第9話 それぞれの入学式 麗華の場合


 徳大寺麗華とくだいじ れいかは常に己を最高の令嬢たれと律してきた。


 着る服や身に着けるアクセサリー、鞄や財布といった持ち歩くものも自分に相応しいものを、髪や肌のお手入れにも手を抜かず、どんなときでも美しく。


 歩く時や椅子に座る時の姿勢や立ち振る舞いには細心の注意を払って、一つ一つの仕草ですら指先を揃えて、とにかく丁寧に、綺麗に。


 食事の時だってそう、食べる順番からナイフとフォークの使い方などのマナーは絶対に間違えないように。お風呂の時だってそう、お湯につかってだらけている姿なんか誰にも見せない。寝るときでさえも、だらしない寝相なんて晒さない。


 常に最高の令嬢たれ。


 はじめは家の教育方針だった。日本の清華家であった徳大寺家の娘に相応しくと、たくさんの家庭教師やマナーの講師から厳しい教育を受けてきた。


 もちろん、なかなか言われたことができなくて辛く苦しかったことなんて数えきれないほどある。けれど、それ以上に教えられたことが上手くできると、自分が確かに美しくなれたことが実感できて嬉しかった。


 そうしていつの日からか、自分が最高の令嬢であることは、自分を形作るアイデンティティになっていった。


 けれど時折、麗華は自分を見失いそうになるときがある。


 本当に自分は美しくあれているのだろうか? あの時の所作は不快に思われていないだろうか? マナーは? 礼儀作法は?


 こういうものはいくら自分で完璧にできたと思っていても、他人の受け取り方まではわからない。


 もしかしたら不快に思われていたかもしれない‥‥‥。少しでもそう考えるだけで、麗華は自分に自信が無くなって、本当に自分は最高の令嬢なのか? と、まるで底なしの沼に嵌ったみたいな気持ちになるのだ。


 でも、そんなときはいつも自分を励ましてくれる物語の数々がある。


 いつかの日、ブルーな気分になっていた麗華は家人たちの勧めで気分転換に街歩きをしていた。その時にたまたま入った書店で目についたのが『日本一のご令嬢の優雅で風靡な毎日』という一冊だった。


 それはいわゆるライトノベルというジャンルの本で、今まで自分には相応しくないと思って見向きもしなかったが、『ご令嬢』という言葉に惹かれて買ってみることにした。


 これを読めば自分に足りないものが分かるかもしれない。そんな期待をしてそのラノベを読んだ麗華は、読み終わったあと、何故か涙を流していた。


 実際にはその本に自分が求めていたような令嬢として更なる研鑽を詰めるようなものは無かった。けれど、その物語の主人公の令嬢の泣いて、笑って、悲しんで、喜んで‥‥‥そういった波乱万丈な人生を歩む姿はなんと尊く美しいものか。


 それからというもの、麗華はありとあらゆる令嬢たちの物語を読みふけった。天才令嬢や貧乏令嬢、はたまた世界を飛び越えて乙女ゲーの悪役令嬢や転生令嬢など、とにかく令嬢の主人公が出てくる作品を読み漁った。それはラノベだけにとどまらず、アニメやマンガやゲームまでにも派生していった。


 そして、そのどの令嬢もが美しく、輝いていた。‥‥‥いつの間にか、麗華は立派なオタク令嬢になっていた。


 そして今日、藤ノ花学園高等科の入学式で、麗華は壇上に立つ一人のご令嬢に目を奪われている。


(美しいですわ‥‥‥)


 近衛澪。その人物のことは麗華も度々耳に入っていた。徳大寺家をも上回る名門近衛家の娘なのに、入院のために一度も表舞台に出て来ていなかった幻のご令嬢。


 いる。とは言われていたが、その姿は誰も見たことが無く、存在の可否まで疑われていて、様々な憶測と推測の噂が飛び交っていた。


 曰く、あまりに粗暴なために近衛家の娘としてとても出せる人物ではなく、入院と称して家に閉じ込めていた。曰く、病気で目に入れられないほど醜く酷い姿をしているために表に出せない。曰く、近衛家夫婦は種無しで本当はそんな子供などいない。


 どれの噂も碌なものがない。中には良い噂もあったのだが、人は得てして悪い方を覚えがちであり、噂好きの者たちがこんな格好の的を見逃す筈もなく、噂ではなく誰かが勝手に想像したことまで、あたかも本当のことかのように一人歩きしていたのだ。


