第十七章 信濃平定
1545年
真田幸隆を迎え入れた晴信は市兵衛と共にまだ抵抗し続ける望月一族の望月盛時の説得にあたらせた。
望月一族も大井一族、依田一族同様、佐久では有力な一族であった為、望月一族が武田に従ったことは、多くの佐久衆がこれに従ったのである。
これにより、村上と武田の勢力争いは武田の優勢となりつつあった。
しかし、
1548年 上田原の戦いで晴信は初めての敗北を味わう。
晴信は8000の兵力で小県に向けて出立した。
対する村上も5000の兵力で居城の葛尾城を南下し、上田原平の産川(千曲川の支流)にて両雄は対峙した。
小県を上田城を取り戻す事が出来るかも知れぬ合戦である。真田幸隆が先陣を勝手出たが、晴信はこれを退け、板垣に先陣を任せた。
「御屋形様。此度はこの真田幸隆に先陣をお任せ頂けませぬか」幸隆
「この地を把握している真田幸隆殿こそ、先陣にすべきかと存じます」市兵衛
「いや、此度は義清との合戦である。幸隆殿にとっては仇である義清。勝ちに急ぐ幸隆殿では冷静に判断はできませぬ」勘助
「そうじゃな。先陣は板垣じゃ」晴信
「はっ」
「兵力の差は歴然じゃ。此度は力ずくで落として見せよ」晴信
「それは、なりませぬ。地形をよみ、対陣を牽いてこそ、兵力を失わず勝てるというもの」勘助
「だめじゃ。義清に圧倒的な勝ちを見せつけてこそ、この信濃を制定出来るのじゃ」晴信
「……」勘助
「この板垣にお任せください」
「我が隊も後に続きます」甘利
「よう言うた。板垣、甘利、まかせたぞ」
戦いが始まった。今までの佐久衆の戦いとは違い、村上義清との直接対決だ。多くの佐久衆を従えた武田軍の兵力が勝っていた。
武田方の優勢で戦いが進んでいた。村上方が徐々に引き始めていた。
「御屋形様、押されております。ここは一旦、お引き下され」楽巌寺右馬之助
「体制を整えるが、得策と心得ます」井上九郎
「追ってくる兵があれば、それを引き込み討ち取る策がごいまする」右馬之助
「よかろう。ここは一旦引こう」義清
村上方が引き始めた。
「おお。村上が引き始めたぞ」晴信
「かなり、時間も立っており、兵も疲れております。ここは出方を見ましょう」勘助
「そうじゃな。板垣、甘利を戻せ」晴信
「御意」勘助
しかし
「・・・・どうした。何故、板垣も甘利も戻らぬ」晴信
「ははっ。何度も伝達をしておるのですが戻られません」勘助
「甘利殿、我らはこのまま義清の本陣を追います」板垣
「ははっ。このわしも同じ考えじゃ。此度は力攻めじゃ。この機を逃しては義清は討ち取れぬ。御屋形様に義清の首を差し出してみせよう」甘利
信虎の時代から、武田を支え続けた重臣・板垣信方と甘利虎種。今の晴信に憂いを、感じていた。 残虐非道の信虎と同様の道を歩き始めた晴信。このまま、村上との戦いが長引けば、武田の不利になる。そう危惧していた。ここで一気に義清と決着をつけねばならない。そう感じていた。その為、板垣・甘利の両軍とも深追いをし過ぎた。
板垣・甘利討ち死に。
「何故じゃ。何故、板垣も甘利も下知に従わず。深追いをしたのじゃ」
「義清を一気に方を付けたいが為。と思われます」勘助
「わしが、此度は力攻めと言うたからか?」
「その通りでございます」市兵衛
「市兵衛殿。言葉が過ぎますぞ」教来石
「いえ。恐れながら申し上げまする」
「先の軍議にて、勘助殿、原殿、教来石殿の策をお聞き入れなんだ結果にございます」
「市兵衛殿。それ以上は言いうてはならぬぞ」原美濃
「何の為の、軍議でございましょう?誰の為の軍師でございましょう」
「市兵衛殿、おやめ下さい」勘助
「今まで幾多の戦で、勝てたのは何故でございましょう」市兵衛は皆が制するのを無視した。
「よせ。市兵衛殿。御屋形様に向かって無礼千万」小山田
「たとえ、この首が飛ぼうとも言わせて頂きまする。今の御屋形様は信虎様と同じ道を歩まれておりまする」
従来からの重臣達では決して言えぬ言葉を市兵衛は言った。
