橘 凜華は現代文化に苦悩する

前田 紗羅

第1話 「消費社会」

 11月の冷え込みが激しくなった日の夜、私は自宅の庭に出て焚火を始めた。火をじっと眺めて心が落ち着くのと同時に日々の心の疲れみたいなものがスーッと解消されていくのが分かる。自宅が東京でも少し都会から外れているというのもあるのかも知れないけど。


 最初は動画サイトでただただ眺めていただけだった。だけれど自分でもやりたくなって少ししか燃やすものもないのにドラム缶タイプの焼却炉を買った。


 火は心も体も癒してくれる、定期的に庭に出ては燃やしている。今ではこの作業をしないと一週間が始まった気がしない。ごくまれに燃やせない週があったり、数日前倒しになる日もあったりする。でも、そうなるとその週はどうにも調子が上がらなくなる。


 時間にしてわずか数分、この作業を終えると私は家に入って夕食の支度をする。キッチンで玉ねぎとニンジンを細かく刻んでいると、妹が帰ってきた。


「ただいまー」


 どうやら今日は少し撮影が延びたようでいつもより帰りが遅くなったみたいだ。


「おかえり」


 妹は帰宅してすぐに私のいるリビングまでやってきた


「はぁ、疲れたー」


 妹はそういうと目の前のソファに寝転がる。いつもはこんなに遅くなることはないがきっと仕事先で何かあったのだろう。


「いやー、今日はほんと大変だった。宣伝元の社長はうるさくてさ」

「へぇ、何かあったの」

「それがさ、今日は撮影だったんだけどさあの社長がね監督と揉めて『うちのブランドイメージが下がるからやめてくれ』って。監督も監督で『これが今の流行りなんだから口出ししないでくれの一点張り』だし、しまいにはあいつ…」

「どっち?」

「社長だよ社長、あいつ私の衣装に対しても文句言ってきてさ。これが今の流行りだっていうのに卑猥だとか言うの。まぁ、結局スポンサーだからこっちが折れる形になっちゃたけど。ほんと頑固な奴。これじゃあCMつまんなくなるっていうのに」

「へぇー、大変だね」


 正直、妹の話には乗れない。それは話を聞く限りではむしろその社長の方が正しいと思うから。妹は流行に敏感だけれどそれだけで特に何か考えがある訳ではない。ただ流行りだから乗るそれだけ。


「姉ちゃんはどうだったの今日の学校」

「えっ、まぁ誰も聞いてくれないって感じかな」

「なんだっけ、文化なんとかとあと…」

「社会構造理論、それと文化構造理論」

「そう、それそれ。にしてもそんなに人気ないんだ」

「いや人気っていうかそもそも必修だから生徒はみんな受けるんだけどさ、私の講義を真剣に聞いてる人なんてほんのわずかだよ」

「それはそうでしょ、わざわざ芸術やエンタメを勉強しに上京までしてきて難しいことなんて誰も聞く耳なんて持たないよ、そんなことより作らせろってなるに決まってる」


 妹のこの発言に少しイラついた。なんだか自分の存在意義を否定されたかのようで腹が立った。妹も察したのか家の空気がちょっとだけピリつく。

それから少し経って妹は体を起こしソファに座りながらテーブルを物色し始めた。すると妹は何かを見つけたようで・・・


「あっ、これ今週の『ホップ』でしょ。姉ちゃん読んでいい?」

「えっ、あぁいいけど、ごめん美咲の読みたいの多分ないよ」

「えぇ、また?私が見てからにしてって何度も言ったじゃん」

「だって、許せないんだもんその漫画。おまけに気持ち悪いし」

「だとしても異常だよ、そこだけ切り取って燃やすなんて」

「仕方ないでしょ、こうでもしないと気が晴れないんだから。これは私に必要な浄化作業、私の好きなものを汚されているようで嫌なの」


 確かに傍から見れば私はおかしいのかも知れない。買ってきた雑誌はいずれまとめて資源ごみとして出すにもかかわらず、自らの手で嫌いな漫画やそれが写ってるページを切り取り燃やすのはどう見られても異常行動だ。

でもそれ以上に私にとっては与えられた不快感が耐えられない。頭の中や背中に虫が湧いて這いずり回るようなあの感覚にはどう頑張っても堪えきれない。もし仮に、私がなんでもできるのなら、作者らとその作品が存在していたという事実そのすべてを消し去りたいくらい。