 けれど‥‥‥あぁ、とんでもない。みんなの前に立ち朗々と新入生代表の言葉を話している姿を見れば、そんな噂など吹き飛ばされる。


 今、目の前にいるのは本物のご令嬢だ。


 容姿端麗で誰もが見惚れるほどの美貌。スタイルも良く、出すぎず細すぎずの女性らしい理想のプロポーション。


 揺蕩う声は聞く者の耳を掴んで離さず、息遣いや向ける視線までも目を奪われる。


 何より、姿勢の良さが完璧だ。歩くときもシャンと背筋が伸びて、作法やマナーに一切の隙が無かった。一挙手一投足の指先まで丁寧で、ここにいる大人どころか作法やマナーを教えてくれる先生たちですら霞むほどの全く非の打ち所がないお手本。


 しかもそれを自然と当たり前のように行っていることが凄い。普通は教えられたことを忠実にこなそうとすれば、どこか演技をしているような違和感がでる。けれど近衛澪の所作はあるがままの姿に見える。すなわち、後から身に着けたものではなく生まれた時から持っていたもの。


 それは今まで最高の令嬢として、誰よりも厳しく自分を律してきた麗華だからこそ、良くわかった。


 まさに令嬢の中の令嬢‥‥‥そう、それこそ麗華がいつも読んでいる物語の世界から飛び出してきたかのような。


 ——トクン。


「あっ‥‥‥」


 そう思った瞬間、麗華の心臓は大きく高鳴った。目だけじゃない、心まで持っていかれた。


 澪が新入生代表の言葉を終えて、元にいた席に戻っていく。


 やはり何度見てもその姿は今まで見たどんな令嬢よりも完璧だった。


(あれはわたくしの目標ですわ‥‥‥目指すべき姿ですわ)


 憧れ。麗華は憧憬の念を込めた熱いまなざしで澪を見つめる。


(絶対にお近づきになりたいですわ‥‥‥っ!)


「澪お姉様‥‥‥」


 麗華が澪の限界オタクになる日は近いかもしれない。



 ■■



(やった! やったやった! 澪お姉様と同じクラスですわ! これはもう運命じゃないかしら!)


 講堂から一年二組の教室に戻ってい来た麗華は、ピンと背筋を伸ばした綺麗な姿勢で座っていると、あとからやってきた澪の姿を見て内心で大興奮していた。


(これからどうやってお近づきになろうかと悩んでいましたが、同じクラスなら万事解決ですわ!)


 麗華はワクワクしながらこれからの学園生活に想いを馳せる。


 澪お姉さまと授業を受けて、澪お姉さまとティータイムをして、澪お姉さまとランチを食べて‥‥‥澪お姉さまと部活で汗を流して、澪お姉さまと体育祭をして文化祭をして‥‥‥澪お姉様と——っ!


(あ、そうですわ。でもその前に、澪お姉さまに私のことを知っていただかないと)


 なにせ二人は初対面。名前くらいなら知ってもらえているかもしれないが、澪お姉さまからしてみれば自分なんて他の生徒と大して変わらない存在だろう。


 この自己紹介で澪お姉さまに強い印象を抱いてもらって、気にいってもらわなければ!


(う~ん、どんな風にいたしましょうか‥‥‥あ、ここはあの作品のあのご令嬢の言葉がいいですわね! なにせ、あの子はこれで生涯に唯一無二のお姉さまに出会えるのですし!)


 麗華は脳裏にセリフを思い浮かべると、担任が何かを言う前にサッと席から立ちあがる。華麗な動作で持っていた扇子を広げて、憧れのあのシチュエーションをなぞっていく。


「お~ほっほっほ! 名門徳大寺家が娘、徳大寺麗華とはわたくしのことですわ! 覚えておきなさい! ——それから澪お姉さま!」


「は、はいっ!? ‥‥‥ん?」


(あぁ‥‥‥驚いている姿もお上品で素敵ですわ‥‥‥)


「貴方はわたくしの心に火を点けましたわ! 覚悟しておきまし!」


 そう言うと、麗華はピシッと扇子を澪に刺して、むふー! と満足そうな息を吐いた。


(これで掴みはバッチリですわ! あとはこれから二人で尊い時間を過ごし、いつか澪お姉さまにわたくしの本当のお姉さまになってもらうのよ!)


 こうして、徳大寺麗華の高等科が始まった。

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