有馬正邦

第一

 小さな田舎町に移り住んで、早いもので三年が過ぎていた。


 ここは山々と海に挟まれた過疎地とも集落とも呼べるような場所で、海に目を向ければ小さな島もあり、自然の豊かさと静けさが気に入って移り住んできていた。


 いや、三年経ったからこそ、そう思えるようになっていた。


 アニメの中だったか、TVのCMだったか忘れたけど、昔どこかで見た原風景というか、セピア色の情景というか、置いてきぼりにされ、忘れさられ隔離されたかのような世界というか、心の奥底を揺さぶられるような、そんな景色を探していたように思う。


 そしてそれはまるでゆっくりと死んでいくようなものに思えて、みゆきとの人生を諦めた僕にお似合いだと思って探していたように思う。


 それがここに移住を決意させた動機だったのだろう。


 流石にそんなことは言えないし、最初はわからなかったから、田舎暮らしをしたかったのだと表向きは言っているけど。


 実際死んでゆくという表現は間違ってないようで、高齢者が多く空き家も多い。今借りている家も、一人暮らしには不向きなくらい大きいし、一軒一軒は遠く離れていて、夜は怖いくらい静かだ。


 街灯も少なく、虫と獣と草木と風の声がはっきりと輪郭を持っていて、夜に殊更に孤独に響く世界というか。


 僕自身地方の出だったけど、ここでは次元が違っていた。実家は住宅地ではあったし、上京した時はアパートだった。だから両隣の家がない環境など初めてだった。


 しかも隣の家は、二百メートルはゆうに離れているから当然人の声など聞こえないし、唯一灯りくらいしか営みを感じとれない。


 そんな場所だった。


 だから夜は満天の星空に囲まれていて、その美しさは、いつ見ても飽きることはなかった。別にそんなに星など好きでもなかったのに、不思議なくらい引き込まれていた。


 そして月も、燦々と輝いていた。


 燦々と。


 そう思えるくらい輝いて見えていた。


 だからそこに、あの日のみゆきの姿を思い出さない日はなかった。


 ないからこそ、これは罰なのだと思うようになった。


 別に孤独な自分に酔っているわけでもないのに、こんなところを探してしまっていたのは、やはり罰を探してのことだったのかもしれないと思うようになった。


 あれは移り住んで半年が過ぎた頃か。田舎だからか近所付き合いもそこまで上手く出来ず、一人寂しく夜を過ごしていた時に思い至ったことがあった。


 冷静になって考えた時、やはりあれは僕の復讐だったのだろうと思うようになり、自責の念が強く現れては消えていった。


 その度に美しい夜空が、残酷なほど美しい自然が、自分の心根の小ささを浮き彫りにさせてきていた。もちろんそれはやましさを抱えた人間だからこそ、そう感じるのだとは思うけど。


 何をそんな小さなことで。


 いや、決して小さな事ではなかった。


 彼女はどうなったのだろうか。


 いや、そんな事を気にする資格など僕にはない。


 彼女の恋は、愛となって結実したのだろうか。


 いや、お前には関係はない。


 逃げ出したお前には、関係はない。


 そんな風に僕の頭の中をそれらが埋め尽くしては消える。そして最後には彼女の幸せを願ってやまない自分にいつもぶつかる。


 遠く遠い彼女の幸せを願うくらいしか、僕には残ってなかった。


「みゆき…」


 はは。つまりどうしようもない程に君のことが忘れることが出来ないよ。


 月を見上げれば、やっぱりまだ涙は滲んでくるんだ。


 だからこれは、つまり確認なんだろう。


 滲む月がはっきりと見えた時、僕はようやく君との終わりを納得することが出来たと言えるんだろう。


 そんな日が果たして来るのだろうか。



 この集落に一軒だけある保養施設。山の中にポツンとあるその露天風呂で、仕事帰りにそんなことを思って月を見上げていた。


「……」


 そして僕は、露天の湯に映る月を掬っては、情けなさを誤魔化しながら毎日を生きていた。

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