第88話 寿司
その日の夕食は、お寿司が食べたいとルミが言ったので、安全性を考慮して竜宮寺家の傘下にあるホテルの寿司店に行くことになった。
「明日香ちゃん、お寿司で良かったの?」
「はい、私もお寿司大好きです」
楓さんは瑞希奥様に連絡を入れて、ホテルの寿司店で外食する旨を伝えた。それを聞いた奥様もこのお寿司が食べたくなったようで、後からこのお店に来るようだ。
お店に入ると、すかさず店員さんが来て奥にある個室に案内された。
「今日は何だか混んでいますね?」
「はい、外務省の方から予約がありまして、警備の為の人が在中しております。本当は、この奥の部屋をご用意できれば良かったのですが、申し訳ありません」
「いきなり予約を入れた私達が悪いのです。後で瑞季様も来られますのでそのご用意だけはお願いします」
楓さんはそう言ったが、瑞季様まで来ると知って店員の顔色は緊張の限界を超えたような顔をしていた。
「少し狭いですけど、好きなところに座って下さい」
そう言うとルミと明日香ちゃんは俺の両隣に座った。柚子と楓さんは出入り口の近い方に座っている。
そして、梨花さんなのだが、空いてるところが上座と呼ばれる席しかなくて座って良いものかウロウロしていた。
「明日香様、こちらに座ってもらえませんか?」
「嫌です。拓海お兄さまの隣がいいです」
「じゃあ、拓海さんがこちらにお願いします」
「そこだと3人並んで座れない。だからダメ」
今度はルミがそう言い出した。
「楓さま柚子さんのどちらかこちらの席と交換しませんか?」
「私は護衛だ。出入り口の一番近いところではないとダメだ」
楓さんは無言で頷いている。
「今日の功労賞だから、梨花さんが遠慮なく座ってよ。後で瑞希様がくるけど」
「ひえ〜〜〜無理無理無理」
しかし、その席しか空いてないのは事実。楓さんと柚子さんが詰めれば座れるけど、余裕がないと護衛は動けないのだろう。
「みんな身内みたいな者だし席順なんて意識しなくても良いと思うよ」
そう言うと諦めたのか梨花さんはしぶしぶその席に座った。
◇
「C’est bon.(セ ボン)」
ヒビキに連れられて、お寿司屋に入った。
私達が案内された個室は、障子と呼ばれるドアの向こうに小さな庭が見える趣ある部屋だった。
ただ、部屋に入る時靴を脱がなければならないのが面倒だ。
双子のアルマとセルマの靴は編み込みブーツなので苦労していた。
床は畳と呼ばれる草を編んだ物を敷き詰めている。
硬さはあるが絨毯とは違う弾力がある。
それに、草の香りがして懐かしい感じを受けた。
用意された料理がテーブルに運び込まれた。
小さくて底の浅い丸い桶のような物の中に色とりどりのお寿司が並んでいる。
『綺麗ね。繊細な感じがするわ』
『イリス様、もう食べてもいい?』
『聖女様、早く食べたい』
アルマとセルマは待ちきれないようだ。
ヒビキにレクチャーを受けて二人は食べ始めた。
クロエも覚悟を決めたような顔をして紅い魚を醤油という小皿に入れられた調味料に付けて口に入れた。
私も恐る恐る1/3程度、口に含んだ。
その瞬間、不思議なことに赤い身の魚は口の中で溶けて消えた。
残ったのはビネガーの効いたライスだけだ。
「C’est bon.(セ ボン)」
『何これ、美味しい』
残りの2/3も口に入れる。
魚の臭みなどなく、上質なお肉を食べてるような気さえする。
『聖女様、美味しい』
『わーー甘い卵のお寿司、美味い』
アルマとセルマの手は次から次へと別のお寿司を口に運んだ。
『イリス様、これは完敗ですね。生魚がこんなに美味しいなんて知りませんでした』
クロエも箸が止まらないようだ。
みんなが言う通り、本当に美味しい。
これ、癖になりそう……
そんな私達の顔を見てヒビキが笑顔を浮かべて話しかけてきた。
『皆さん、喜んで頂いたようで安心しました。新鮮なお魚を使用していますので、安心してお食べ下さい』
『これはヒビキに一本取られた。また、日本の美味しい料理があったら紹介してほしい』
クロエの言葉は敗北宣言だ。
だけど、その言葉に嫌味などなく、心からそう思っているのを感じる。
『日本人は器用なのかしら?』
