


雉鳩が「グーグーポッポー」と啼いた。

一二三が無言で二郎を睨み付けた。



土間にある竈の釜の湯が

ボコボコと音を立てていた。


「あはははははは」

その時、突然、一二三が笑い出した。

その声色は先ほどまでの一二三とは

まるで別人だった。


「まさかアンタが

 二三姉ぇの秘密を知ってたなんてね」

一二三が左手の白い布をパラパラと解くと

細い五本の指が現れた。

それから一二三の手が頭に掛かった。

次の瞬間、

長い髪が畳に落ちて下から短い赤毛が現れた。

次に一二三はうなじに両手を回した。

よく見るとうなじの中央に小さな切り傷があった。

一二三の爪がその傷に触れた。

爪が皮膚に刺さると

メリッメリッという音と共に傷口が裂けた。

避けた傷口の下から褐色の肌が現れた。

一二三がゆっくりと白い皮を剥いでいくと

その下から狐狸の顔が現れた。


「やっぱり!狐狸姉ちゃんだど!」

二郎は両手を上げてはしゃいだ。

「しーっ!大きな声を出すんじゃないよ。

 まだ他の人に

 バレるわけにはいかないんだからさ」

狐狸は人差し指を口に当てて二郎を諫めた。



部屋全体が西日を浴びて紅く色付いていた。

雉鳩が激しく囀っていた。


土間に立つ狐狸が

茶葉の入った土瓶に釜の湯を注いでいた。

そんな狐狸の後姿を

二郎は口を開けて鼻の下を伸ばしたまま

畳の上から眺めていた。

狐狸が振り返って二郎に微笑みかけると

二郎は嬉しそうに手を振った。


狐狸が土瓶を持って畳に上がった。

そしてちゃぶ台の上の

空になった二郎の湯呑に茶を注いだ。

二郎はそれを一息で飲み干した。

「むはー、

 やっぱり狐狸姉ちゃんの淹れた茶は美味いど」

そして無邪気に笑った。


「で、でもどうやって

 一二三姉ちゃんを殺したんだ?」

二郎は指を咥えて不思議そうな顔を狐狸に向けた。


「うふふ。

 それはね・・この刀のおかげよ」

狐狸は小さく笑って畳の上の太刀を手に取った。

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