狂犬
訳が分からなかった。
女の子の行動が。
そして眼前に差し迫る巨大な大剣という現実が。
「あっぶな!?」
人間であろうと主に牙を剥くの出れば許さない。
そう答えるかのようにアンが女の子に突撃をかましたことで、大剣の軌道がそれる。
インは攻撃が外れるや否や、女の子とゴーレムから距離を取る。
どっちに向ければいいか分からない魔物の剣を構えた。
「ずるいっ!」
女の子はインを庇うようにして立つアンを指さしてそう言い放った。
ずるいの意味が全く分からないが、ゴーレムの挙動も警戒しつつインは目線を送る。
「けど全員倒せば良いよね!」
ニッコリとした笑顔を作った女の子は、大剣を振りかざしてアンに斬りかかる。
これほどまでに話を聞いてくれないどころか、突撃思考がすぎる女の子がいるだろうか。
徐々にインの脳裏に、人型の形をした魔物の一種なのではないかという線がよぎる。
「アンちゃん! 多分あの子も魔物だから遠慮なしでいいよ!」
「えっ、酷っ!」
これほどまでに【お前が言うな】の言葉が似あう存在がいただろうか。
ひとり思いつくなぁと乾いた表情を浮かべつつ、インは二つの存在に気を配る。
アンの攻撃を力任せに大剣で弾く女の子。
かれこれ10回以上のぶつかり合い。
にんまりと笑った女の子は、遂に迫りくるハサミを素手で受け止めるという暴挙まで繰り出してきた。
「えぇー……」
「……まだまだハルトさんには遠いなぁ」
「えっ?」
自嘲するかのように女の子が口にした名前。
反射的に反応しそうになるインを差し置いて、よくも無視してくれたなとばかりにゴーレムが女の子に殴りかかった。
「ラッキー!」
恐らく女の子の攻撃がきっかけでターゲットが移ったのだろう。
女の子はもう片方の手で大剣を握り、強引にゴーレムの動きに合わせて振り落とした。
わずかに力が緩まる一瞬。
アンはその一瞬を逃さない。
アンも同じく力任せに女の子の手を振り払うと、大きな翼を羽ばたかせる。
次なる攻撃に転じようと、アンは尾部を宙へ向けた。
するとまたもや、どこからともなく火球が頭上のアン目がけて飛来する。
中ほどのサイズしかない火球。
しかしその内に秘めた威力は絶大だったのだろう。
爆撃を受けたアンは頭上から真っ逆さまに墜落した。
「アンちゃん逃げるよ!」
三すくみの混戦。
それも場外からの攻撃まで含めれば、万に一つもインに勝ち目などないだろう。
インは女の子にも注意をしつつ、踵を返して走り出す。
まだ何とか走れそうなアンにお礼を告げ、ハサミで攫うような形で運んでもらう。
「おっ、勝手にいなくなってくれた! ラッキーの連続!」
どうやら女の子は、発言通りに見逃してくれるようだ。
ゴーレムも女の子の方に夢中なのか、逃げ去るイン達を見向きもしない。
いったいあれは何だったのか。
疑問は残るがまだ気を抜けない。
何せここは新天地なのだから。
「魔女様こっちこっち!」
小耳に挟んだ情報。
どこかで聞いたことがあるようなと思いながらも、インを挟んだアンは雪崩れるようにワープゲートへ飛び込んだ。
地獄を抜けた先でインが見たものは、見覚えのある本の並んだ景色。
力が抜けて地面に倒れ伏したインに、他プレイヤー達は面白がるように「洗礼を受けてきたな」などと口にしていた。
「……お兄ちゃんから連絡だ」
どうやら夕飯ができたらしい。
今はもう立ち上がる気力すらない。
輝石越しにインはアンへのお礼の言葉を告げると、倒れ伏したままログアウトする。
消えていくイン。
そんな現状が精いっぱいなインは最後まで気づくことが無かった。
墜落直後のアンの瞳が、薄っすらと輝くに赤く濁っていたことを。