 妹が寄ってくる、少し怒り気味でキッチン御向こう側に立っていた。私も手が止まりお互いがじっと見つめ合う


「じゃあ買わなきゃいいじゃん、だれが何作ろうが勝手でしょ、楽しんでるやつもほっといてくれればいいのに、少なくとも私は見たかったんだから少しは待ってよ。それに姉ちゃんが好きじゃない漫画なんてこの雑誌以外にもいっぱいあるのにどうして『ホップ』だけはこんなことするの」


 確かに、妹の言う通りだ。買わなきゃいいし誰が何を作ろうが構わない。でも


「好きだから」

「こんなことしといて?」

「確かに侮辱行為かも知れないでも、美咲だって何であんな作品好きなの」

「おもしろいから」

「あんなのが?ただ刺激が強いだけじゃない」

「それだけじゃないよ!ちゃんとストーリーだってしっかりあるし」


 今思えばこの時に止めておくべきだったのかもしれない。でも止められなかった。自分の内側にあるため込んでいた感情が爆発してしまった。


「どこが?それっぽいチープな伏線にオマージュって言えば何でもいいみたいなのが、それによく読むと矛盾だらけでしかないのに?世界観も適当だしストーリーだってどっかで見たことあるやつばっかだし、なんてったってキャラクターがしっかりしてないじゃない、人物像をまるで想像もしないで作者の都合や私利私欲の道具みたいに扱われてるのがそんなにいいの?キャラクターを残酷な目に合わせて何が楽しいの?かわいそうなのがかわいい?これじゃまるで子供が小動物いじめて楽しんでるのと変わらないでしょ」


「いや、中にはしっかりとしたテーマ掲げてたりするし作者の思いが込められてたりするよ、確かに私利私欲な部分はあるかもだけど」


「逆にそういう作品はあるところを見落としてるの。例えばいじめや虐待がテーマだったりする。でもそれは肝心な見てほしい層には届かない。それこそ見る人を選ぶ作品に仕上がる。結局は漫画好きか、同じ境遇の人の欲求の解消に使われるだけ」


「いいでしょ、結局は娯楽なんだから、なんかわかんないけど面白ければそれでいいじゃない。姉ちゃんみたいな考えを持って読む奴なんているわけないじゃん」


「そうそれ、ただの娯楽になってるってこと。しかも売り手側もメディアに金払って面白そうに見せる。これもすべてただの娯楽になったから、お金が稼げるアイテムになったから。でもそれが一番の問題なの。」


 少し冷静になった、それまでの思いが一旦引いた。一度深呼吸をし数秒、心臓の鼓動が収まるまで待ってから語り直した。


「美咲、あなた先週買った服はどうしたの?」

「ど、どこいったかな~」

「先月まであんなに聞いてた曲は今も聞いてるの?」

「なんだっけ」

「この前まとめて買った本や漫画は?」

「売った、だってもう見ないもん」

「映画は?」

「好きな俳優が写ってるとこ以外は早送り」

「ゲームは?」

「やったことないよ、あっでも彼氏はちょっとやったらすぐ新しいのやってるみたい」


 ここまでですでにこれが現実かと思うと悲しくなる、まるでガムみたいな扱いだ、味がしなくなればすぐに捨てる。


「家に帰ると何してる?」

「部屋で録画したテレビ流して、音楽かけて、携帯いじったり、パソコンで動画サイト開いてる。あと、本や漫画も時々読むかなー」

「どうやって?そんなに時間ないでしょ」

「同時にやってるに決まってるじゃん」

「倍速は?」

「かける」

「どうやってその量のエンタメを手にするの?」

「音楽は動画サイト、わざわざ買わなくていいし。携帯は無料のアプリしか使わないかな。本も漫画も正直ネタバレで十分だからよほどのことがない限り買わないかな」


 クリエイター1人の単価は安くなってしまったとこの時はっきりと感じた。これはみんなが便利と信じてやまないインターネットがもたらした悪夢。世界をより早くより過激にさせている。


 誰もがコンテンツを作れる。それは一見良いことのように見えるが当然、供給量が増えればそのコンテンツ全体の価値を大きく下げる。時代はネームバリューのあるところがいかに人を集め、いかに多くのものを作れるのかという競争になった。


