第86話 買い物


翌日の午前中、渚達が髪の毛を切った美容院に行き長かった髪を切ってもらった。


店長と言われる番場番子さんを見て驚いたが、話してみるととても気さくで優しい人だとわかった。


今は、夜のお店の方が忙しいらしい。

番子さんと同じような心が女性の人達の居場所を持つことが当初の目的だったようだ。


明日香ちゃんは、久しぶりに会った番子さんや小豆さんと仲良くお話していた。


腰まで伸びていた長い髪をバッサリ切り、ミディアムレイヤーカットという素人の俺には聞き慣れない髪型だった。


出来上がりは言うまでもなく幼かった顔立ちが大人っぽく見えた感じがした。


正直にそう伝えると飛び上がって跳ねていたが、そういうところは年齢相応だ。


明日香ちゃんの付き人のメイドさんで一緒に釣りに行った沢渡梨花さんもカットしてもらったようだ。


そしてルミも長かった髪の毛をバッサリ切った。

肩にかかるくらいの長さだ。

ルミは『涼しくなった』と喜んでいた。


その後、昼食は予約を入れてくれた老舗の鰻屋さんで鰻重を食べた。

そして今は明日香ちゃんの買い物に付き合う形でデパートに来ている。


「あの、俺が知ってる買い物と違うんだけど」


あっちこっちのお店をぶらぶら見ながら欲しいものがあったら買うというのが一般的なスタイルだ。


だけど、優雅に豪華なソファーに座ってお茶を頂きながら、カタログを差し出して接客するデパートの人がいろいろな物を明日香ちゃんに勧めていた。


小声で柚子にそう話したら、


「VIP専用の外商スタッフだ。お金持ちの家なら大抵あんな感じだぞ」


「商品は直ぐに手に入るの?」


「物によっては数週間待つ必要があるが明日香様にそれをしたら、このデパートは潰れるかもしれない。竜宮寺家の機嫌を損ねたとしてな。だから、予め購入しそうな物を全て取り揃えてある」


「もし、なかった場合はどうなるの?」


「その担当者は降格か退社させられるだろうな」


なんてシビアな世界なんだ。


「拓海お兄さま、一緒に選んで下さい」


明日香ちゃんに言われて隣に座る。

外商部の男性と女性は俺をちらっと見てニコリと笑った。


カタログに載っているのは水着写真だ。

伊豆別荘に行くのに買いたいらしい。


「明日香ちゃんはどれでも似合うと思うけど、このセパレートタイプはどうかな?」


すると、外商の女性社員が口を挟んできた。


「この色合いですと、明日香様の髪の色と合わない気がします」


その女性社員は目をパチクリして俺に合図を送っているような感じだ。

もしかして、この商品はここにはないのか……

という事は俺がこれを勧めたらこの女性は、クビになるの?


「そ、そうだな。さすが専門家の人の意見は違うな。じゃあ、こっちなんかどう?ワンピースで花柄がとても綺麗だよ」


「あ、それは花の絵柄が少し強調しすぎてるかと。せっかくの明日香様の水着です。本人の魅力を引き出すような感じがお勧めです」


これもないのかよ。

カタログに載せるなよ!


「じゃあ、本業の方から見てどれがお勧めなんだろう?」


「これなんかどうでしょう?シンプルですが明日香様の魅力が引き出されますよ」


それってスクール水着なんじゃないかな?

確かに似合うだろうけど、それで良いのか?


「それは学校の水着みたいで嫌です。もっと大人っぽいのが欲しいです」


すると社員さんは汗を拭きながら「失礼しましたあ」と、大きな声をあげた。


何だろう、ただの買い物なのに妙な緊張感が漂っている。


俺は水着の写真を指差しながら担当者の顔をみる。

首振ってるし、これもダメなのか。

じゃあ、こっちは今度はにこやかな顔を俺に向けている。


「明日香ちゃん、ビキニって大丈夫?」


「拓海お兄さまが選んだのなら頑張ってみます」


可愛らしいビキニだけど、下の水着は紐で縛るみたいだ。

こんなの選んだら将道様に怒られそうだ。


下だけどうにかならないか?


隣にページではダメージ加工のショートパンツを履いている少女の写真があった。水着の上にこのショートパンツを履いたらいけるか?


「そうだね。色も白だし明日香ちゃんに似合うと思う。それで、これも組み合わせてみない?ラフな感じだけ清楚な明日香ちゃんとのギャップが良い感じで合わさって大人っぽい魅力を引き出せると思うよ」


社員さんも大きく首を縦に振っている。


「拓海お兄さまが言うなら着てみたいです」


「わかりました。直ぐに商品をお持ちします!」


女性社員はその場を早足で移動して隣の部屋に移った。

どうやら、そこに商品があるらしい。


男性社員の方は終始笑顔で控えている。

こういう状況に慣れているようだ。


「明日香様、準備できました。こちらにおいで下さい」


女性従業員がそういうと明日香ちゃんと付き人の梨花さんが一緒に隣の部屋に入って行った。


しばらくして、女性社員の方が俺を呼びに来た。

その後をついて行くと、水着姿の明日香ちゃんが恥ずかしそうに立っていた。


「どうでしょうか……」


「美容院に先に行って正解だね。今の髪型にとても良く似合っていてすごく可愛らしい。そして小悪魔っぽい大人って感じでよく似合ってるよ」


「そうですかあ〜〜じゃあ、これにします!」


嬉しそうに喜ぶ明日香ちゃん。

その背後でメイドの梨花さんと女性社員の人が一緒にグットサインをしている。


これで良かったみたいだ。

昨日、柚子が買い物の時間を調整するという意味がやっとわかった。

何故か緊張する買い物だった。





「なあ柚子。もっと気楽に明日香ちゃんを買い物に連れて行ったらダメなのか?」


「安全を考慮した結果だとしか私には言えない。ただ、普通に買い物をするにはそれなりの警備が必要だ。それだけ竜宮寺家というのは凄い名家なのだ」


そうか、知らなかった。

明日香ちゃんは息苦しくないのだろうか?