* * *
おかゆ状になったご飯を食みながら、インは気だるそうに肩を落とした。
結局、あの女の子は何だったのか。
それについての疑問と、随分と自分は驕っていたんだなぁという思いが、吐き出す息と共に流れて行く。
対照的にうきうき気分で次々と箸を伸ばすのはほむらだ。
両極端な反応を見せる姉妹に、悠斗は目を左右に泳がせていた。
「あっと……、良いことでもあったのか? ほむら」
気まずい空気の中、悠斗はほむらを選んだようだ。
ほむらはそれはもう上機嫌にうんと頷きを返した。
「新たな火魔法に手が届いてね! その名も【地獄の業火】!」
「ほー、良かったじゃないか!」
「ベルクちゃんがね! 【ヘルフゴーレム】を見つけてくれて! それで届いたんだ! 魔法取得は途中から素材が必要になるから大変だったよ!」
ニコニコ笑顔なほむらは嬉しそうに手を叩いた。
インこと杏子はというと、「魔女、ゴーレム」という単語をしきりに口にしていた。
「……杏子は……何か嫌なことでもあったのか?」
悠斗も覚悟を決めたようだ。
意を決した様子でインに話題を振る。
「フィールさんにね。何事も挑戦だって言われてね。【猛炎もうえんの世よ】に行ってみたんだ」
「おねぇも来てたんだ! もしかしたらばったり会えたかもね!」
ほむらは少し残念そうな口調で目を落とし、杏子の背中を擦る。
悠斗はというと興味深そうに頷いた。
「ほむらは割と行くもんな。炎関連だし」
「そうだね! ってそうだそうだ! 実はさ! 今日、炎の森に見たこともないアリの魔物が飛んでいてね!」
これまた聞いてほしそうにほむらは指を上げた。
「あれ新種の魔物かな! 撃墜はしたんだけど、倒し損ねちゃったみたいで!」
「…………」
杏子の箸を動かす手が止まった。
いつもであれば、虫と聞けば真っ先に反応する杏子がだ。
その時点で何となくで察しがついたのだろう。
悠斗は【止まれ!】の意味を込めて手を広げるが時すでに遅い。
「何の素材を落としていたのかな! 頑張ればひとりでも倒せそうだったし、次会ったら絶対倒して見せるよ!」
言い切ってしまった。
それも頑張ればひとりで倒せそうという侮辱まで込めてだ。
広げた手を元に戻し、悠斗は何も知らないとばかりに味噌汁を手に取って啜り始める。
「私ね。今日ね。燃えている森に行ったんだよね」
「奇遇っ! そこが炎の森だよ! 来てたんだ!」
「そこでね。紅い宝石のような体を持ったゴーレムに出会ったんだ」
「それ【ヘルフゴーレム】だよ! 激レアなんだよ! やっぱりおねぇは豪運だね!」
まだ気づいていないほむら。
この時の状況を悠斗は、「ジェットコースターの天辺にいる気分だった」と語っているとかなんとか。
「そしたら大剣を持った女の子がね、乱入してね」
「えっ……」
どうやらほむらもようやく事の重大さに気づいたようだ。
あれだけ勢いよく伸びていた箸が完全に動きを止めていた。
そんなほむらの様子を分かっていながらも、杏子はなお口を開く。
「なんか【面倒だし全部倒しちゃおう】とか言ってきてね」
「……うん、それで」
「それでね。咄嗟に動いてくれたアンちゃんが応戦してくれてね」
「……えっと、あの……おねぇ?」
「上空に移動して何とか反撃に転じれるってなったところで、どこからともなく飛んできた火球がアンちゃんに直撃してね」
杏子は声に感情を乗せず、ただ淡々と事実だけを述べていく。
そうして最後に、「すごい洗礼だったよ、ほむら」と締めくくった。
「あの……おねぇ? もしかして、もしかしてなんだけど、すっっっっっごく怒ってない?」
