第47話 反復横跳びをダンスのように



「あの、澪さま‥‥‥」


「麗華? どうかしましたか?」


 少し休憩して、立ち幅跳びから体育館で行う最後の種目である反復横跳びをやっている場所へ行く途中、麗華は意を決して澪に声をかけた。


「次の反復横跳びでベスト記録が出せたら‥‥‥ご、ご褒美をくださいまし!」


 麗華は羨ましかったのだ。上体起こしをしていた時、美琴が目標を達成して澪にナデナデされていたのが。


(わたくしも澪お姉さまに撫でてもらいたいですわ!)


 でも憧れのお姉さまにそんなことを頼むことはなかなかできない。だからこうしてご褒美の報酬としてもらおうというのだ。


「麗華にはお世話になってますし僕にできることなら、もちろんいいですよ。何がいいですか?」


「撫でて欲しいですわ!」


 快くそう答えてくれた澪に嬉しく思いながら、その念願のお願いを伝える。


 それを聞いた澪はキョトンとした表情を見せた。


「そんなことでいいのですか?」


「はい! これより最高なご褒美なんてありませんわ!」


「麗華がそれでいいなら‥‥‥」


「ありがとうございます!」


 生粋のお嬢様である麗華がねだるご褒美ならもっと豪華なものが来るだろうと思っていた澪だが、そのささやかなお願いに拍子抜けする。


 でも、ふんふん♪とご機嫌な麗華を見て、まぁいっかと思うことにした。


 澪の中では大したことが無くても、麗華の中では違う。


 さっきやっていた立ち幅跳びの時もそうだが、麗華は澪に抱き着くことにはあまり意識したり緊張したりはしない。それは海外ではハグが挨拶の国もあるし、社交ダンスのホールドなどはほぼ抱き合っているのも同然だからだ。


 しかし頭なでなでは違う。それは完全に100%の親愛表現であり、憧れのお姉さまに撫でてもらえるということは、それだけ自分がその人に目をかけられてるということだからだ。


(澪お姉さまに頭を撫でてもらえる‥‥‥これは本気でやるしかありませんわ!)


 反復横跳びの三本の線が見えてきて、麗華は気を引き締める。


「それじゃあ反復横跳びは麗華とペアでやりましょうか」


「は、はい!」


「ちなみに麗華の反復横跳びの自己ベストっていくつですか?」


「40回ですわ」


「わかりました。40回ですね」


 澪は今年から学園に来たのだから、ここで嘘をついたとしてもバレることは無かっただろう。けれどもちろん麗華はそんなちっぽけなことはしない。


(正々堂々とやって、澪お姉さまからの親愛を勝ち取るのですわ)


 緊張からか無意識のうちにゴクリと唾を飲み込んで、麗華は真ん中の線の上に立つ。


 そんな様子を見てか澪が先にやりましょうか?と言ってきたが、こういうことで先陣を切ることは自分の役目だと自負している麗華は先にやることにした。


 そうして少ししないうちにピッ!と、スタートの笛の音が鳴る。


 同時に並んでいる人たちが一斉に反復横跳びを始めた。


 麗華も遅れずに右足を踏み出す。


 赤色のブルマから伸びる白い足が右へ左へと交互に動く。


 その様子をジッと見つめる澪の瞳は真剣で、麗華は回数ではなく自分自身を見られているように感じた。


(ゆ、優雅にですわ! 澪お姉さまに見られているのに醜態なんて晒せませんわ!)


 麗華はいつも通り、いやいつも以上に淑女としての仕草を心がける。だからだろうか‥‥‥。


 ピピーッ!と笛の音が鳴ってタイムアップとなる。


「ふぅ‥‥‥はぁ‥‥‥」


 少し息を整えて澪を見ると、澪は少し困ったような顔をしていた。その表情を見ただけで目標が達成できなかったことがわかる。


「麗華‥‥‥」


「わかってますわ。自分でもあまり手ごたえを感じませんでしたもの」


「えっと、二回目もあるから次に頑張りましょう!」


「はい、ですわ‥‥‥」


 澪が気を使って元気づけようとしてくれてることに申し訳なさを感じつつも、やはり少し落ち込んでしまうのを止められない麗華。


 目標が達成できなかった原因は分かってる。それは優雅さを求めたからだ。


 麗華の”常に最高の令嬢たれ”という信条は体力テストの時であろうと絶対に揺らぐことは無い。


 実際に今までやってきたすべての種目でもそれを意識している。たとえそのせいで本来より記録が落ちることになろうとも、令嬢らしさを求めた上での全力ならそれが自分の全力であると納得できていた。


(けれど、今回ばかりはそうも言っておられませんわ‥‥‥)


 澪からのご褒美をもらうために本当の全力を出せば去年のベストを超すことは難しくないだろう。


 しかしそれをすれば、麗華は令嬢らしくあることができなくなる。優雅に振舞う余裕なんて無くなることになる。


 麗華はジレンマに陥りそうになっていた。


(うぅ‥‥‥どうすれば‥‥‥)


 ——ピッ!