『そうですね。全ての人が器用ではありませんよ。それは他の国でも同じだと思います。ただ、日本人は全体的に清潔を好みます。ですので、料理人も衛生には気を使ってます。逆に言えばそうしないと売れませんし、工夫を凝らさないとすぐ飽きられてしまいます』
『これは工夫を凝らした結果なのですね』
日本人は、侮れないわー。
『聖女様もっと食べたい』
『イリスさま、私も』
アルマとセルマはもう食べ終わったようだ。
『ヒビキ、あの子達のおかわり頼めるかしら』
『はい、同じものにしますか?それとも別メニューにしますか?』
『『同じでいい』』
双子だけあって息がピッタリだ。
『それでは、注文してきますね』
ヒビキは、そう言って部屋を出た。
………
『先程、連絡がありまして奥様が来られたようです。迎えに行って参ります。柚子、少しの間、頼みましたよ』
柚子は、楓さんに頼りにされたのが嬉しかったのか満面な笑みを浮かべて返事をした。
楓さんが部屋を出ると、直ぐに話し声が聞こえた。誰か知り合いと話しているようだ。
「楓さん、誰かと話してるみたいだから俺が瑞季さんを迎えに行ってくるよ」
「それなら私が行きます」
俺より先に立ち上がって梨花さんが部屋を出て行った。
気が利く人なのは知っているが、お寿司を食べてる時も落ち着きが無かったのでまだ席のことを気にしていたようだ。
「拓海お兄さま、明日は楽しみですね」
明日から伊豆の別荘に行く予定だ。
「そうだね。伊豆は行ったことがないからどんなところなんだろうって思っているよ」
「私も小さい時に連れてってもらったので覚えてないですけど、とても綺麗なところだって梨花さんが言ってました」
「そうなんだ。柚子も行ったことがあるの?」
「私はないぞ。夏はいつも道場のみんなと合宿に行ってたな。近藤家の別荘というか合宿所も伊豆にあるんだ」
「あ、それ修造お爺さんから聞いたことがあります。合宿所の女湯は覗けないようになっているからつまらないと言ってました」
あの爺さん、明日香ちゃんに何言ってんだ!
「ふふ、そうなのだ。あそこはお爺ちゃんでも覗きはできない造りになっている。だから、安心して入れるのだ」
柚子も修造さんの行動に苦労してきたようだ。
そんな会話をしていると楓さんが入って来た。
「すみません、少し長話をしてしまいました」
「知り合いだったの?」
「はい、大学時代の知り合いです。彼女は外務省に勤務していて今外国から来た要人の案内役をしてるそうです」
楓さんの大学時代ってどんな感じだったのだろうか?
そんな事を考えているとトイレに行きたくなってきた。
みんなにその事を告げて俺はトイレに向かうのだった。
…………
(おトイレに行きたい……)
最初は緊張しててジュースばかり飲んでたのでこれは仕方ない事だ。
『クロエ、少しトイレに行ってきますね』
『はい、場所はわかりますか?』
『ええ、お店に入った時にヒビキに言われたから覚えてるわ』
スリッパを履いて部屋を出る。
目的のトイレは直ぐに見つかった。
トイレは男女別に分かれている。
青色と赤色の暖簾が掛かっており、その絵柄に男女の絵が描かれている。
『ふつう、赤色の方が女性よね?絵柄もそうだし……でも、違ったらどうしよう』
少し迷っていると青色の暖簾のドアから若い男性が出てきた。
(間違いないようね)
そこで赤色の暖簾があるドアを開けようと歩き出したら、スリッパが少し大きかったせいもあってよろけてしまった。
「大丈夫ですか?」
すれ違いざまにさっきの男性に寄りかかってしまったようだ。
『あ、ごめんなさい』
『フランスから来られたのですか?』
その男性は流暢なフランス語で話しかけてきた。
『はい』
そう答えるとその若い男性は『日本を楽しんで下さい』と返事をもらいその場を去って行った。
とても綺麗な発音ね。
そう思いながら私はトイレに向かったのだった。
…………
楓さんの知り合いの要人ってあの子かな?
そんな事を思いながら俺は元の部屋に戻ったのだった。
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