「柚子と恭司さんだけの護衛だとまずい感じ?」


「私たちだけでは接敵してくる敵にはそれなりに戦えるだろうし守れると思う。だが、狙撃など遠距離で攻撃できる武器を使われたら守り切れる自信はない」


柚子は護衛であっても未成年だし、拳銃の所持とかは認められていない。

それは恭司さんも一緒だ。


「今まで狙われたことなんてあったのか?」


「明日香様は小さき時からご病気だったのでそういう経験はない。だが、長女の琴香様は誘拐されそうになったことも一度や二度とでは収まらない。イギリス留学中にも腕利きの護衛が側に付いている。まあ、私の両親達なのだがな」


そう言えば柚子の両親の話は聞いたことがなかった。


「そうか、琴香さんの護衛に柚子の両親がついているのか。なら、安心だな」


「そうでもないぞ。何度か危険な目に遭ったらしい。金持ちの娘を誘拐して大金をせしめようと考えている奴は世界中にいるからな」


「そうか、無事で何よりだよ。学校とかはどうなんだ?」


「ああ、たくみは聞いてないのか?恭司の妹が同学年でいつも一緒に行動してるぞ」


「え、恭司さんに妹がいるのか?知らなかった」


「名前は近藤秋穂。悔しいが腕は私より上だし気配を消すのが上手い奴だ」


修造爺さんに鍛えられたのか?

それにしても霧坂家も近藤家も凄いな。

今度恭司さんに会ったら優しくしてやろう。


「この後はどうしよう?まだ、時間があるし」


「映画でも観たらどうだ?明日香様は楽しみにしてたからな」


「じゃあ、誘ってみるよ」


ルミと梨花さんも水着を買ったようで一緒になってその話をしている明日香ちゃんに近づき今度は映画に誘ったのだった。





「日本は蒸し暑い国ですね」


私の連れであるクロエの第一声はそんな言葉だった。

しかし、私は違う。

空港に着いた時の雰囲気でこの国は良い国だと直感したのだ。


「クロエ、日本はとても綺麗な国です。見ましたか、あの空港。トイレも汚れひとつついてないのです。それに、職員の気遣いもとても素晴らしいです。知ってましたか、アタッシュケースが私の手元に届くまで、衝撃を与えないように丁寧に扱ってくれました。それも、私だけでなく全ての乗客の物もです」


その光景を目にした私は興奮してしまい、そんな小さな気遣いが私に大きな幸せを運んでくれた。


「意外でしたね。もっと野蛮な国かと思ってましたが」


「でも、食事だけは不安です。生は前のお母さんが食べたらダメって言ってましたから」


「聖女様、そういう時は違うメニューを選べば済む話では?あ、車が来ましたよ」


空港のロビーを出て迎えに来てくれたこの国の政府関係者の手によって配備された車に乗り込む。

私達の担当だと言った外交官のヒビキ シラヌイさんはフランス留学の経験もあるので言葉の心配をする必要はなさそうだ。


『まずホテルに直行します。ホテルで時差の調整をなさってゆっくりお休みください』


『ありがとう、ヒビキ』


今回の訪問でついてきたのはクロエだけではない。他にも5人程教会が腕の立つ人達を派遣してくれた。


車に乗っているのはクロエと私。そして双子の護衛のアルマとセルマだ。

後ろの車には他の3人が乗っている。


「聖女様、私ハンバーガー食べたい」

「イリス様、私アイスクリーム食べたい」


この二人は、小柄ながらも食欲旺盛だ。

空港で隠れてクレープを買って食べていたのを私は知っている。


「ホテルに着いてからね」


「アルマもセルマも空港で食べてたでしょう。少しぐらい我慢しなさい」


クロエも見てたようで二人にそう話した。


「バレてた」「美味しかった」


この二人は生物でも食べれそうだ。


『夕食は何がよろしいですか?私としてはお寿司とかお勧めですけど』


ヒビキが余計なことを言っている。

寿司って生魚がライスボールの上に乗せてある奇妙な食べ物よね。

絶対、無理!


『私寿司食べたい』『本場の寿司、美味しそう』


『それって生魚ですよね?聖女様は生魚を嫌っています』


『イリス様、欧米人の方でそう言う方はたくさんいます。でも、皆さん一口食べて世界観が変わるって言っています。お嫌いならお勧めできませんが食わず嫌いなら一口でもよろしいので食べてみて下さい。それに他のメニューもありますから食べれなかったらそちらをご賞味下さい』


ヒビキは、やたらと寿司を勧めてくる。

クロエはどう思っているのだろうか?


『クロエはどう思う?』


『そうですね。食わず嫌いと言われてしまっては誇り高きフランス人の名折れです。ここは一口食べて無理そうなら他のメニューにしましょう』


クロエはヒビキの強引な勧誘が気に入らないようだ。

それなら、私もクロエに賛同しよう。


『では、それでお願いします。できればお肉もあると嬉しいのですが』


『わかりました。手配しておきます』


食べれなかった時の為に肉料理を事前に注文しておけば困ることにはならないわ。


その時の私はそう思っていた。





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