 人の注目をどのように集めクリエイターを囲い類似品を大量生産できるようになったはいいものの、エンタメは質より量へと変わってしまったのだ。有名人の死でさえ数日で”そんなこともあったな”になる。大量消費社会はついにエンタメへと手を伸ばした。


 そうやって生み出されたものに私は価値を感じない。


 考えれば世間は時代の流れとともに娯楽にあふれる世界になったのだと痛感する。さらに情報過多によって一つの情報に割けれる時間が少なくなり浅いところでしか物事を判断しなくもなった。考えることすら誰かに預けるようにもなった。


「ねぇ、もういい?」


 物思いに耽っていた私に妹が唐突に話しかけてきた。


「いや…まだ」


 私の話を遮るように妹は


「もう無理疲れちゃった、部屋に行く。そんなんだから姉ちゃんは彼氏もいなければ好きな人もいないんだよ」

「いや好きな人くらい…」

「それってあの斎藤?」

「イヤ、絶対ない」

「冗談だよ冗談。じゃ、もう行くから。あと夕飯いらない」

「あぁ、ちょっと」


 妹はそういうと二階の自分の部屋に行ってしまった。私も変に見え張って好きな人いるとかいうんじゃなかった。でも最後のやり取りは妹なりの優しさだったんだと思う。


「はぁ」


 私も少し疲れてしまった。料理は途中だがソファで少し横になることにした。すると今までの言葉やそれに伴う過去がもう一度思い返された。よく考えればこれは不毛な言い争いだった。結局はここで私がいくら叫ぼうと誰の耳にも届かない。大学や専門学校での講義で似たような話をいくらしても聞く耳を持つ奴なんていない。みんな興味があるのは技術の向上といかにして売れるかとかだ。どうしたら絵に個性と美しさを持つのかやどうすれば新しいMVになるかとかでみんな中身はどうだっていいみたい。外面さえよければそれでいいって。


 私みたいな考えはもう時代遅れなのかもしれない。



 ふとそう思った時、またあの嫌な感覚が体を襲った。しかも今度はより強力に足先から順に踵、ふくらはぎ、ふともも、と徐々に虫が這いずり回る感覚が昇ってくる。


「ハァ…ハァ…」


 心臓が痒くなってきた。動機も激しくなって来ているのがわかる。あの感覚がお腹のあたりまで来た時に私はいてもたってもいられなくなり、自分の部屋に駆け込んだ。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


 呼吸の間隔が短くなっていく、私は急いで本棚にある本や漫画をゴミ袋にまとめ、それをもって庭まで運んだ。


「ハァハァハァハァ」


 もうすでに首元まで昇ってきている。

急いで焚火台に本を移し火をつけた。


「ハァ…ッン、ハァ、ハァ」


「大丈夫?」


 妹が慌ただしくした私を感知してこっちまで来てくれた。


「燃やしちゃうんだ、全部」


 今まで燃やしていたのは気休めでしかなかった。根本から解決する手段ではなかった。すべてを燃やさなければ解消されなかった。私は毎週嫌いな漫画を燃やしていたけれど、あの少量を燃やすことはただ自分の感情を抑圧していただけにすぎなかった。本当は作者たちの人間関係とかその中でも私が好きだった作者が大嫌いな漫画を良い評価してたりとか。今まではなんとも思ってはなかったのに急に気持ち悪さが増してきた。特に昔まだ私が編集者だった時の思い出といまの世の中ではやっているものの気持ち悪さががかき混ぜられ、自分の中の良かった記憶までもが汚されているのを感じたくはなかったからかもしれない。


 少しずつ落ち着きを取り戻した。すると妹がリビングのテーブルから『ホップ』を持ってきてくれた。


「これもでしょ」


 私はその雑誌を手に取り火の中に入れる


「ありがとう美咲、心配してくれて」

「いいよ、じゃ部屋に戻るから姉ちゃんはどうするの」

「もう少し落ち着くまでここにいる」

「わかった」


 それから私は結局、燃え尽きるまでの間そこにいた。私は今まで関わってきたものに決別した。焼却炉の中は灰でいっぱいになった。それらをここに来るまでに持ってきたゴミ袋の中に入れゴミ収集所へもっていく。


「バイバイ『ホップ』大好きだったよ」


 私はごみ収集所の灰でいっぱいになったゴミ袋を前にして言った。

でも、まだ完全にはわだかまりが解けたわけではない。


 それでも


 私はこの一件を境に自分が大人になったのだと気づいた。

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