「何い。わしが父上と同じと申すか?」晴信の顔色が変わった。
「左様でございます。今の御屋形様のやり方では、例え勝利しようとも、信濃を治める事が出来ませぬ。そう思い、御屋形様を思い、板垣殿、甘利殿は勝ちを急いだのでございます」
「なんじゃと。勝利しても、信濃を治める事が出来ぬと?」晴信が紅潮した。
「御屋形様。ここは内輪もめしている時ではございませぬ。改めて策を練ります故」
勘助が割って入った。
誰も言葉が出てこなかった。
「しばらく一人にしてくれ」晴信が言った。
家臣たちは席を外した。
「市兵衛殿。板垣殿、甘利殿を亡くし、悔しいのは皆おなじじゃ。御屋形様にとっては幼き頃より父親代わりの両名じゃ。なおさらじゃ。御屋形様の意も組みしてやれ」教来石
「…… 言葉が過ぎました」
「いえ。皆が言えなんだ事を申してくれた。感謝いたします。兄者もこれで変わってくれれば良いが」信繁
「板垣、甘利・・ すまぬ。このわしの為に、命を張ってくれたか? 残虐非道と言われた父上と同じじゃと市兵衛殿に叱られたわ。これでは父上を追放した意味がないの。 お主らを亡くしてようやく分かり申した。板垣、お主は大きな石垣であったの。甘利、お主は、深い堀であった。お主らがわしを守ってくれておったのじゃと。そして、情けは味方、仇は敵なりじゃと思い知らされたわ。
これからは、心を入れ替え、皆に頼ってみようと思う。それで許してくれるか?板垣、甘利」晴信は声を出して泣いた。
1550年 砥石城崩し 再び敗戦
この武田の二度の敗戦により、佐久の情勢が変わり始めていた。
多くの佐久衆が村上に傾き始めていた。
「力攻めでは砥石城は落とす事は難しいのう」教来石
「左様でございまする。あの砥石城は難攻不落」」真田
「左様であるな」原美濃
「いかがする勘助」
「内側から崩すしか手はありませぬな」勘助
「真田殿、相木殿、何か策はござらぬか?」教来石
「我が、一芝居討ってご覧に差し上げます」真田
「一芝居?」勘助
「我が家臣の中に村上の間者が居ることが判明しました」真田
「村上の間者が?」晴信
「はい。今は泳がしております」真田
「それを逆に利用しようと?」市兵衛
「左様にございます」真田
「して、その策はどのように?」勘助
「家臣の一人を我に恨みを持たせ、村上に寝返ったふりをさせ、敵兵を誘き出させてみせます」
「頼みもうしたぞ」晴信
この真田幸隆の調略により砥石城は多くの村上兵を討ち取り落とす事が出来た。
そして、この機に乗じて、晴信は、勘助、市兵衛、幸隆の案により、佐久衆に対し朱印状を送ったのである。その朱印状とは、一度、村上に組したものでも、一切お咎めなしに、自国の領土を安堵すると約束したのである。そして、これを信じさせる為に、市兵衛、幸隆が説得にあたったのである。真田幸隆に松尾城を与えられたのが、佐久衆の心を動かした。
これにより一気に形勢が逆転したのである。 村上が追い込まれて来た。
そして、最後まで村上についていた楽巌寺城に武田軍が迫っていた。
1551年 楽巌寺城内
「殿、御屋形様は上杉を頼り、葛尾城を後にされました」
「そうか、行かれたか」右馬之助
「はい。僅かな家臣をお連れして行かれました」九郎
「そうか、では我らは#殿__しんがり__#のお役目を果たすとするか」
「はい。皆、その覚悟で城に集まっております。」
「武田軍は?」
「城外に既に、おおよそ3,000」
「既に囲まれておるか?」
「降伏を促して来ております」
「御屋形様の筆頭家臣として、村上一筋に尽くして来たのじゃ。最後まで尽くさせてくれるか?」
「殿の思うようになされませ。それが、我ら家臣の願いでございます」
「すまぬな。頑固な城主でいつも苦労をかけてきた」
「何を申されますか。楽しゅうございましたぞ。我は、森之助、更科と信濃一の剣豪を育てられこの上なく幸せものでございます」九郎
「そう言うてくれるか」
