フィナーレ-終曲-
月が出ている。中天にまで上り詰め限り無く真円に近づいた金色の月だ。
月下にあるのは、紅い炎とそれに照らされまた自らの流す血によって紅く色付いた屍達。
それを観客として対峙するのは二つの影。
深紅のドレスを纏ったエレオノールと帝国騎士団の証である白夜烏の紋章が刻まれた鎧の騎士だ。二人の間には奇妙な静寂が漂う。何故か互いに手を出しかねている、そんな風にも見える。
「まさか、これほどとは思わなかった。腕の達つ者ばかりを選んだつもりだったんだが……」
沈黙を破ったのは、悔恨に満ちた呟きだ。まだ若く、しかし落ち着きのある深い響きをしている。部下であった屍を見下ろし、首を垂れる。それはエレオノールにとってまたとない機会であったはずだが、エレオノールは動かない。
「すまない。俺の油断だ。だが、ケリはつける」
強く言い、顔を上げる。腰を落とし重心を下げ、広刃剣の切っ先を前に、刀身は視線の高さに水平に構える。もはや迷いはなく、あるのは引き絞られ放たれるのを待つばかりの決意のみ。
「帝国騎士団第三隊副長クロード・シェリング。参る!!」
一陣の風と化して一息で距離を詰める。エレオノールの首下を狙い突き立てる。
「!!」
辛うじてエレオノールは長剣の鎬で受ける。勢いを殺しきれず体が浮く。そこからの判断は一瞬。浮いた体を強引に曲げ、クロードの体を鎧の上から蹴りつける。エレオノールの体が宙を舞い、一度距離を取る。長剣を構え直し、駆ける。下から掬い上げるように刃を走らせる。駆けた勢いと遠心力全てを利用して胴を薙ぐ。それをクロードは広刃剣を下に構え、難なく受け止める。どころか、受け止めた長剣に添わせて広刃剣を切り上げる。エレオノールは踏み込んだ体勢のまま動けず、長剣を振り戻す余裕もない。
エレオノールは躊躇なく火花を散らし迫って来る広刃剣に左拳を叩き付けた。硬いものが砕ける音が響く。代わりに広刃剣の軌道は曲げられ、僅かにエレオノールの右肩を掠めるにとどまる。エレオノールは今迄以上に体をしならせ、腕を振り、長剣を打ち付ける。あまりの速度に切っ先がとけ、風鳴りだけが存在の証となった。間に合わないと判断したクロードが篭手で受け止める。帝国騎士団にのみ与えられる装備に仕込まれた断絶級の防御結界が展開し長剣を押し留めるが、それでも徐々に防御結界が侵食される。危険を感じたクロードが、力任せに長剣を振り払う。眩い光が弾け飛ぶ。
光が薄れると、弾き飛ばされた二人が立ち上がろうとしていた。互いに満身創痍だ。クロードの右腕は篭手が爆ぜ、鎧の胴にもその破片が食い込み、血が滴っている。広刃剣を支えに漸く立ち上がるといった有り様だ。
エレオノールはエレオノールで左腕は手首までぐちゃぐちゃに砕け辛うじてぶら下がっているという状況だ。刃が掠めた右肩から先も上手く動かす事が出来ない。もとより陶器で出来た体の為痛みはないが、人になった時どうなるのだろうと疑問が過ぎる。
それでも、二人は剣を構え、刃を交える。
ただ力任せに勢い任せに剣を打ち合わす。その様は、技も戦術も技術も何もなく、当然優雅さなど欠片も存在しない。なのに、その光景は見る者全てが口をそろえてこう言うに違いなかった。
まるで
打ち合う度に火花が散る。体が軋みを上げている。どうしてまだ体が動くのか自分でもよく分からない。ただ、クロードと剣を交えるのが何処か楽しいと感じている自分がいる。けれどそれももうすぐ終るだろう。お互いに限界が近いのがわかる。きっと次で最後だ。
今一度、剣を持つ手に力を込める。深紅の刀身に残る小さな純白の染みが目に入る。振り切るように体ごとクロードに突っ込んだ。
クロードもまた同じように考えたのだろうか。広刃剣を前に一条の矢となって駆けてくる。互いに捨て身。なら、それも良いのかもしれないと、諦めに似た考えがエレオノールに浮かんだのはほんの一瞬だ。
なぜなら、直前まで迷いのなかったクロードの広刃剣の切っ先が揺れ、違わずエレオノールの胸を貫くはずだったそれが切裂いたのはドレスのみだったから。対してエレオノールの長剣はさしたる抵抗もなくクロードの鎧を貫き、鍔元まで突き刺さる。
「どうして?」
互いの髪が触れ合うほどの距離でのエレオノールの問いにクロードが答えた。
「昔、小さな頃に話し相手にしていた人形に似ていたからですよ。気のせいだと言い聞かせていたのですがね。はは、最後の最後で迷いが出たようだ……」
「そう……」
「止めたいと思ったんですよ。あの人と同じ顔をした殺人姫を」
コフッと血塊がクロードの口から吐き出される。血がエレオノールの顔を汚す。酷く白く薄くなったクロードの顔にエレオノールがぎこちなく触れた。
「心配する必要はないわ。もうこんな事はないから。安心して、クロード」
血に汚れて、しかしエレオノールの表情は優しく穏やか。
「……お姉ちゃん?……」
それっきりクロードは動かなくなった。ズルリと抜け殻となった体が後ろに倒れ長剣が血の糸を引きながら抜ける。静寂が訪れた。
暫し呆然と佇んだままのエレオノールはいつしか自分が涙を流していた。指で触れる。温かい。そして同時に、左手が酷く痛む事に気付く。砕けた左手から血が溢れていた。陶器で出来た体が痛みを感じ、血を流す。あり得るはずがない。あるとすればただ一つ。
長剣に目をやる。刀身が本当に深紅になっていた。どうしても染まらなかった純白の染みが消えていた。その意味は……。
声が洩れた。意味のない声だ。笑いとも悲しみとも、戸惑いとも怒りともつかないそんな取り止めのない声だ。その声を噛み殺し、エレオノールは長剣の刃を掴む。
掌に血が滲む。構わず刃を下に、己の胸へ。
突き立てる。
深紅の刃はエレオノールの心の蔵を刺し貫き、鼓動を停止させた。
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