「怒ってないよ。気力が無いからね」
なおも不穏な空気を漂わせる杏子。
安心するほむら。
だが、杏子がさらに「ただね」と付け加えたことで、ほむらの手から箸が零れ落ちて音を鳴らす。
「新しい目標ができちゃった! もっとアンちゃん達と強くなって、犯人に逆襲を仕掛けようかなって!」
「やっぱり怒ってるよねおねぇ!?」
「虫ちゃんの中には素早くて、耐久性溢れる冒険魂の熱い子がいたよね!」
ひとまずはその子を探してみようかなぁと、一緒に戯れる姿を想像して笑みを溢す杏子。
ほむらはというと、助けを求めるように悠斗へ視線を送る。
杏子の出した特徴はほむらにも分かりやすく伝わったのだろう。
「確か森の枯葉の下に生息しているはず。隙間に入れて、滑空できる忍者のような子だから注意して探さなきゃ! ちょうど新しく仲間枠が増えたことだし」
「はいそこまで。兄としては杏子が嫌われる姿を見たくない」
杏子の様子から、脅しで名を出したのではなく、割と真面目に検討しているのが伝わったのだろう。
もし杏子の言った特徴が当てはまる虫が近くにいればどうなるか。
きっとプレイヤーだけでなく、全女性陣から爪はじきにされること確定だろう。
もう既に遅いが。
「まぁ杏子の実力不足が故の原因なのは確かだが、ほむらのチームも悪いな。ベルクちゃんを注意しないと、多分またやるぞ」
獲物の横取りはプレイヤーの間でご法度ともされている行為だ。
運営から禁止されている項目ではないとはいえ、良い目で見られることはまず無いだろう。
それに、知らなかったとはいえ人の獲物から取った素材で、既に魔法を開発してしまった。
ある意味、ほむらも同罪となるのだろう。
悠斗はこっちでやるからと、今日の当番ではないにも拘らず、片づけを請け負ってくれた。
先に自室へと戻ったほむらと杏子は、互いに頭を下げる。
「ごめんおねぇ。きつく注意する。それとアンちゃんにも謝らせて」
「ううん、こっちもごめんね。それに怒っていたとはいえ、私も虫ちゃんをダシにしちゃった」
互いに見合って笑みを作った二人は、ゲームにログイン後、マーロンの店にて合流を果たす。
頼み込んで一室を貸してもらい、ほむらことファイは言葉通りアンに謝罪をする。
アンも気にするなとばかりに、触角を動かしていた。
「しかしどう注意した物か。狂犬であるベルクを」
悠斗の言う通り、ベルクが再犯をする可能性はかなり高いだろう。
これをどうにかしない限りは、また問題が起きることだろう。
そんな悩みを、ファイは厨二ロールをしながら言う。
「最近入った子なの?」
ひょっこりとマーロンが顔を出す。
それから「ごめんなさいね、会話が聞こえてきてしまって」と両手を合わせた。
「まぁな。気性の激しい性格故、チームを追い出されることが多いらしくてな。腕が立つのは事実だから、わたしがスカウトしたんだ」
結構つい最近のこと。
どうもベルクはハルトに憧れて大剣を握り、その妹であるファイに救われたことで、二人にとても好意を向けているらしい。
けれど、元々の性格がかなりおおざっぱすぎるせいかよく周りと衝突し、時にはプレイヤーキラー染みた行為も多々。
どうにかしないとなと、ファイも思っていたらしい、
「けれど、また追いだすのは忍びなくてな」
ファイの優しさなのだろう。
また追いだすのは可哀そうなのだと。
けどこのままにしておくわけにもいかない。
フムとインは頷くと、妙案を閃いたとばかりに指を鳴らした。
「そうだ! 私がファイのチームに入ってみるのはどうかな!」
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