「はい。じきに、その森之助と更科がこの信濃をひとつにし、平らかな地にしてくれましょう」
「そうじゃの。」
楽巌寺城
塀を壊し、武田兵が乗り込んで来た。多くの兵が佐久の者達である。
戦が始まった。
城内の池が赤く染まった。
そんな中、城を取り囲む兵士の後ろから、馬が4頭駆けて来た。
森之助、更科そしてその後に、市兵衛と一人の若い武士が続いた。
「やめろ、やめろー同じ佐久のものではないか、共に戦った者同士ではないか?」更科が叫んだ。
「更科じゃ更科が戻ったと父上に伝えろ」叫びながら馬を駆け、城内に入った。
戦の中央に陣取り、更科が叫んだ。
森之助が続き、争っている中に割り込み、通常の倍はあろうかというい槍を振り回して戦を止めた。
「あれは、更科? 更科だ」と楽巌寺の兵士が戦いをやめた。皆、更科と共に戦った仲間たちである。
「森之助だ。森之助が来てくれた」 元服前に一緒に稽古した仲間たちだ。
館の中から、右馬之助と九郎が出てきた。
「更科」右馬之助
「森之助」九郎
「市兵衛殿も」右馬之助
「右馬之助殿、義清殿は皆を置いて去りもうした。もう争いはしまいじゃ」市兵衛
「殿、武田に降りて下され」森之助
「……今まで、何人の兵が死んだと思う。御屋形様の命で、今まで多くの兵を亡くしてしもうた、武田を討てと。その命を出して来たのはこのわしじゃ。その者達の無念をどう拭えば良いと申すのじゃ」
「わしも同じじゃ。何人もの兵を亡くした。その過去は変える事は出来申さぬ。しかし、今ここで戦おうとしておる兵は、まだ生きておるではないか。この者達を生かす事は出来る。この者達も亡き者にしようと望んでおるわけではあるまい」市兵衛
「この者達を生かす事?」
「そうじゃ。お主が戦おうとすれば、この家臣達もお主を助けようと命をすてる。お主が生きれば、この者達も生きようぞ。」
「……」
「右馬之助殿、お忘れか? 右馬之助殿も、この信濃がひとつになり、平らかな地になる事を望んていた事を。義清殿のやり方ではひとつになれぬと思うておられたではないか? それが、今日、いや、今かなうのじゃ、右馬之助殿の気持ちひとつで」
「今? わしの気持ちで信濃がひとつに?」右馬之助
「信濃がひとつになると?」九郎
「今、村上の筆頭家臣であられる楽巌寺殿が、武田に降りて下されば、多くの村上方の衆も佐久衆に気兼ねなく武田に仕えましょう。そして名実とも信濃はひとつになれるのです。過去の争い事、恨みもあろうが、その遺恨は今ここで、我らの代で断ち切ろうではござらぬか? ここにおる更科、森之助、そして幼き頃より共に過ごしたこの若い兵達を、我らのくだらぬ意地や誇りとやらでこの者達を争わせてはなりませぬ。この若き者達にこの美しき里、信濃を託してみようではありませぬか?」
右馬之助は、若い家臣達を見た。今、戦おうとしている武田兵も、つい数年前までは一緒に戦った佐久衆の兵士達だ。
「父上。村の民達も皆、父上の元で過ごしたいと願っておりまする」更科
更科、森之助、市兵衛と共に乗り込んで来た若い武士が前に出た。
「じいじ」そう言って兜を脱いで顔を見せた。
「じ、甚次郎か?」
「左様でございます。お久しゅうございます」甚次郎
「大きゅうなったのお?」
右馬之助は甚次郎を抱き寄せた。
「もう、このじいの背丈を超えてきたか? いくつになった」
「十四で御座います」
「更科、ずるいの。孫を戦場に連れてくるとは? これでは戦えぬでは無いか」
「殿」九郎
「父上」更科
「義父上」森之助
「右馬之助殿」市兵衛
こうして武田を二度に渡り破り、村上を勝利に導いた名将・楽巌寺雅方も武田に降りた。
信濃はようやく一つになったのである。
天文20年(1551年)の時であった。
※楽巌寺雅方は多くの文献にて武田との戦で討ち死にの記載があるが、武田信玄に忠誠を誓う書が近年見つかっている。
第十七章 完
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