第10話 夕餉 <日入 酉の刻>
誰も目の前に並んだ膳に
箸をつけようとはしなかった。
皆、自分以外の人間が
先に食べるのを待っていた。
二郎までもが箸を手にしたまま
キョロキョロと周りを窺っていた。
「てめえら!
いい加減にしやがれ!
俺様の作った料理に
毒が入ってるとでも言いてえのかよ!」
孤独が顔を真っ赤にして大声を張り上げた。
「陽兄ぃ、孤独はああ言ってるけど
実際のところはどうなの?」
「て、てめえ!」
孤独が勢いよく立ち上がると、
狐狸も相手にならんとばかりに
腰を浮かせた。
「座れ!二人共!」
八爪の声が茶の間に響き渡った。
「この本宅を血で汚すことは許さんぞ」
それから八爪はその大きな目で
二人をギロリと睨み付けた。
孤独はバツが悪そうに腰を下ろした。
狐狸はペロッと舌を出して
短い赤毛を掻き上げた。
「大丈夫、この料理に毒は入ってないよ」
その時。
陰陽が静かに口を開いた。
その言葉に即座に反応したのは二郎だった。
二郎は上を向いて大きく口を開けると、
そこへ飯の入った丼をひっくり返した。
続いて味噌汁の椀を呷って、
飯と一緒に一気に流し込んだ。
そんな二郎の様子を確認してから
他の者達は一斉に箸を動かした。
「そんなに信じられねえのなら
無理に食べなくてもいいんだぜ」
孤独は「ちっ」と舌打ちをしてから
不満そうに椀の飯を掻き込んだ。
「・・確かに。
孤独兄さんのことが信用できない者は
明日からは自分の家で
飯を用意した方がいいね」
「そうね!それはいい考えだわ」
陰陽の提案に
狐狸が間髪を入れずに賛同した。
「孤独を信用していない
わけではないですけど、
私もそうさせていただきます」
続いて一二三も同調した。
「オラは孤独兄ちゃんの料理が食べたいど」
一方。
二郎はそう言いながら
空になった丼に茶を注いだ。
「二郎は可愛いな。
明日からはもっと美味いモノを
腹一杯食わせてやるからな」
そして孤独は闇耳の方へ目を向けた。
「お前はどうするんだ?」
「僕、も、兄、ちゃ、ん、の、
料、理、を、食、べ、る」
生成の面の下から、
くぐもった声が聞こえた。
「父さん、
というわけで、
しばらくは別宅で食事をとることを
許してくれないかい?」
「・・いいだろう」
陰陽の申し出を
八爪はあっさりと受け入れた。
雉鳩が「グーグーポッポー」と啼いていた。
「・・一つ気になることがあるんだ」
ふいに箸を置いた陰陽がぽつりと呟いた。
皆の視線が陰陽に集まった。
「今回の一槍斎兄さんの件は
幻夜姉さんのそれと
状況が似てると思わないかい?」
陰陽の言葉に一番驚いた様子を見せたのは
八爪だった。
八爪は動揺を隠すように
そっと湯呑を口元へと運んだ。
「幻夜って・・母さんの最初の子供の?」
狐狸が陰陽の方を見ると、
陰陽は無言で頷いた。
「たしか・・。
生まれてすぐにいなくなったんだよな、
親父?」
孤独がニヤニヤしながら
胡瓜の漬物に箸を刺した。
「馬鹿ね、
一人で歩くこともできない赤ん坊が
どうやっていなくなるのよ。
攫われたのよ」
狐狸の指摘に
孤独はふたたび「ちっ」と舌を鳴らした。
「お母様が目を離した少しの間に
姿が消えていた
と昔聞いたことがあります。
たしか午の宅で
寝かし付けていたときだとか・・」
そう言って一二三は八爪を見た。
一二三に釣られて
三人の視線が八爪に集まった。
二郎と闇耳の二人は
皆の話に興味がないのか、
二郎は夢中で飯びつの米を
丼に盛っていて、
闇耳はただ天井を見上げるような姿勢で
ぼうっと座っていた。
八爪は一度ゴホンと咳払いをしてから
徐に口を開いた。
「一二三が言った通りだ。
今から二十二年前。
幻夜が生まれて四日後のことだった。
儂が幻夜の様子を見に
午の宅へ行ったときには姿が消えていた」
「陰陽は二人の失踪に
同じ人間が関わっている
と言いたいのですか?」
一二三はそう言いながら
自らの長い黒髪に手を当てた。
「へっ!そりゃおかしいぜ。
幻夜の姉貴が消えたときには、
俺達はまだ誰も生まれてないんだからよ」
孤独は「ひっひっひ」と声を出して笑った。
その時。
生成の面から覗く闇耳の瞳が偶然にも
じっと八爪を捉えていた。
見えていないはずの闇耳のその視線に
二郎を除く全員が気付いた。
皆の視線がふたたび八爪に向けられた。
彼らの目には猜疑の色が浮かんでいた。
「・・たしかに幻夜がいなくなった時に
生きていたのはこの中では儂一人だ」
八爪はそこで一度口を閉ざすと
皆の顔を見渡した。
それから徐に続けた。
「だが儂には二人を攫う理由がない。
幻夜にしろ、一槍斎にしろ
儂が攫って何の意味がある?」
「そ、それは・・」
孤独が何かを言いかけて止めた。
「ならば。
幻夜姉さんと一槍斎兄さんの件には
ボクら以外の人間が
関わっていることになるね。
考え難いことだけど、
この屋敷には
ボクらの知らない何者かが潜んでいる、
ということになるのかな?」
陰陽が皆の顔を見渡して静かに呟いた。
「ねぇ。
それなら予見は
その誰かに殺されたってこと?」
狐狸が納得してない表情で
誰にともなく問いかけたが、
それに答えることができる者はいなかった。
異様な空気が部屋を包み込んでいた。
「おいおいおいおい、
何時から我が家は下手人探しを
生業にするようになったんだ?」
ふいに孤独の声が沈黙を破った。
「オラ達の仕事は人殺しだど!」
二郎が大きく元気な声でそれに答えた。
「二人の言う通りだ。
下手人探しなどに何の意味がある?
どちらにせよ。
お前達は殺し合う運命なのだからな」
八爪のその一言で
夕餉の席はお開きとなった。
雉鳩が「グーグーポッポー」と啼いていた。
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