刃鳴
刃鳴
華、華、華、華、華が咲く。
紅い光が宙に条を描く度に深紅血潮の華が咲く。
紅の飛沫の中、哄笑らうは女。幽鬼の如く青白い肌を興奮に紅く染めながら、動くもの全てを斬り伏せる。
男を、女を、子供を老人を赤子を、手にした装飾剣で迷いもなにもないままに華に変える。
貿易旅団を襲った女は、最後の生き残りの前に立つ。その手には死を、眼差しには期待を乗せ、唇は絶望を告げる。
「君で最後だよ。さあ、君はどんな華を咲かせてくれるのかな?」
答えはなく、砂の擦れる音が、生き残りが後じさった事を示し、女は肩を竦め紅剣を振り上げた。
肉を裂き、骨を断つ鈍い音に代わり、高く清んだ水晶同士の触れ合う音が惨劇の場に響き渡る。
それは、遥か昔の出来事。覚えている者もいなくなった昔話。
神を滅する為に作られた双振りの装飾剣。本来二本で一つであるべき失敗作。
神を殺す紅剣。それを押さえる蒼剣。神滅戦の後、本来ならば魔術師達によって厳重に管理されるべき禍禍しき器物。封印され、隠滅され、表に顕われてはならない。けれどそれは、何の気紛れか、二人の姉弟の手に渡る。
***
刃鳴、刃鳴、刃鳴、刃鳴、刃鳴が散る。
紅と蒼の刃が絡む度に軋みを上げて鉄樹開花の刃鳴が散る。
紅蒼の光を挟み向かい合うは男女。何処かしら似通った顔立ちの二人は対照的な表情のまま、斬り結ぶ。
一人は冷笑を、一人は憂憤を、それ以外を示す事もないままに数限り無く装飾剣で刃鳴散らす。
噛合った双剣は、再会を喜ぶかのように細かく震える。その震えは時に大きく、時に光を帯び、紅蒼の刃は絡み合う。
「君も、いい加減しつこいね。そろそろ飽きてはこないのかい?」
答えはなく、一層鋭さを増した風切り音が、蒼剣の連撃が激しくなった事を示し、女は笑い声を残して一歩引いた。
それは、一つの御伽噺。誰もが聞いた事のある古くも新しい伝説。
死を撒き散らす紅い剣の担い手。紅い剣を追う痩身の蒼き剣の使い手。
目的もなく殺すもの。ただ追い続けるもの。神滅戦混乱期、帝国時代、革命軍台頭期、いくつもの時代を跨ぎながら消え去る事なく語り継がれる一組の男女。幻である事を否定するかのように、場所を問う事なく顕われる。忘れるなかれと顕現する。そしてまた、気紛れのように何処へかと消えていく。
***
紅の軌跡が宙を裂く。蒼の装飾剣が受け止める。生じるのは澄んだ刃音。生まれるのは紅と蒼の刃鳴。
薙げば受け、引けば追い、突けば弾く。拮抗する故に生じるモノ。それは、付く筈のない決着。まるで、終わらない円舞曲。
「は、こんなものかい、『絶刀』。その程度で私を止めようと言うのかい?」
「……その名で呼ぶな、おれは……」
苦渋に満ちた声で蒼の装飾剣の担い手は言う。その間も、紅と蒼は交じり合う。
「可笑しな事を言う。私は『天剣』、君は『絶刀』。それ以外のナニモノでもない。そうだろう?」
不思議そうに、心底分からないと微かに首を傾げながら紅の装飾剣の担い手は問いを重ねる。それはある意味において事実。ある意味において誤り。
紅蒼の二振りの装飾剣を手にした時から、姉弟の存在は人ではないモノに作り替えられた。故に二人を結びつけるのはただ、装飾剣の担い手で在ることだけ。けれど、その根本は変わらない。その証拠に。
「それでもだ。それでもおれはっ」
蒼の装飾剣の担い手は抗いを見せる。己が何者であったかさえわからなくなりながら、それでも今の己達が間違っているのだと主張する。
「なら、君の名がなんというのか教えておくれ。さあ、早く」
女は嘲笑う。答えられる筈がないと知りながら、それでも答えてみせろと、一合二合と打ち下ろす。