 その時、笛の音が鳴り響き次の人の番が始まった。


(あっ! 澪さまの回数を数えませんと!)


 慌てて顔を上げて——。


「ぁ‥‥‥」


 反復横跳びをする澪の姿に、見惚れた。


(美しいですわ‥‥‥)


 思えば、これまでやって来た体力テストでもそうだった。


 澪はすべての種目で高記録を叩きだしているのにも関わらず、その姿から美しさが霞んだことが一度もなかった。


 令嬢としての気品と、全力で挑む姿が完全に同居している‥‥‥いや、全力で挑む姿が令嬢としての気品をさらに昇華させているまである。まさに完璧。


(やはり澪さまはわたくしの目標ですわ。わたくしもあんな風に‥‥‥)


 だが、どうしたらいいのだろう。麗華が澪と同じようにやったところで、すぐに息を乱して醜態をさらすことになるのは目に見えている。


 そんなことを思っていると、再び笛の音が響いた。


「——はっ!?」


 我に返った麗華は慌てて澪に謝る。


「す、すみません澪さま! 澪さまの御姿につい見惚れてしまって、数えるのを忘れてしまいましたわ‥‥‥」


「え? あぁ、大丈夫ですよ。自分で数えてましたから」


「本当に申し訳ありませんわ‥‥‥」


 あまりの自分の無能さに自己嫌悪に陥りかける麗華。


 だが、そんな麗華を励ますように澪がそっと麗華の肩に手を置く。


「それより次は麗華の番ですよ! 僕もいつも頑張ってる麗華によしよししてあげたいですから、絶対自己ベストを出してください!」


「澪さま‥‥‥ですが‥‥‥」


「反復横跳びで大事なのはリズムとテンポです。そうですね‥‥‥ダンスを踊ってると思ってください」


「ダンスを‥‥‥ですか?」


「それならできそうでしょう?」


 そう言って麗華を見つめてくる紫紺の瞳は、麗華にならできると信じ切ってることが分かる。


(澪お姉さまが信じてくれるのなら‥‥‥)


 もうご褒美なんかよりも、自分の信条なんかよりも、その信頼に全力で答えたい。


「任せてくださいですわ! お~っほっほっほ!」


 落ち込みかけた自分をいつもの高笑いで吹き飛ばすと、麗華は再び真ん中の線の上に立つ。


(大事なのはリズムとテンポ‥‥‥ダンスのように‥‥‥)


 そうしてピッ!と笛が鳴り、二回目の反復横跳びが始まる。


 麗華は澪に言われた通り、ダンスを意識して最初の一回を踏み出した。


(アン・ドゥ・トロワ! アン・ドゥ・トロワ!)


 ダンスを意識すれば自然と淑女らしさは高まる。ステップの踏み方はそれこそ幼少の頃から何度も何度も身体に刻み込んできた。素早いテンポもお手の物。


(そうですわ! ここでターンなんてどうかしら? もっと優雅に見えるはずですわ!)


 だんだんとノッてきた麗華は次第にアレンジを加えていく。


 ツインテールを靡かせるその姿は、ドレス姿ではなくブルマなのにもかかわらず、まさにダンスのごとし。


 やがて30秒の時間が終わる頃には、麗華だけいる場所がダンスホールにいるような感覚をここにいる全員が味わっていた。


 ——ピピーッ! ‥‥‥パチパチパチパチ!


 笛が鳴ってタイムアップを知らせる。それと同時にどこからともなく聞こえて来た拍手。それはすべて麗華に送られているもので。


「麗華! やりましたね! 50回ですよ! 10回も上がってます!」


 それから澪がまるで自分のことのように嬉しそうに反復横跳びの回数を報告してくれる。


 ダンスの余韻から一瞬何を言われたのか分からなかったが、麗華はすぐにこれが反復横跳びだったことを思い出した。


「——っ!!」


 思わず、嬉しさから弾みそうになる身体を抑える。


 ここまで完璧に令嬢としてできたのだ。最後まで気を抜くことなく完璧な令嬢としていなければ。


 だから麗華は緩みそうになる口元をニッと上げて、堂々と胸を張るのだ。


「わたくしは徳大寺麗華ですもの! それくらい当り前ですわ! お~っほっほっほ!」


(澪お姉さまに信じて頂けるだけで、わたくしは何でもできる気がしますわ! やっぱり、澪お姉さまはわたくしの唯一のお姉さま、ですわっ!)


 麗華はますます澪に対する敬愛を高めながら、体育館に高笑いを響かせた。


 反復横跳び記録。


 澪『68回』 紗夜『55回』 麗華『50回』 美琴『25回』 輝夜『60回』

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