エチュード-練習曲-

 風が緩やかに吹いている。

 戦場に吹く様々な匂いと音に満ちた風だ。そして、全てを照らし見下ろすのは天に浮かぶ細い月だ。

 長く伸びる影を前にしてエレオノールは戦場に立つ。背後に扉などは存在していなかった。後戻りはきかない。だが、もとよりそんなつもりはなく望むのはただ一つ。

 だから、長剣を握る手に力がこもる。

 不意に背後に気配が現れる。体が、というよりも寧ろ長剣が反応し体があとから引っ張られる。目前に迫っていた戦斧の一撃を受け止める瞬間、長剣が不可視の結界を広げ衝撃を和らげる。いやな均衡が生まれ、エレオノールと戦斧の持ち主の視線が絡み合う。血と土埃に塗れ、目は血走り、息は荒い。よく見れば戦斧も血とも錆ともつかない赤黒いものがこびりつき刃もボロボロに欠けていた。

 エレオノールの姿は、真っ白いドレスに純白の長剣。比べるまでもなく、あまりに対照的。

 獣じみた咆哮を戦斧の男が上げる。長剣にかかる力が増した。刃同士が擦れ合い不協和音を奏でる。また、長剣が勝手に動いた。戦斧からの力をそのまま後ろに逃がすように引く。合わせてエレオノールの体も二歩戦斧の男から離れるように動く。力の支点を失い戦斧の男が前に向かって数歩たたらを踏む。その後のエレオノールの動きは円。左足を軸にして引いた勢いのまま回転する。遠心力に任せて長剣を振り回す。視界が回り戦斧の男の背が見えた時、右足を踏み込み回転を薙ぎへと変化させる。抵抗なく首が飛んだ。吹き出した鮮血がエレオノールのドレスを汚す。けれどエレオノールは気にする事なく、刀身を見つめていた。流れたばかりの温かい血が伝う刀身は刃こぼれ一つなく、脂が纏わりついた気配もない。ただ、僅かに、ほんの僅かに紅く色付いたように見えた。

 エレオノールの体が震えた。それは、歓び。望みが叶う、それを実感した為の震え。ゆっくりとぎこちなく、けどしっかりと長剣を構える。異常を感じた兵士達が集り始めていた。

 それは、エレオノールの水晶の瞳には、獲物と映る。だからエレオノールは躊躇なく、走り出す。


 戦い方、いや人の殺し方は長剣が教えてくれた。実践する相手にも事欠かなかった。それがシェリング領内で起きていた内紛で雇われていた傭兵や、剣奴達だったのだとエレオノールが知るのはずっと後の事だ。その当時のエレオノールが為し得たのはただ人を斬り、鮮血に塗れながら長剣を紅く染める事だけだったのだから。

 やがて、内紛はエレオノールによる領主側叛乱側を問わない無差別な兵士の殺戮もあり、半ば有耶無耶の内に終結を迎えた。それでもなおエレオノールは戦場であった場所をさ迷い続けた。何故か、村や町を襲うという考えは浮かばなかった。だから彼女が斬る相手はいつも武器を持った者たち、野盗や彼女を討伐する為に派遣されてくる兵士達だった。

 いつしか彼女は誰からともなくこう呼ばれるようになっていた。

 戦場跡の戦乙女『鮮血姫』と。

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