受け流し、打ち払い、答えられぬまま、担い手は剣を振るう。それは決着のつかない拮抗した終わらない演舞劇。観客のいない孤独な二人舞台。終わらせたいと望みながら叶えられぬまま続く予定調和の殺しあい。
本来、紅の装飾剣の役割は神殺し。蒼の装飾剣の役目は紅の装飾剣の抑止。けれど、何処かが狂い、何かが狂い、失敗作と見なされた。
そして、二つで一つの双剣が分かたれた時、終われない追走劇が始まった。
「ほら答えられないだろう? 所詮そんなものなんだよ。だから何時までも続けよう。この楽しい楽しい追いかけっこを」
『天剣』の担い手は笑う。嗤う。哂う。ワラウ。そこには諦めがあり、揺るがない諦観があり、狂喜がある。狂気がすり替わった歪んだ末の逃げ道がある。
拮抗する二つの力は、互いに互いを傷つける事さえ叶わず、ただ刃を交え続けるのみ。どれ程に人を超越し、どれだけ足掻こうと役割は変わりなどしない。
『天剣』はただ命在るものを斬り、『絶刀』はそれを止めるだけだ。そしてそこから零れ落ちた分だけ紅の、大輪の華が咲き、互いに何処かが歪んで壊れていく。
螺旋を描きながら昇っていく様にも似た円舞曲。グルグルとグルグルと破滅へ向けてゆっくりと進んでいく二人芝居。
だから、『天剣』の担い手は狂気へと逃げた。
だから、『絶刀』の担い手は足掻く事を止めない。
横薙ぎの一撃を受け止めて上へ流す。がら空きとなった胴へ突きを。弾いたのは流したはずの刀身。ダンと踏み込まれ、装飾剣が斬り上げられる。それを受け止めるのもまた、ありえない速度で引き戻された装飾剣。
剣戟は途絶えない。その様はまるで演舞のよう。二振りの装飾剣が一振りになるために引き合っていると言われれば、そう信じてしまうほどに刃と刃が絡み合う。
何十、何百、何千、何万と繰り返した変わらない行為、終わらない儀式。
無言のままの『絶刀』の担い手に侮蔑の一瞥をくれ、『天剣』の担い手は袈裟懸けを見舞う。
速度、角度共に十分、一撃で致命傷となりうる一撃。ただし、相手が担い手でなければ、の話。つまり、これもまたこれまでと変わらない行為の一つ。
のはずだった。
違うのは、迎える蒼の装飾剣が不自然に下げられた事。結果として『天剣』は蒼の装飾剣の担い手の体を肩から腰にかけて半分以上断ち切った。砂地に鍬を打ち込むよりの容易く、紙をナイフで断ち切るよりも呆気なく。両断しなかったのは単にそこで『天剣』と『絶刀』がぶつかったからに過ぎない。そうでなければ、『絶刀』の担い手は今頃自分の体で出来たオブジェを地面から見上げていたはずだ。
断面からは色鮮やかな肉が覗く。白く彩るのは神経か、血管か。白い骨さえ断ち切られ、象牙色の殻と似ても似つかぬ赤黒い中身を晒してそれでも何処か蠢動して見えるのは何故だろう? 明らかに致命傷に違いない傷が治癒しようとしているとでも言うのか。
桃色の肉の表面にぷつぷつと小さな珠が無数に浮かぶ。一呼吸置く間もなく、命の源が溢れ出す。真紅血華が花開く。無残なほどに咲き誇る。
『天剣』の担い手は蒼白い肌を真紅に染めて、『絶刀』の担い手は紙のように色の失せた肌を赤く濡らし、それまでが嘘か幻であったかのように動きを失う。筋書きがないようで存在した即興劇の歯車が大きく狂った。その劇的な瞬間。
ゆっくりと軋みすら上げそうな左腕で『絶刀』の担い手は『天剣』の刃を握り込む。掌が裂け、僅かに赤い液体が『天剣』の刀身を伝う。
「――――う、ね―――」
血塊を喉の絡ませながら紡いだ言葉に反応は、ない。
担い手は『絶刀』を持ち上げる。刀身が蒼さを増す。小刻みに『絶刀』が震えるのは力が入りきらないからか。『絶刀』の担い手は唇さえも白茶けて命の灯火を消しつつあるのは明白。
それなのに、あるいはだからこそ?
『天剣』の担い手の顔にそれまでになかった表情が浮かび上がる。
驚愕、怯え、恐怖。それらは何に対するものなのか。幾度となく繰り返した筋書きが狂った為か、対となる存在を失うかもしれぬからか、それとも傷つく事を恐れてか。
担い手は語らない。ただ『天剣』を握る手に力を込める。『絶刀』の担い手を完全に両断する為に。狂った筋書きを正す為に。
けれど、万力で固定されたかのように、刀身は動かない。簡単に振り解けてしまいそうな『絶刀』の担い手の手が離れない。逆にキチキチキチと刀身が軋みさえ上げる程に締め上げる。引き出すことも出来ず、それ以上押し込むことも出来ない。そんな状況に焦りが生まれる。本当は、手を離せばいい。『天剣』を手放せばそれだけで自由になれる。分かりきった事実。当たり前の真実。
そして出来るはずのない、現実。
最早その身は『天剣』の担い手でしかないのだから。
だから、もう一度聞こえたその言葉で、『天剣』を握る手の力が抜けたのは何かの偶然。何の意味も持たず、何も暗示しないただの現象の一致。
『終わりにしよう、姉さん』
『絶刀』の担い手の口から吐き出された言葉はそれだけ。口元に微笑が浮かんでいたのも、眼差しが奇妙に優しかったのも、関係はない。
そして、蒼の刀身が振り下ろされ、『天剣』の担い手の体に深く食い込み、止まった。血飛沫が担い手二人を濡らし、けれど、一人は最早瞳に何も映さず、一人はゆっくりと目を閉じる。
静寂がゆっくりと幕を下ろした。
***
けれど。
静寂という名の帳は破られる為にあると、白い魔術師は言った。
静寂は休止でしかなく、次なる騒動への準備期間なのですよと。
だとすれば、この静寂が破れるのは必然。紅と蒼の装飾剣にとって休息など必要のないモノだ。担い手の思惑など取るに足らない雑事に過ぎない。
故に『力』が担い手の体を巡り始める。失った血液を作り出し、断ち切れた神経を繋ぎ、砕けた骨を復元する。癒着しかけた刀身を無理やりに引きずり出すと、傷口は直ちに蠢動を始め、何処か甘ったるく香る血の香りだけが死闘とも言えぬ剣劇の痕跡となった。花開くように飛び散った血痕だけがその名残。
先に立ち上がったのは『天剣』の担い手の方。
装飾剣も担い手の体はともかく、身に着けた衣装までは復元が出来ないらしく、破れたままの布地の間から蒼白い素肌を晒している。けれど、その肌は乾き始めた血で汚れてはいるものの、命を失うほどの傷を受けたとは到底思えないほどシミ一つない滑らかなものだった。
「まさか、ね。そんな手段にでるとは思わなかったよ、―――――」
『天剣』の担い手は忘れ果てた、思い出せるはずのない名を口にしかけ、僅かに口篭る。言葉に出来ず、自分がなんと言おうとしているのか分からず。だから、諦めた。だから、呼びかけるのは。
「いや、『絶刀』」
蒼の装飾剣、その担い手。今ようやく身を起こし、呆然と『天剣』の担い手を見上げている分かたれた半身、己を縛るもう一つの自分。
「でも、無駄だったね。私たちはこうやってまだ存在している。次はどうやって止めてくれるのかな? ねえ」
そこで止め、担い手は笑う。何に対してか、誰に対してか、分からないまま、分かろうとしないまま、笑い続ける。ただ湧き上がる衝動のままに。
そして、『天剣』を振り下ろす。
紅と蒼の刃鳴が散る。二振りの装飾剣と担い手の視線が絡み合う。
「それでいい。腑抜けた姿など見たくないからね」
『天剣』の担い手は『絶刀』の担い手の耳元で囁く。その様はまるで……。
水晶同士が擦れ合う音と共に、一つの影が二つに分かれる。
「また会おう」
担い手の言葉に『天剣』が応じる。紅の光が刀身から溢れ、担い手の姿を覆い隠した。
無言のままに、『絶刀』の担い手はそれを見送り、そして歩き出す。
『天剣』の担い手の後を追い、止める為に。
***
華散らす。刃鳴咲かす。
紅と蒼の装飾剣が刃鳴散らす。
終わることなく刃を交え、絶えることなく斬り結ぶ。
その様は神聖で、なのに何処か滑稽な、
真紅血華が道連れの永遠刹那の、
二人きりの円舞劇。
二人だけの演舞曲。
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